#3 医師の人生設計


人生設計とは難しいもので、ぼくの人生設計なんてあってないようなものでした。その人生設計はいまだに構築されていないまま今にいたっています。頭の中ではいつも人生設計がきちんと整理されていて、1年の目標もきちんと年初に誓っているわけですが、どうにも予定通りに進行してくれないのが人生であります。

「PDCA」と「PDS」で人生設計を

思えば、中学1年生の夏休み前の終業式で、基本的に校長先生の話なんてまったく覚えていないのですが、このときだけはすごく記憶に残った話がありました。いまでは普通になってしまいましたが、「PDCA」と「PDS」サイクルの話でした。「PDCA」とはPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(対策・改善)の頭文字をとったもので、タスクドリブンな目標に対してどのように仕事をしていくかということの重要な方法論になっています。

しかし、ぼくの中学1年生のときに校長先生が話したものは「PDS」サイクルの話でした。Plan、Do、See(反省)というシンプルなもので、Actionという対策を取るわけではなく、Planに立ち戻ってタスクへの計画を見直しながら実行していこうという話でした。こんな話を中学生にしてもまったく聞く耳を持たないとは思わなかったんでしょうか、そんな内容のことを力説していました。ぼくは勉強の計画ではなく、部活の計画を一生懸命立てて、反省しながら計画を練り直すということをしていった記憶があります。そのノートを見直すと、当時の苦悩が笑いとともに蘇ってきます。

「PDCA」と「PDS」の違いについてとやかく言うことはしないですし、してもあまり意味がないと思っています。ですが、その校長先生が言っていたことを愚直に高校卒業まで遂行したことはいま振り返っても驚いてしまいます。

今となっては、ぼくの「PDS」は「PSS」(Plan、See、See)になっています。計画を立てては実行されず、反省ばかりしている悪循環に陥っているとさえ思うときもあります。でも、計画を立ててなにかをやり遂げるということを教えられたいいきっかけになりました。きっと、その校長先生もまったく聞く耳を持たない中学生に対して、どこからか「いい話」を持ってきたのでしょう。そんな気軽な話をしっかりと実行している生徒がいるなんて思ってもなかったかもしれません。

人生設計においても「PDCA」や「PDS」のサイクルを何度も繰り返してようやく年齢を重ねることで将来設計が固まってきます。それは悪い意味でとらえると、人生における選択肢が少なくなっていき、自然と人生計画が固定されていくとも考えられます。若いときにはポテンシャルがあります。学んできたことを活用せずに、新たに学びながらいままで培ってきた土台をぶち壊してまったく違う道に進むことができることもあるでしょう。医学部に入ったけれど、やはり数学者になりたいからと、数学科に入り直してもいいわけです。しかし、歳を取っていると、趣味でそのような進路を取ることは可能ですが、仕事としてやっていことはほぼ不可能でしょう。これが選択肢の幅が狭まるということです。若ければ何にでもなれる、でも年齢を重ねると残念ながらポテンシャルが低くなり、人生を消去法で選択しなければならなくなり、人生計画が固定化していきます。


本多静六的人生計画の立て方

本多静六は「私の財産告白」や「人生計画の立て方」で有名な方ですが、本多はその「人生計画の立て方」のなかで、「教練期」、「勤労期」、「奉仕期」、「楽浪期」に分類しています。当時としては、そして近年までは人生のステージごとに何をするのかをはっきりと決めて、年齢を重ねていくという考え方がまっとうであり、正しい人生の計画であったのかもしれません。大学を卒業して、一流企業に就職して、そこで出世して、一生をその会社に捧げてリタイアをする。サラリーマンでなくとも、なりたいことが決まっていて、高校や大学等を卒業した時点でなりたい職業を手にすることができればもう本多静六的人生計画を立てていけばいいのです。医学部での授業や実習は「教練期」にあたります。あとは、勤労期に一生懸命働き、お金を貯めて、次のステージに進めばいい人生だったと振り返ることができるでしょう。

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かつて金融業界に在籍した現役医師がお金についてボソボソとつづります。

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