聖書という鈍器
この往復書簡マガジン『俺たちは誤解の平原に立っていた』も、終わりが見えてきました。
たぶんあと50回くらいは続けることもできたと思います。
誤解の平原ってのは広いんです。だから、書けることもいっぱいある。
でも、20回でいったんまとめることにしました。
なぜなら、私たちは、これまで書いてきた内容を「さまざまな手段で、世に広く呼びかける」ことをやりたいのであって、noteに連続で記事を積むこと自体を目標にしているわけではないからです。
「誤解の平原で生き抜くこと」が目標だからと言って、
「誤解の平原の地図を細部まで細かく完成させること」ばかりにこだわっているつもりはありません。
ドラクエ3の目標はゾーマを倒すことですよね。
小さなメダルの取り残しはないかどうか、マップの隅々まで探検することにこだわっていては勇者とは言え……あ、いや、それはやるか。
ともあれ。
明日、私たちはTwitter Spacesでお話しをします。
ここでは、往復書簡マガジンで語り合ってきたことをベースにしながらも、「より多くの人びとに、やさしい医療の話を考えてもらう」ことを追究していこうと思います。どうぞお楽しみに。
ところで、往復書簡形式の記事というのはとても書きやすかったです!
無から自分で記事のすべてを構成する場合とくらべて、相手が発した言葉や扱ったテーマを「きっかけ」にして書き始めると、記事の方向が早いうちに決まりやすく、問題点も明確になりやすいです。2名の書き手が交互に語るというのも、飽きなくておもしろい。
特に、今回の私は、大須賀が書いたことに「リアクション」しながら記事を書いていましたので、とってもラクでした。大須賀は話題を提供するほうの役割でしたので、けっこう大変だったと思いますけれどね。
さあ、今日も、前回の大須賀の記事をもとに、なにかリアクションをすることにしましょう!
▼前回の大須賀先生の記事はこちらです。読まれてますねえ。
「ゼロリスクという誘惑」を読んだ純粋な感想は、「大須賀の書き方はとてもうまいなあ」ということです(笑)。
でも、私は読んでいる途中に、少しだけ、懸念というか……。
最近気になっていることをフワフワと考えていました。
気になっていることとは他でもありません。
近頃とてもよく見かけるようになった、
ゼロリスク信仰はだめだ! などと、強い言葉でツイートする人たち
のことです。
ニセの、不適切な医療情報と「戦う」医療者の数は、この1,2年で激増したように思います。
その原因は、もちろん、新型コロナウイルスの蔓延によるものでしょう。
世間がこれだけ医療に関心のある状況では、医療者たちにも義侠心みたいなものが湧き上がってきます。
少しでも適切な医療情報の発信を手伝いたい! と、多くの医療者が考えて実行しています。
そんな医療者達の「善意の発信」の中には、今回大須賀が丁寧に書いた「ゼロリスク」についての言及も、しばしば見受けられます。
ただ、その言い方が、ちょっときついんですよね。
・リスクがゼロの治療法なんて詐欺に決まっているじゃないか。
・標準治療の副作用を必要以上に強調するニセ医学のやり方は卑怯だ。
・科学的に考えればゼロリスクなんておかしいとわかるはず。
うーん、これらは確かに、全部正しいことなんですけれど、その言い方は、不安を抱えている受け手にどう受け止められるだろう?
最近、この、「正しいんだけど、トゲトゲした発信」のことが気になってしょうがないのです。
話はゼロリスク信仰にとどまりません。
・△△なんていう発信をするなんて……いったい……何の真似だ!
・ガタガタ余計なことを言わずに標準治療!
・○○というニセ医学を喧伝してるやつらは、テロリストだ!
攻撃力の高そうなツイートを、「善意の医療者」のタイムラインに見かけることは、しょっちゅうです。
このような強い言葉は、読む人にどんな効果をもたらすでしょうか?
私は、強い言葉には、それ相応のリアクションが返ってくると思います。
殴りつけるような言葉は、たとえそれを読んだ人が直接攻撃されていなかったとしても、心の中に小さなささくれのような傷を残すと思いますし、
叩きつけるような言葉を受け取った人からは、作用に対する反作用のような、勢いが強く、攻撃的な反応が出てきがちです。
私がこれまで、大須賀と、和気あいあいとやりとりを続けてこられたのは、大須賀の書き方がどこまでもやさしく、丁寧で、論理的ですが難しすぎず、「落ち着いて反応しやすい文章だった」からです。おかげで、私もウサギだとかワクチン2倍だとかのホンワカしたリアクションができました。
でも、大須賀がもう少し、攻撃的な言葉使いをしていたとしたら……。
「正しいことは言ってるよ。でもさあ、その言い方はさあ、なんかさあ、気に食わねぇんだよな!」
ってこと、ありえたと思うんですよね。
どんなに良いことを言っていても、それを武器のように使えば、受け止めた人は傷つきます。
聖書のカドで人を強く殴ったら、痛いですよ。
ぼくは、人を言葉で殴りつけたりはしたくありません。
犬に笑い声を叩きつけるくらいのことはしますが……。
8月5日、よる8時。Twitter Spacesでお目にかかります。
#SNS医療話 。
「それはまあ正しいんだけど、言い方ってものがあるじゃん」とか、「それも確かに言わなきゃいけないことだけど、こっちの人たちにも声をかけたほうがいいんじゃないか」とか、「科学的には合ってても、言葉的にはよろしくない、みたいなことはあるよね」とか、そういう感じのことをジャンジャンお話しする回になると思います。