皆さんカエルにキスってできますか?

こんチワワ。


Twitterでも呟いたのですが、こちらの記事で2021年オモコロ杯金賞(ヨッピー賞)をいただきました。

審査員の皆様ならび、オモコロ読者の沢山の方々に読んでいただき感無量錦戸亮です。ありがとうございます。

オモコロ杯全体の結果はコチラ


オモコロは中学の時から知っているサイトであり、ヨッピーさんは昔から尊敬するライターの1人でもあるんです。(媚び売りとかではなくこれはマジのガチ)
その方々から直々に評価をいただき、更に賞まで賜ってしまうとは、こんな大層なことが有り得てしまって大丈夫なんでしょうか?
俺、もしかしてもうすぐ死にますか……?

だから今日は別にnoteを書かず嬉しさに浸ろうかな〜と思ってたんですが、1ヶ月続けると書かない方が気持ち悪いというか、寧ろここで書かないとカッコ悪いぞとすら思ってしまうんですよね。

後、今日更新しないと浮かれてる、調子乗ってるとか思われるのがめちゃくちゃ怖い。
なのでオモコロ杯の話はこの辺で、いつも通り映画感想書きます。

ちなみに正直言うとめちゃくちゃ浮かれてる。

Slipknotを爆音で聴きながらウィルキンソンのウォッカを直瓶でいくぐらいには浮かれてる。

酒、最高です。
自己顕示欲も満たしとこうかな。


『プリンセスと魔法のキス』

クッソキラキラタイトル。

言わずもなが、ディズニー映画なんですが、この映画はタイトルのせいで死ぬほど損をしてる映画でもあります。
皆、見るの恥ずいっしょ?こんなキラキラタイトル。

名の通り、プリンセスストーリーであるんですが、『白雪姫』や『シンデレラ』のような所謂ステレオタイプの受け身なプリンセスではありません。
タイトルはめちゃクソキラキラ夢見がち乙女が考えたようなタイトルなのに……。

原作はグリム童話『かえるの王さま』。
お姫様がカエルにキスをすると王子様に変わって…といった至ってシンプルなおとぎ話です。

主人公のティアナはニューオリンズの町でウェイトレスをする至って普通の女の子。
“普通の”という時点でもう若干他のプリンセスと違ったところがありますね。

彼女には夢があります。いつか自分の店を持ち料理人として成功する夢。そのためには貯金が必要になってきます。
朝も昼も夜も汗水流して働くティアナ。
帰ってきたままの姿でベッドに倒れ込む姿なんて、リアルすぎて正直我々が知ってるプリンセス像には程遠い。

それもそのはず、ティアナの目には夢しか映っていないんです。
恋愛なんて二の次、いや、寧ろ夢のためには要らないなんて考えてます。

おとぎ話の『かえるの王さま』を読み聞かせられても、カエルとキスするなんて絶対に嫌!と吐く仕草を見せるほど現実主義な女なんですよね。
夢見がちヒロインなんて時代遅れ!強い女は恋なんて味方に付けない!という流行に乗っ取ったプリンセスです。

また、プリンセス映画でありながら、作品の半分も女の子が出てきません。

出てくるのはカエルばかり。

絶妙に気持ち悪く描かれた(足がスラッとしすぎており不快、舌が長すぎる等)カエル。

このカエルの正体は、言わずもなが主人公ティアナとそのお相手ナヴィーン王子なのですが、とにかく可愛くない。
いや、可愛い、可愛くないで作品の善し悪しが決まるわけではないですが、ディズニー作品と言えばキャラクターのインパクトをかなり重要視してるイメージがあるんですよ。
「可愛い」、「愛嬌がある」、「見ていて癒される」。
そういう愛くるしさが基本的なディズニーキャラクターにはあるんですけど、今作のカエルはマジでただのカエル。
「愛くるしい」とかの前に「カエルすぎてキモい」。

その他のキャラクターも絶妙に可愛くない。
ジャズが好きな太っちょのワニ・ルイスや、浮浪者のようなおっさん顔のホタル・レイモンド、魔術師のママ・オーディ等、微妙な面々が揃っています。

微妙すぎて正直パッとしないんですけど、逆にそこが良い。
寧ろ、この地味さやキモさは今作において重要な役割なのではないでしょうか。
何故なら、この作品のテーマは「人生において必要なことを見つけること」だから。

例えば、ナヴィーン王子。
彼は王子故、自分で何もして来なかったお気楽人間です。
金は親が出してくれるから好きに使い、働きもせず、とにかく楽をして生きていきたい人。世間知らずでピュアだから、ヴィランのフェシリエとも簡単に契約を結んでしまう。
カエルになったナヴィーンは「人間に戻ったらお気楽に生きる」と願うのですが、ママ・オーディは問います。
「お前に足らないのはなんだと思う。」

この場合、ナヴィーンに足りないのは「自制心」で、「労働して自ら金を得ること」、「自分のこと以外に気をかけること」をママ・オーディは諭してるわけです。
つまりは、極端な話、“お前は人間であろうがカエルであろうが、根本が終わってるので姿かたちは関係ありません帰れ”ということになります。

カエルという醜い姿に変わったことをテーマにしていると、どうしても『美女と野獣』の「人は見かけによらない」といったメッセージと被って見えます。
ただ、そうではなく、「姿かたちに頼るのではなく、自身に与えられた生を受け入れて、豊かにするために何が必要かを考えるべき」といったメッセージなんですよね。

だからこそ、キャラクターが微妙な方が作品に説得力が出る。

そして。この映画で個人的にめちゃくちゃ好きなのが、主人公達の順応力の高さです。
カエルになって最初こそは戸惑い嘆くティアナなんですが、危機に直面した際はテキパキと動いて解決していく。
水中もスイスイ泳ぐし、なんなら虫だって食べたくなる。カエル用の小さなイカダを作り、池の沼でスープを作る。
ナヴィーンも同様で、持ち前の明るさからカエルであることに悲観をしない。元々コミュニケーション力には長けており、上手いように困難をすり抜けていきます。

カエルにされて数時間も経たずに環境にマッチしていく2人…いや2匹。
サバイバル能力の神。

これは「新しい環境に置かれてもグズグズせずしっかり前向きにいきなさい」といったメッセージでしょうか?
分からないですけど、適応力高すぎて本当に笑っちゃう。


だからこそ、『プリンセスと魔法のキス』なんて乙女チックなタイトルは損してるんです。
プリンセスストーリーなんて子供騙しだと思ってる人にとって救いの物語であると同時に、カエル達が繰り広げるアドベンチャーストーリーであるのに。



終わり


ところで、この記事もかなり面白い記事なので皆さん読みませんか???
マジでおもろいです。
自分のこと天才だと思ってます。

というか、文章の仕事、欲しいです!!!!
すみません、バチクソに欲を出してしまい。

ください。何でもやります何でも書きます最終手段がどこかに落ちてる…。

DM待ってます( ‘-^ )-☆
Twitter→@MU_uu_p


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