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アレクサ、看取って①

noteの執筆ページを開いたら、まだ何も入力していない場所に、グレーの主張しない文字でこのように書かれていた。

おはようございます、今日もいい一日を。

ツイッターの入力欄をひらけばグレーの文字で「いまどうしてる?」 Facebookは「今なにしてる?」 微妙に変えてあるのがこざかしい。そしてよけいなお世話だ。

でも、確かにそうなのだ。今は朝。ぼくは生命よりも先にnoteからおはようのあいさつをされた。タイミングは何も間違っていない。いまどうしてるかを伝えたくてツイッターを開いた。今なにしてるかをシェアしたくてFacebookを開いた。全部合ってる。当てられている。

ぼくが次にどうしたいかを一番わかっているのは、まだ進化の途中にあるはずの雑なAIである。誰よりも長い時間を一緒に過ごしているスマホが、ぼくの中にある言語化できていない習慣を勝手に読み取って、ぼくのこの先に広がっている可能性を勝手に絞り込んで、ぼくはそれにすこし反発しながらもたいてい納得して、タップの手間をふたつ減らし、読まなくていい10の記事を無視し、ほんとうは昨日で終わりにしたかったルーティンワークを今日もだらだらと続ける。

たぶん初出は幡野広志さんの言葉だと思うが、彼はかつて、

「主治医よりもスマホの方に自分の人生を預けたくなる未来がやってくる」

と言った。たぶんこれを読んだ多くの医師はぎえっと思ったはずだ。先に気づくべきだった、と思ったはずだ。自分に残った住宅や高級車のローンを思い出して、まずい、さっさと稼ぎきらないと、この先ドクターの給料が高いままである保証はないぞ、と焦ったはずなのだ。

なぜかって?

最期に自分の行動を託すべき相手が、2週間前に知り合った内科医でいいわけはない、という、当たり前だがほかにどうしようもなかった医療の大弱点を、いともかんたんにスマホが埋めてしまう未来が完全に見えたからだ。

「こないだお会いしたばかりでまだろくに世間話もしてないセンセイ、ぼく、この先どうなるんですかね」

よりも、

「へいSiri、ぼくはどうなる」

のほうが、信頼できるんじゃないかって、腑に落ちてしまったからなのだ。

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2019年9月29日。渋谷ヒカリエのビル34階で、医療情報発信イベントが開催された。『知って、届けて、思い合う』。こじゃれた名前だ。

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今回のイベントの目玉は大須賀覚先生だ。彼はぼくと同い年である。米国エモリー大学でがん研究をしている。

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彼が具体的にこの日のイベントで何を語ったかについては、今後、多くのメディアが次々と記事にするだろう。すでに、数え切れないほどの実況ツイートも流れている。興味がある人は #やさしい医療情報 というツイッターのハッシュタグを追いかけてみるといい。ぼくもいずれ紹介するだろう。ただ、ここではひとまずおく。

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時間をすこし巻き戻そう。会が始まる前のことだ。

イベントが終わったら、ぼくは夕方の便で札幌に帰らなければいけない。打ち上げに出られない。みんなとゆっくり話もできない。

それを知った大須賀先生は、事前にぼくに密書を送っていた。

「イベントの前にどこかで朝ご飯を食べませんか。
そして、ふたりで同伴出勤としゃれ込みましょう。」

かっこいいなあと思った。

彼はそもそも、京都で開催される癌学会に研究者のエースとして招聘されて、発表・講演、シンポジウム登壇するために来日している。イベントの前の晩も、遅めの新幹線でようやく東京入りするくらいの激烈なスケジュールである。それなのに、まだこの上、ぼくなんかに気を遣って。

かっこいいなあ、と思った。

渋谷で中年男性ふたりが安心してメシを食いながらはじめましてはじめましてとあいさつできるような店を探す。「Googleの下にあるホテル」が見つかった。ロビー階に朝食もいけるレストラン。ここならいいだろう。


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何度もネット上でアイコンを見た相手だ。書き口調もよくわかっている。しかし実際に会ったことはもちろんない。それこそ、

「まだろくに世間話もしたことのないセンセイ」

である。スーツケースとトートバッグを目立たない場所に押しやりながら、ぼくは緊張した。約束の時間からは10分ほど遅れそうだ、と連絡があったが、すこし大柄の彼は9分遅れで姿を現した。1分早めについたようなものだ。

日本なのに握手からスタート。それが一番自然に思えた。ぼくらは一度も会ったことがないけれど、たぶん、これがいい。スマホに聞かずともわかった。

「はじめまして・・・・・・やあ、やっと会えた。」

チリチリと違和感の火花がはぜた。

「はじめましてなのにすでに信頼がある」ことに、まだ使ったことのないシナプスがわずかに発火して、落ち着いた。波紋は立ったがまだわからない。わからない何かが、振動の中から飛び出てくる予感がした。


そこで彼と話した1時間15分。

ぼくは、その後に控える6時間のイベントのためにとっておいた体力の8割を使い果たして彼の知に触れた。違和がもたらす盤面の揺らぎ。カタカタと音を立てる将棋のコマ。人それぞれに違う職能と役割と、布陣。

「医療情報産業学」のようなフレーズが次々と浮かぶ。

開戦。


やさしい医療情報とはそもそも何なのか。なぜ医療の現場に情報が必要なのか。大学や公的機関、病院の中に情報担当者が足りないこと。一次産業、二次産業、三次産業と発展してきた産業史のように、医療もまた発展しているとして、一次情報たるエビデンスがどう配置されるべきなのか。誰がどこにどれだけの金をかけるか。NHK、朝日新聞、テレビ東京、バズフィードジャパン、国立がん研究センター。報道連合軍の必要性。フェイクニュースやヘイトスピーチと類似した構造。他分野の集合知がそれとどう戦ってきたかという歴史。

医者たちはどう生きるか。

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連載を始める。

OK google、医者はこれからどうしたらいいと思う?

これでは答えが返ってこない。

「はじめまして・・・・・・やあ、やっと会えた。」の人は、少なくとも一緒に悩んでくれたぞ。

シナプスを持続的に発火させる必要がある。一晩眠って朝起きて、ぼくは決意した。まだ一度も世間話をしたことのなかった大須賀先生とのやりとりで、ぼくが感じたこと、思ったこと、考えたことを書こう。

タイトルは寝る前に決めていた。

アレクサ、看取って。

これに、答えが返ってくるかもしれない未来にむけて、勝負を挑む。

医療情報発信は趣味ではない。これは医業であり、知性を傾けるに値する学問であり、おそらくぼくがライフワークにすべき戦場なのだ。

(2019.9.30 ①)


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