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よんどく つんどく

前に「気楽にまた新たに書きます」ってふうに書きましたけれど、ヤンデルさんのお返事読んで、もっと気楽になりました。気楽になったらすごく書きたくなったので、これ、もう、すぐ書き始めてます。(書き終わるのはすぐじゃないかもしれません。←追加:ぜんぜんすぐじゃなくなりました)


本と出会うことって本屋込み。
読まなくても読書。
積んでても読書。
ってすごくいいです。


「本って、読む以前に、どこで手に入れたか、ていうかどこに並んでいるかにも文脈があるんですよね。だから、置く場所によって見え方は違うし、買った書店とセットになって心に棲み着く。」


そしてヤンデルさんが云った、本を読む傾向の2つ。

1.自分の信頼する人が薦めた本
2.自分の信頼する店に置いてある本

本と出会うことは本屋込みって②番ですね。
学生の頃ハマった小説とかを買いに行った本屋の棚はいまでも思い浮かべることができます。それこそその本屋のその棚にハマらせられてたのかもしれませんけれど。「前にこの本買ったね。面白かったから、またこの棚のまえに来たんだろう?じゃあ次はこれだね」って棚が云うわけです。そうして読み終わったらまたまた行っちゃわないわけにはいかない。

それから①番もほんとそうです。
「読んでみてほしい」、って『猫に時間の流れる』を貸してくれた元同僚のこと(あとでもう自分で買いました。文庫にもなってたかもですけれど、貸してくれたのと同じ単行本を探しました)、読み返すたび、なんならそのあと保坂和志さんの新刊出るたびに、思い出してるし、中上健次や丸山健二を教えてくれた大学のときの先輩の気配は、その本と一緒に棚に並んでる。

その本たちと本屋の棚たち。
その本たちとすすめてくれた人たち。
セットで信頼をよせてたのでした。

そう。
いま『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』読んでるんです。
そういうわけで、僕にとってエーコはヤンデル、ヤンデルはエーコ。になりましたよ、いま。
(で、これ書いてるうちに読み終わりました。『薔薇の名前』を付録にした雑誌が200万部売れたって話。で、本屋はそれを非難してたけど売り上げに差は出なかった(新たな読者を獲得してた)って話、面白かったです。そのあとカリエールが話した駅のホームで4、5冊本を置いて日が暮れるまでずっと読んでる男の話。これ、若い頃いっとき僕もやってました。駅のホームじゃなくて駅前のロータリーのベンチでしたけれど。夏場、大阪から和歌山まで行く普通電車に乗って本を読むためだけに何往復かしたこともありました。和歌山に近づくと車窓から海が見えるので、そのときだけ顔を上げる。その風景、炎天下の日差しにきらきらきらきら瞬く海も、本を読む記憶と込みになっています。)


あと、同じく取り上げておられた『書店本事』、やっと入荷しました。2冊注文してたんで1冊はすぐ買いました。ヤンデルさんと同じようにおうちでちょっとずつ、行ったことない台湾に想いを馳せながら読んでます。
ヤンデルは台湾。
台湾はヤンデル。
(すみません。書きたくなっただけです)


ところでヤンデルさんは時々積み本いまなくなったって云ってらっしゃる。僕は絶対なくならないです。えんえん。たぶんほんとに積み上げたら天井まで届く。本柱です。
これ、読むの遅いのもあるけれど、追いつかないくらい読みたい本に会ってしまう。で、本って出会ったときに買っとかないと、二度と出会えない本があります。この本ともう会えないの、いやだなって思ったら、ともかく買ってしまう。
あと、読んでない本が(もちろんおうちに)なくなるってことが、不安で不安でしょうがない。貯金がないの、気にしたことないけれど、本の貯えがないのはいたたまれない。明日食べるご飯がなければ(1日ちょっとなら)我慢できるけれど、明日読む本が尽きたら、飢餓感で震えます。
僕は出かけるときにも鞄に2、3冊くらい本が入ってないと、落ち着かない。これはでもヤンデルさんもそうですよね。

読まなくても読書。
積んでても読書。

前にtoi booksさんで買ってまだ読んでない本があるのに、今日またtoi booksさんに行ってきました。

さて、このあたりで。
と思ってたのですが、toi booksさんで買った本のなかで「これは」ってなったのがあったので、紹介します。
若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房/本体価格1200円+税)です。
(たぶん)僕は本を読めなくなったわけではないけれど、読んでてもほんとに読んでるのか、を考えさせられる、というか、そもそもの「読む」という行為について深く考えさせられる本です。
カバー見返しにある文を引用します。
「本が読めなくなったのは、
内なる自分からのサイン。
だから、読めないときは、
無理して読まなくていい。
読めない本にも意味があるから、積読でもいい。

知識を増やすためではなく、
人生を深いところで導き、
励ます言葉と出会うためにする読書。
その方法を、あなたと一緒に考える。」

読めない本にも意味があるから、積読でもいい。これ読んで「あ、この本買おう」ってなりました。
この本のなかで若松さんも言葉を食べ物に喩えてらっしゃいました。ほか、読むことをさまざまなものに喩えてらっしゃる。
読むということは(積むことも含めて)、いままで考えてたよりずっと自分のなかの本質的なことだと思ってきてます。

(追加:『本を読めなくなった人のための読書論』、読み終わりました。エーコとカリエールの話、ヤンデルさんの話、があって、たまたまtoi booksさんで出会ったこの本。決定的。です。「本を読む」ということについて、考えさせられが立て続けです。もっと深いところまで流されていきたいと思っています。ひきつづき、お流しくださいますよう)


(2019.11.19  前田 → 市原さん)

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