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70.会わないから言える

職業としての地下アイドル

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三省堂書店池袋本店のヨンデル選書フェアでお買い上げの方に渡す特製カードに350文字のオススメ文を寄せた。以下、そのまま引用する。

この本を「質的社会調査の方法」から矢印で結んだあたりは我ながらいい感じだなーと思います。姫乃たまという人はぼくの中では純文学者で、そもそもアイドル活動をしているところを見たことがなく、雑誌連載などもほとんど読んでなくて(ごめんなさいね)、でも唯一noteの連載を毎回めちゃくちゃ楽しみに読んでいます。西村賢太か姫乃たまか、というくらいの人なのです。つまりは「文豪」ポジ。で、もともと地下アイドルをやっていらした方(もうすぐ引退される)で、本書では地下アイドルの体験談を書くかと思いきやわりとガチのフィールドワークを敢行し、地下アイドルをやっている人や地下アイドルにあこがれる人などの実態をきちんと調査して浮かび上がらせた社会学的な本なのです。こういうことをきちんとやれる人はすげぇなって思います。

この書評と共に選書して約2年、この間もずっとおいかけていたが、姫乃たまさんの人生はどんどん文学になっていった。



ところで、実際に会いたくない人というのがいる。それはぼくからすると「有名人」であったり「長く尊敬していた人」であったり「文章が異常にうまい人」であったりする。会うと幻滅してしまうのがいやだ。といっても、相手に幻滅するのではない。そういう「表現がすばらしい人」に自分が見られることで、何かを書かれるとしたらぼくはこういう感じで書かれたいと無意識に自分が外面を調整し始めること、そのことに幻滅するのだ。

尊敬している人に会った自分にぼくは幻滅する。し続けている。

姫乃たまさんとは会ったことがないしこのあとも会うことはないのだが、この方の文章を読んでいると、「もし会ってしまうとぼくはその瞬間から自分に幻滅するだろう」というのがよくわかる。なぜなら姫乃たまさんは文学者だからだ。ぼくは文学者には会いたくない。自分にその文学を届けてくれた人に、恩を仇で返すことになるようで、いやなのだ。

今の世の中が「会えない」ことを前提として動いている中、ぼくははっきりと、助かっている。「会わなければできないことがある」と楽しそうに言う人たちのせいでぼくはこれまでどれだけのことを、どれだけの自分を犠牲にしてきたのだろうかと思ってしまう。会わないからこそできることがある。たとえばそれはこのように本をゼロ距離で絶賛するということだ。ぼくは本当は二度と誰にも会いたくないのかもしれない。会うとしたら「知性のない人間」がセカンドベストであり、「お互いの知性がない状態で会話できる人間」がベストである。そんな人はもうどこにもいないし、いてはいけない。


(2020.9.18 70冊目)

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