二項対立のワナと情報の聖塔
▼前回の大須賀先生の記事はこちら。
多彩な色の無数の糸でできた毛糸玉。その1本を引っ張ろうとすると、他の糸と絡んでいて抜けない。無理に引っ張ろうとすると、余計に絡んで、全くほぐせない。
そんなやっかいな毛糸玉。
もーー。と叫んで、ハサミでジョキジョキ切り始めてしまう人もいるのですが、この毛糸玉の糸はどれも大事なものばかりです。
雑に切ったりせずに、ゆっくりと、慎重に、ほぐしていきたいと思います。
――「医療情報を俯瞰する」/大須賀 覚
大須賀先生からの手紙、拝見しました。ほう……と感心しました。
「一本目の糸」。
正確性の高い情報がたくさん集まっていることがわかるかと思います。これは多くの医療者や研究者が同一の見解を述べていることを表しています。それぞれの円の間には、周囲に若干のズレがあるものの、中心部はほとんど重なっています。
それに対して、不正確な情報の領域をみてください。ここには孤立した円が複数存在しています。ほとんどは孤立していますが、若干名で重なり合っているものも見られはします。しかし、多数の重なりがあるものは見られません。
この中心部の重なっている情報こそが見るべきもので、それを発信している医師群こそが追うべき人たちということになります。
――「医療情報を俯瞰する」/大須賀 覚
まったくですね……。
「適切な医療情報」は、確かに、重なっています。
科学的に妥当な情報は多くの専門家が「異口同音に」言い表しているものです。
言われてみればぼくらは、「○○大学の偉い教授が言ったからこの情報は正しいだろう」とか、「○○病院の○○科の人が言ったからこの情報は合っているはずだ」みたいな判断は、あまりしていませんね。
とくに、「誰かひとりが言っていること」については、まず飛び付かない。
複数の「信頼できる発信者」が似たようなことを言っているかどうか。
これは目安のひとつですね。
ところで。
大須賀先生の図でおもしろいのは、「正確」の周りに集まるものに、多少のムラがあるということです。
この図の、「緑色のマル」は、完全には一致してないですね。
(再掲)
専門家たちが医療情報を語るとき、それがいかに「医学的に正しい」情報であっても、一語一句が同じになるとは限らない、ということです。
専門家がその人なりの視点で考えた結果、表現は少しずつずれますし、内容すらも微妙にずれていることもあります。
専門家が100人いたら100通りの「視座」があります。
視座が異なれば、見える風景は微妙に違います。
あたかも、「富士山を、山梨県側と静岡県側から見れば、形がちょっとずつ違う」かのように。
富士山をいろいろな角度から眺めてカメラを構えると、人それぞれ、少しずつ違う写真が撮れるでしょう。もちろん、立ち位置だけではなく、太陽の位置や雲の量、季節によっても写真は変わるでしょう。
でも、それらはいずれも、同じ富士山という山を撮ったものです。
標高は変わりませんし、生えている植物だって、地図状の位置だって、ほんとうはすべて同じです。
複数の人々が異口同音に似たようなメッセージを発するとき。
それらの些細な違いはともかくとして、「これは確実に、富士山だ!」と、ぶれずに浮き上がってくる部分があります。
そこが「ほんとうに正しい医療情報」だとぼくは思います。
↑この図、大須賀先生は、わかって描いていらっしゃいますよね。
複数のマルが重なった部分の色が、少し濃くなっています。はみ出たところは薄い。
重なりが一番強いところが、医療情報としてもっとも信頼性が高いということを、きちんと表した図なんですよね。
さすがだなー。
さて、ぼくも、絡まりを解きほぐして、次の一本の糸を引っこ抜くことにしましょう。
もう一度、先生の図をお借りしますよ。
「正しい・適切な・やさしい医療情報」と、「それ以外の医療情報」とを見分けるときに、これらが、
二項対立の構図にはなっていない
ということはとても大事です。
たまに、「医学 VS ニセ医学」みたいな構図の語りを見ることがあるんですが……。
「ニセ」は、本来、まばらなんですよ。複数の信頼できる人が支持していないから、語る言葉も少ないし、論理的な構造がどこか破綻している以上、「ニセ同士」の連携も取れていないはずです。
ところが。
「あのニセ医学をぶっ倒す!」と二項対立の構図にしてしまうと、あたかも、
「ニセだったもの」が、「マイナーだけど尊重すべき別の論理」みたいに見えてしまうんですよね。なんなら、注目も集まってしまう。
冷静に、引いて見ればねえ。
なーんかとっぴなこと言ってるのがはしっこの方にバラバラいるなあ……って感じなんですけどね……。
この、「無数の情報を俯瞰しながら、より多くの専門家が異口同音に、重なりをもって述べている内容を選び取る」という感覚、大事だと思うんだよなあ。
お、2000字を超えたので、今日のぼくはこのへんで。またお手紙書きます。次回は大須賀先生、よろしくお願いします……
あ、そうだ。恵三朗先生(『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』)が。
ぼくらのマガジン、『俺たちは誤解の平原に立っていた』に、プレゼントをくださったんですよお。