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高校時代の”相棒”を私の崖から突き落とす時が来た。

初めセラピストにそう言われた時、私は鼻で笑った。昔観たご長寿刑事ドラマが頭をよぎる。

私はストレスを原因に定期的に繰り返す蕁麻疹に悩まされていた。仕事のプレッシャーや人間関係だけでなく、嬉しいこと、楽しみなことがあった後、忘れた頃にやってくる発作だった。

蕁麻疹は原因不明のことが多く、薬を飲んでも根本的には解決しない。人生の軌道に乗ったと思うようなことが起きても、狂ったように痒みに襲われむしずが走ると、何がどうなってもどうでも良くなった。自分という容れ物が嫌になった。

私のセラピストとは叔母のことなのだが、彼女は本当にカウンセリングを生業にし、コーチングや夢の実現方法を心得ているので、藁にもすがる思いで相談した。

どうやら私の症状には原因となる人物がいたようだ。高校時代の友達で、実直で地に足が着いているが噂と陰口が大好物な情報通な女だった。地元が近く同じクラス、同じ部活だったため、高校1年のほとんどを一緒に過ごした。
Twitterを具現化したようなところがある子だったため、いつも『あなたのためを思って』批判的な意見を投げてきた。例えば、美人は芸能界に入らず普通に暮らすのが一番幸せだ(確かに間違ってはいない)とか、あなたのことをみんな褒めるから私は貶す(確かにチヤホヤされてはいた)、と使命感を持たれていたこととか。

やりたいことがあっても彼女に文句を言われる気がして、嫌われたくなかった私は周りに同調した。高校を卒業してから疎遠だったが、今年に入ってまた会うようになっていた。

その存在と原因を特定した叔母は大真面目に、『じゃあ私の言う通りにしてね』と念押しした。

『頭の中でそいつを思いっきりぶん殴って、踏んづけて、暴言を浴びせて、崖から突き落としてみて』

いつもエレガントな叔母からは想像もつかない語彙に戸惑ったが、私は言う通りにした。

暴言を浴びせるあたりで、何故か泣いていた。

自分のせいだ、不運だ、だと思っていたことをそいつに、その当時の彼女に全て擦りつけた。これまで浮かばれなかったのは私に能力や才能が無かったんじゃない、そいつが頭の中に住んでいて足を引っ張っていたからだ。

思い込みや心的ブレーキが外れると、軽くなると同時に、宇宙空間にポーンと投げ出されたような孤独感に襲われた。私は自分としか一緒にいない。私は孤独にひとりで死ぬんだ。誰とも何も共有できないと確定したようで怖かった。

相棒がいることの良さは、崖を一緒覗き込んで、こんな所から落ちたらシにますね〜風が強くて寒いですね〜なんて言ってくれるところくらいだ。
今までのパターンを繰り返しその場に留まりたければそれでいい。10年前も10年後も、ほとんど構造の変わらない悩みにハマって動けなくなる。

これから幾度となく私の崖には人が訪れ、好き勝手言うのであろう。これは私の崖だから、誰を残すか、どんな崖にしたいのかは私次第だ。

訪問者に占領されない術を学んでから、蕁麻疹はぴたりと止んだ。

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