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自然治癒力と暗示効果のパワー

スポーツの世界において、身体だけでなく心の力がいかに大きな影響を与えるか、多くの人々が驚くような事例がありました。大相撲春場所の千秋楽で、新入幕の24歳、尊富士が見せた驚異のパフォーマンスは、その最たる例です。平幕の豪ノ山を破り、13勝2敗の成績で初優勝を飾った尊富士。新入幕力士の優勝は110年ぶりの快挙となりましたが、この成功の背後には、単なる肉体の強さ以上のものがありました。

前日、尊富士は朝乃山戦で敗れ、右足首を負傷。歩行不能にまで至り、病院で治療を受ける事態に陥りました。しかし、翌日、彼は驚異的な回復を遂げて土俵に上がり、見事優勝を果たします。この劇的な変化の裏には、横綱照ノ富士からの「お前ならやれる。記憶に残せ」という励ましの言葉がありました。尊富士はこれを受け、「言われた瞬間に歩けるようになった」と述べています。このエピソードは、肉体の治癒だけでなく、心理的な支えがいかに重要かを示す貴重な証拠です。

この事例から、自然治癒力と暗示効果のパワーについて探求し、我々の健康と回復力に対する理解を深めることができます。自然治癒力とは何か、そしてそれを最大限に引き出す暗示効果のメカニズムについて詳しく解説していきます。

この事例を聞き、治療家としての私は、足関節捻挫など多くのスポーツ障害を治療してきた経験から、必ずしも不思議な現象ではないと感じました。私は臨床現場で、来院時に足を引きずっていたり、松葉杖や車椅子を使用していた患者さんが、帰りにはそれらが不要になるほど改善する例に何度も遭遇しています。臨床経験が浅いころは、治療をしている私自身も内心驚いていましたが、今では、理論的にも説明できる現象だと考えています。

怪我の程度にもよりますが、骨折がなく靭帯損傷が中程度から軽度であれば、痛みの軽減と回復は十分可能です。捻挫などの関節痛の痛みの発生源は大きく分けて3つあります。一つ目は靱帯や軟骨など組織そのものの損傷による痛み信号です。二つ目は、関節周辺の神経受容器の誤作動信号による痛みです。そして、三つ目は心(脳)の信号です。どの信号も神経系を通じて脳に伝達され痛みを感じます。

関節周辺の神経受容器の機能障害、すなわち「神経関節機能障害」が原因で痛みが生じる場合、適切な関節への治療(調整)により瞬時に痛みが軽減または消失することが治療院の臨床現場ではよくあります。誤作動信号による痛みの改善メカニズムは、関節周辺の誤作動信号を正常に調整すると、関節周辺の神経機能が正常に回復され、関節の微妙な働きが調整されることで痛みが改善されます。この痛みの根本改善には、関節周辺の機能障害の調整と、患者自身が持つ自然治癒力への信頼、すなわち「暗示効果」が大きく影響します。

「暗示効果」と「プラシーボ効果」は類似した概念ですが、用語の使われ方に違いがあります。プラシーボ効果が主に医療や治療の文脈での期待や信念に関連しているのに対し、暗示効果はより広い範囲の心理的な影響を指すことにあります。プラシーボ効果は暗示効果の一部と考えられることが多く、特に患者の回復や症状の改善に関連する期待に焦点を当てています。これらの効果は単に「気のせい」と軽視されがちですが、治療効果に深く影響を与える心理的、神経学的な深い意味があります。特に、慢性症状の治療においては、暗示効果が顕著に現れることがあります。その一方で、「逆暗示効果」、つまり治療に対する否定的な暗示が自然治癒力を制限してしまう場合もあります。これは、現代医療の情報や医療従事者によってもたらされることが少なくありません。

私は多くのスポーツ障害などによる外傷患者が来院する医療現場に従事していた経験があります。当時、四肢の骨折や捻挫などの外傷患者には、軽症、重症に関わらず、関節痛のある患部にはほとんど包帯固定やテーピングによる固定を施していました。関節周辺の腫れや関節痛の程度に応じて、通院過程において固定の程度も変えていくような処置を行なっていました。

私の臨床経験では、患者さんの通院状況から、患者さん達を二つのタイプに分けることができます。一つは施術者の指示に従い、包帯固定も維持したままで、ほとんど関節を動かさずに安静にする患者さん達。もう一つは、施術者の指示に反して自己判断で包帯固定を外し、積極的に動かす「野生的」なタイプの患者さん達です。後者のグループの方が、同程度の外傷であっても回復が早い傾向にありました。

この現象を「暗示」の観点から解析すると、真面目な患者さんが医療従事者の指示に従うことが、実は本来の自然治癒力を制限してしまっていることがわかります。例えば、足関節捻挫で靭帯が修復できるように固定する目的がありますが、固定が回復を早める保証はありません。臨床的には、関節を長く固定した患者の方が回復が遅く、後遺症が残りやすい傾向があるようです。

治癒力を促す「あはっ現象」

尊富士のケースに戻ると、機械的に足関節を固定して安静にしていれば、回復が遅れ、「逆暗示効果」の影響を受けていた可能性があります。しかし、照ノ富士からの励ましは、彼の治癒力を促す「あはっ現象」が治癒を促進する心の信号となり、瞬時に痛み信号に関係する「逆暗示効果の信号」から「暗示効果の信号」に切り替わり、歩けるようになったと考えられます。

「病は気から」という古言が示すように、患者自身が積極的に治る意識を持つことが重要です。照ノ富士の言葉が心に響いたのは、彼を心から信頼していたからです。暗示効果は誰にでも起こり得ますが、特にマイナスの暗示効果を解除することが、自然にプラスの暗示効果を生み出す鍵となります。

「あはっ現象」に関する治療効果は、心身条件反射療法(PCRT)の臨床現場でよく観察される現象で、誤作動記憶に関係するキーワードから施術者が質問をして、患者が認識を深めていく過程で、「あはっ」と気づく瞬間や「なるほど」と納得する瞬間があり、誤作動信号が自動調整される過程を術者は生体反応を通じて観察することができます。

具体的な治癒メカニズムは不明ですが、おそらく、その際に神経学的な強い刺激が、誤作動を生じさせている神経回路の混線をリセットさせて、健全な神経回路へと修復されるのだと考えられます。ちなみに、「あはっ現象」に関する科学的研究は、心理学や神経科学の分野で進められているようです。

人間は誰しも平等に自然治癒力を持っていますが、ノーシーボ効果(逆暗示効果)や現代医学の一部の思考が、この力を制限してしまうことがあります。これらは「思い込み」として暗示的に作用し、症状の改善を妨げています。臨床現場で痛みが瞬時に軽減、あるいは消失する現象に出会うたび、「怪我なら痛みはすぐには消えない」という一般的な前提に対する「書き換え」を行います。実際、組織の損傷による痛みが即座には消えないかもしれませんが、自然治癒力に関わる誤作動信号による痛みは、適切な治療で瞬時に軽減することが多々あります。この事実を多くの人に知ってもらいたいと願います。

尊富士の例から見ると、彼の回復と優勝は、単に身体の力だけでなく、心理的なサポートと自己の信念が深く関わっていることを示しています。外傷の問題は肉体的な問題だけにとどまる傾向がありますが、解剖学的な損傷以外にも、神経学的機能異常、すなわち、運動神経、知覚神経、自律神経系に関わる誤作動信号、さらには無意識的な心の信号も深く関係するということを考慮することが大切です。

医療現場での経験と合わせて考えると、私たちが治療に対して持つ態度や信念が、治療結果に大きく影響を及ぼすことが理解できます。このような理解は、スポーツ医療だけでなく、あらゆる治療の現場で応用されるべき知見です。自然治癒力を最大限に引き出し、患者さん自身の回復力を信じることの重要性を、尊富士の事例は我々に教えてくれています。

この文章を通じて、自然治癒力と暗示効果の重要性に光を当て、読者に対して新たな視点を提供することができれば幸いです。医療従事者だけでなく、すべての人が自身や他者の治療において、心理的な側面をより深く理解し、考慮することの価値を認識することを願います。

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