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乱文乱筆乱タッチ

マエダさん:

マエダさんが前回のお手紙に書かれた、

「読んでみてほしい」、って『猫に時間の流れる』を貸してくれた元同僚のこと(あとでもう自分で買いました。文庫にもなってたかもですけれど、貸してくれたのと同じ単行本を探しました)、読み返すたび、なんならそのあと保坂和志さんの新刊出るたびに、思い出してるし、中上健次や丸山健二を教えてくれた大学のときの先輩の気配は、その本と一緒に棚に並んでる。

ここ最高ですねえ。

本を貸してくれた人の気配が本棚に並んでいるというくだり、ぼくはたぶん、この先忘れることはないでしょう。

誰かに映画化して欲しいな。今泉監督がいいな。

そうそう、細かいんですけれど、

文庫にもなってたかもですけれど、貸してくれたのと同じ単行本を探しました

がまたなんともしみじみいいです。わかる・・・・・・。

ぼくは普段、理解はするけれど共感はしないというツイッタラーの鑑みたいな暮らしをしていますが、今回はわりとマジで共感しています。単行本と文庫にはそれぞれの良さがあって、言語化しきれていない部分もあるんですけれども、その両者を「買い分ける」ことが確かにあります。そして、誰かに貸してもらった本を自分で買い直すときには、ぼくも「絶対に元と同じ判型を選んで買う」と思います。わかりみがふかみ。


ほかにも、駅前のロータリーのベンチやら大阪・和歌山間の往復やら、さらにいえば「車窓から海が見えるときだけ顔をあげる」くだりやら、うーん、いい読書経験をお持ちですね・・・・・・。

マエダさんを西野マドカと引き合わせて、しばらく語り合わせてそれを横で見ていたい気分です。

そう、『さばくのひがさ』で文通している西野マドカがまたいい本を読んでて(ときどき本を教えてくれます)、さらに、おそらく、彼女の読書体験もきっと極上なんですよ。たぶん。想像ですが。


ぼくは「いい本を読む人間の文章」が好きです。マエダさんの文章もですし、西野マドカのもです。

あ、「逆」もあるかな。

 「この人の文章はいいなあ」と思ってから作者のことを調べると、けっこうな読書家だった、というパターンをよく経験します。精読・愛読するタイプの人の文章が、だいたい心地よく脳に入ってきます。

一方のぼく自身はわりと乱読家なので、じっくり読むタイプの方に、ある種のあこがれみたいなものがあるのかもしれません。

たとえば浅生鴨という作家、あの方が前職にいらっしゃったときから、ぼくは彼の文章のセンスに惚れ込んでいましたが、「鴨化」してからの彼が古本屋で対談をしているのを見ていて、ああやっぱり「精読タイプ」だった、とうれしくなりました。

そういえば『買うまでが読書』は彼の言のパクリです。



ぼくは乱読で、小説は二度読めないくせに、エッセイや紀行文は何度も読み返すという少しこじらせた読書体験を送ってきました。そして、積ん読が落ち着かない。

「あとは扉を開くだけ、という状態でまだ開かれずにそこに置いてある本」

をみると、動悸がします。なるべく積ん読を作りたくない。積ん読がなくなった瞬間にドカンと買いますが、買ったらあとはとにかく読みます。積ん読がなくなるまで。なくなったら買う。買ったら読む。自転車操業ならぬ自転車読書です。

確かにぼくも、手元に読む本がなくなったら震えちゃうんですけれど、読む本がなくなったら、何度も読んだ沢木耕太郎や椎名誠や須賀敦子を読み返せばけいれんがおさまります。こないだも『雑文御免』を2日かけて再読しました、仕事をほっぽらかして。

なお、旅先で本がなくなる恐怖にはKindleで対応しています。スマホのKindleには深夜特急を入れてあって・・・

あっ! 忘れてた!

ここまで書いた内容をひっくり返すようでアレですが、実はぼく、

Kindleには積ん読があります。

紙の本を積ん読にすると、まだ読んでいない本が目をキラキラさせて(?)こっちを見ているような気がして落ち着かず、一刻も早く読もうと思うのですが、スマホのKindleで本を買うと、買ったことを忘れてそれっきりになってしまうことがあります。

ズボラと言えばそれまでですが、わりと本気で、「Kindleは積ん読を増やしてしまうから体に良くない」という側面、もっと世間は気づいてクローズアップしたほうがいいと思います。紙の本の方が体にいいですね。床にはよくないかもしれないけれど、ぼくはやっぱり、置いてある本の気配(!)を感じて、さあ読書するかな、という流れを大事にしたい。


・・・


マエダさんが前回おすすめしてくださった、

若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房/本体価格1200円+税)

は、かの書房に注文しました。まだ届いてないかな。もうそろそろ届いたかな。

実は数年に一度くらいのスパンで、目線が文字の上を滑るばかりで本を読めなくなることが、半・定期的に起こります。そういうときは、マリオをやったり、ポケモンをやったり、ゼルダの伝説をやったりしています。あとはわりと、UFOキャッチャーとかをやる。

でもまあそういうぼくのための読書論・・・ってことでもないんだろうけれど、読むのがとても楽しみです。

そうそう、マエダさんは『書店本事』も入手されたそうですね。『書店本事』、必ずしも成功例ばかりじゃないのがなかなか心にしみます。似たような流れで、こないだようやく、ご当地札幌の有名書店の話を読みました。

『奇跡の本屋をつくりたい』(久住邦春/ミシマ社)

かの書房が本棚に置いてたので「今だな」と思って読みました。

いやー、最高でした。この本にはもっと早く出会いたかった。去年出た本だけどそれでも遅く感じる。積ん読になるのがいやで、一度買うのをやめたんです。それが失敗だったなーと感じます。


長くなりましたがもうひとつ。

マエダさんのお店の某フェア、一度だけ見に行けるかもしれないチャンスが訪れます。今度の日曜日に神戸に行く用事があるのですが、前日、神戸で犬とDJと広告屋が登壇するイベントがあって、神戸と大阪なら余裕だなと思って大阪に寄ることにしました。夜のイベントの前に、こっそりお店を見に行きたいなと思っています。あまり時間がなさそうなのがネックです、本棚は、時間がゆっくりあるときにこそ見るものです。ただ、これで終わりじゃあるまいし、まずは、偵察に。


うーん、書き終わったお手紙を読み返して思いました。乱読家の文章ってとっちらかってるな! 今回は趣旨に沿ってるから、このままでいいか・・・・・・。

(2019.11.29 市原→前田さん)