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女川で自分のMissionを言語化する

今週は、宮城県の女川町まで足を運び、非日常の中で自分のMissionを考える時間をとった。

女川町は、2011年に震災で被災してから一ヶ月後に復興団体を立ち上げ、町を元に戻すことを「復興」と捉えず、未来を描きながら復旧・復興を続けている素敵な町。今回、町のお二方の話を聞く機会を得られた。

自分がなにを思い、なにを感じ、自分自身のTo beにどう落とし込んだのか。そんな話を少しできたら良いなと思う。

メモのような走り書きだけれども。
自分自身を描き続ける、その道中。


青山さんの話

プロフィール
女川町役場 産業振興課 公民連携室 室長(FRK)

背景
・女川は週十年に1度津波がきている
・過去の津波経験から、3階・4階の高さで大丈夫だろうと過信した住人は死亡
・20m一気に押し寄せるのではなく、湧き上がるように水が覆う
・海から3kmまで波が押し寄せた
・自分の家はぎりぎり残っていた
・震災後、復興委員会のグラウンドデザイン

女川タウンスタイルのデザイン
・「住み残る「住み戻る」「住み来たる」
・住民・行政・議会・産業界をつなぐHUBとしてのFRK
・社会的弱者(高齢者や子供)を基準においた町づくりをしているため、安心安全な暮らしを提供
・重要な決定は、町長から町民に直接伝えることも徹底

高橋さんの話

プロフィール
・まちづくり女川合同会社
・アスへのキボウ 統括アドバイザー
・震災前後の高政の経営

復興とは?

これまで
元の街に戻すことが復興です → 元の街に戻ったところで問題山積み
みんなに笑顔が戻れば復興です。→ 復興の定義があいまいすぎる
新定義
復旧 ... マイナスから0
復活 ... 0から1 自立と再建
復興 ... 1から100以上への束
そこでどれだけの人がビジネスをして生活をしているのか、そんな人達が女川という地域内に何人いるのかが復興の定量的な指標

女川的思考

・手段と目的を混同しない
・限られた環境だからこそ最高の成果を
・細かい目標を設定しない
・「何を作るか」ではなく「何を残すか」
・「震災を忘れないで」と言わない

求めているのは

以上、箇条書きで一部を抜粋してみた。二人の話の中で感じた共通点は2つ。

1つ目は、「使命感」

彼らが女川の復興に取り組み続けているのは、モチベーションがどうこうとか、責任がどうこうだからではない。そこにあるのは、使命感である。

2つ目は、「前提と目的の共有」

女川の復興に携わる人々はみな、大きな目的を共有して、その目的に向かって動いている。そこにプライドや、肩書による上下はない。ただ、目的を共有した人々がそれぞれの役割を柔軟に全うしている。

自分の今にこの2つを当て込む。

「使命感」

誰のなんのために今の仕事はあるのか。自分自身の目的達成ではなく、他者のために目的が変わったとき、そこに使命感の種が生まれる。人は、自分自身のためよりも、誰かのために頑張れる生き物であることを考えると、使命感をいかに自分の中で醸成するのかは、今後の仕事に対する姿勢として重要である。いかに使命感が生まれるか。その解は、ユーザーに憑依すること

「前提と目的の共有」

大目的の共有は、組織の垣根を超える。組織さらには、会社、国の垣根を超える。ただし、目的は危機感から生まれたものでなくては、細部にまで染み渡らない。縦置き看板的な目的は、組織の方向付けしか生まない。推進力は危機感と使命感から生まれる。

今自分が自分に対して求めているものは、使命感と危機感。自分自身、そしてチームでこの2つをいかに醸成するか。それこそが、自分自身の一つのMissionであり、自分がチームの中で役割として担うべきだと感じている。新卒だからこそ許される大胆な発言、前衛に囚われない行動。自分自身の使命は、社会的な使命感をチームで醸成することである。

大義をいだき、当事者として実行し続ける人間に。

まとめ

まとまりきらないままに、少し前回から雰囲気を変えて書き記してみた。
まだ感じたものを全て消化しきれていない。でも、昨日今日の体験が、いつかの日の体験とつながったとき、自分のらしさが更新される。そんな感覚を信じて、また足を運ぶのである。


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