金無し、夢無し、希望無し。

 こんばんは。久しぶりにエッセイというか思ったことをつらつらと。

 「若者の〇〇離れ〜」という言葉をよく耳にするが、果たしてそれは本当なのだろうか。むしろ、若者から色々なものが離れていっている気がする。

金無し

 僕は世間一般の平均給与より低く中央値と同程度の年収をもらっている。
 その給与で家賃や公共料金を支払った後に手元に残る金額は僅かなものである。その中で、食費や交際費に使うお金も差し引きすれば、将来への貯蓄に回せるお金は僅かだろう。
 子育てをしたいと思うと、子供1人の場合の世帯年収は500万、子供2人の場合だと世帯年収800万が理想といわれているらしい。仮に夫婦共働きとなると、それぞれ年収400万を稼がないといけない計算だ。でも、女性の場合は産休・育休を取得するから、絶対に男性の収入だけでやりくりする必要が出てくる。つまり、そこまでにある程度の貯金をしておいたほうがいいということだ。
 でも、そこまでの貯金ができる20代がどの程度いるのだろうか。それに産んだ後の子育てにもお金がかかる。
 「教育格差=親の経済格差」といわれている現代では、子ども1人あたりにかける金額は増加傾向にある。そして、それはスパイラルとして繰り返されている。
 幼少期より高度な教育を受けて難関大学を合格して学歴フィルターを通過して大手企業に内定をもらい高収入を得る暮らしをする。ゆくゆくは結婚して子どもを授かる。さて、その子どもはどうなるだろうか。
 きっと自分が受けた教育と同等か最低でも大学卒業までは勧めるだろうし、その費用の捻出も厭わないと思う。なぜなら、それが親から自分に与えられた環境だから。それを自分の子どもにも与えたいと思うのは当たり前だと思う。
 でも、そんな最高のスパイラルの中を生きていくのはほんの一握りの世界だと思う。
 殆ど多くの人は、共働きの両親に育てられて何とか四年制大学に滑り込んで入学したものの、会社員として働いてみると年収は中央値前後。奥さんを専業主婦にさせてあげることはできず共働きで少し貯蓄に回せるのが関の山。子どもを授かっても幼少期からの塾通いや小学校頃から私立学校へ行かせることができる人は稀だろう。
 そうなると高校を卒業後の進路も親によって左右されることが大きい。もしも、親が共に大卒であれば苦労をさせてでも大学に入れさせてあげたいと思うかもしれないが、両親が高卒である場合は、高校卒業と同時に就職を勧めることが多いと感じる。これは周りの友人を見ていて強く思う。

 大学進学がゴールではないが、大卒と高卒で給与が大きく違うのは重要な事だ。これを知らないで勉強したくないから高卒で就職しようと考えているならば、それは将来大きく後悔することになる。もちろん、将来の夢があり一刻も早く社会に出たいという強い思いがある人ならばそれを追うために高卒で社会に出るのも良いと思う。
 しかし、今は大学卒業しても給与は低い時代。大卒でも高卒でも理想年収よりも実際の年収が下回っている中で、自由に使えるお金を沢山持っている人たちはどのくらいいるのだろうか?少なくとも僕は毎日がギリギリの生活である世界の住人だ。

夢無し

 昔は、マイホームを買って、マイカーを買って、子どもも2人いて、という理想が実現できたのかもしれない。
 でも、今は老後2000万円問題や大企業の倒産や事業縮小、少子高齢化に日本の総人口の減少問題など、将来への不安なニュースばかりである。むしろ、将来が楽しみになるような明るいニュースがあるだろうか。
 今働いている企業も一生涯安泰といえる時代ではなく、どの業界のどの会社でも倒産するリスクは常に抱えている。そして、企業は残り続けていても雇われている人が永遠に雇われる保証はどこにも無い。
 AIの発達は目まぐるしく実用化の段階に徐々に移行している。そうなると、今までオペレーターとして働いていた人たちの職が機械に奪われていく時代が進んでいく。
 そして、年功序列だった給与体系も実力主義や成果主義を導入している企業が増えている。これは結局のところ、今まで年功序列で沢山の給与をもらっていた中高年世代は給与据え置きで、働き始めやこれから入社する20代の給与に大きく響いてくる。もちろん、あまりにもひどければ中高年の社員も減給はあるだろうが、今まで勤め続けてきた功労もあるだろうし、そう簡単に給与が大幅に下がることは滅多に無い。
 つまり、今の若者世代は年齢と共に年収が大きく上がることもなく、常に自分より下の世代とも戦い続けなければ給与がもらえないという事だ。自分1人でも生活がやっとできるかできないかの状況で、将来に期待が持てるわけがない。
 マイホーム購入をしたところで、これからどんどん日本の人口が減っていくと同時に家の資産価値も下がっていくだろう。そうなると、全国で少しずつ話題になっている空き家問題も加速していくかもしれない。それならば、マイホームを購入して月々高いローンを返済するよりも賃貸で生活をしていくほうがいい、と考えるのも一理ある。20代である自分の40年後には、都心部でも空き家が目立つことになるのかもしれない。そうなったら、今ここで35年の住宅ローンを組んでマイホームを購入するよりも少し様子を見ようとするのは当然なのかもしれない。

 マイカー購入も同じだ。車は持っているだけで税金を支払わなければならない。そして、維持費も支払う必要がある。自動車が国の基幹産業であるのに、その車を購入して維持するのも大変だとは何とも皮肉なものである。そして、街を見渡してみると高級車に乗っている高齢者が多い。今の自分の年収の何倍もする高級外車に乗っている老人から「若者の車離れ」と言われても、購入して維持する金額が無いのだから仕方ないだろう、と言い返すしかない。
 こんな時代を生きていて夢を持つのは大変難しい。夢を持つのは簡単かもしれないが、夢を持ち続けるには相当の体力と気力が必要なのは間違いない。

希望無し

 若者は政治に無関心だと言われる。
 関心が無いわけではないが熱心なわけでもない。
 世代別の人口を見ても20代や30代はその上の世代よりも人口が少ない。政治家も若者よりも中高年をターゲットにしたマニフェストを掲げたほうが票が集まりやすい。
 そうなると、結局は若者の意見が反映される政策は実現されるわけもなく、我々のような若者世代は政治への興味関心が薄れていくのは当然ではないだろうか。
 そもそも、「ゆとり世代」と一括りにされてバカにされている私としては、そのような教育方針を掲げた当時の政治や世論に対して怒りしかない。そして、その当時の人たちが「ゆとり教育は失敗だった」と言うだけでなく、その教育を受けた人たちをバカにするのは到底許されることではないと思う。
 こんな人たちが投票数では有利だとするならば、この先の未来にも希望が持てるわけがない。

最後に

 「ありのままでいい」「周りの人の個性を尊重しよう」と言われたけれど、世の中にはまだ他人の個性を受け入れられない人も多く、そのような世代の人達の失言も多いようにかんじる。
 そのような世代が去り、我々の世代が中心となった時に何ができるかは分からないが、今の我々が受けている不遇な環境を繰り返さないようにしたい。


 こんな時代に夢や希望があるのだろうか。

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