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街風 episode7.2 〜右腕の線〜

 「感謝」をテーマにスピーチをします。

 アケミちゃんがそう言った瞬間に、クラスのみんなからはブーイングの嵐だった。アケミちゃんっていうのは、うちの担任の先生であり国語の担当をしている25歳の先生だ。

 まだまだ男子たちを中心としたブーイングの嵐は止まない。でも、ここで反対をしているということは、無意識に来月の授業参観できちんとスピーチをしなければいけないって思っている証拠だ。本当に嫌なら、ここでは無難に過ごしておいて当日に休むなりサボるなりしてしまえばいい。

 「あーあ。面倒だなあ。」って思ってしまった私も勿論同じだ。でも、どうして中学1年生にもなって親に感謝をしなければいけないんだろうか。両親が嫌いなわけでもないし、むしろ大好きだと自信を持って言える。ただ、改めてスピーチにするのは少し恥ずかしい。両親と何でも話せる関係の私ですら恥ずかしいと思うのだから、思春期でアホ真っ盛りな男子たちはもっと恥ずかしさでいっぱいだろう。

 ”スピーチコンテスト” × ”授業参観” と来れば、アケミちゃんだって一石二鳥だし、さらに”今年のテーマ「感謝」”なんてもんだから、私がアケミちゃんの立場でも同じことをしていただろうなあ、としみじみと思いつつ憂鬱な気分になっていた。

 アケミちゃんは、男子たちのブーイングを華麗にスルーしながら授業を進めた。通常の授業と並行して週の1時間だけスピーチの準備に充てるそうだ。はーあ、来月の授業参観は土曜参観だから絶対にお父さんもお母さんも来るだろうなあ。しかし、どうして大人たちは子供のスピーチを聞きたがるのだろうか、近所のカズマ兄ちゃん達が夜な夜な浜辺でサイファーをしていることには眉を潜めているのに。

 「はい、じゃあ今日はおしまい!来週にはスピーチの内容の作り方を教えてから実際にみんなでそれぞれ本番に向けて台本作りから始めるからねー!」

 可愛い顔して淡々と強引に進めていくアケミちゃん、きっとこの世で彼女に太刀打ちできる人はいないと思う。

 「エリー!一緒に帰ろうよー。」

 放課後、アヤノが声を掛けてくれた。私とアヤノは小学校からの友達だ。2人とも吹奏楽部に所属しており今日は部活のオフ日だったので、私はそのままアヤノと2人で帰ることにした。

 「あーあ、スピーチは嫌だよねー。」

 アヤノが上を向きながらため息混じりに言った。

 「本当だよね。でもさ、アケミちゃんには誰も勝てないもんねえー。あれ、絶対に男兄弟の中で生まれ育ったんだよ!」

 私がそう言うと、2人でお腹を抱えて笑った。

 「で、エリは誰にスピーチするの?」

 「え?あれって両親へのスピーチでしょ?」

 「もー、アケミちゃんの話を全然聞いてなかったな!自分が一番感謝している人でいいんだよ。まあ、どうせみんな両親とか家族だろうね、友達への感謝とか恥ずかしいし。」

 たしかに。家族に感謝を言うのすら恥ずかしいのに、友達に言うなんて余計に恥ずかしい。アヤノに感謝のスピーチをするってなったら恥ずかしくて何も喋れなくなっちゃいそう。

 「私もエリには感謝のスピーチはしないから安心してね。感謝していないわけではないけれど、感謝される側も恥ずかしくなっちゃう場合もあるからね。」

 どうしてアヤノは同じ中学1年生なのに、たまにこうやって大人っぽい落ち着いたところがあるのだろうか。クラスの男子たちがアヤノに惹かれる気持ちが分からなくもない。そういえば、アヤノに好きな人はいるのだろうか。恋愛話なんて滅多にしないから分からないけれど、アヤノの事だからすでに彼氏がいるのだろうか。アヤノの中の誰も踏み込んだことのない領域が点々と存在しているところも、男子が惹かれるポイントなのだろうか。

 「何か考え事?」

 アヤノは私を覗き込むように尋ねてきた。

 「ううん、なんでもないの。ただ、どうしてアヤノはそんなに大人っぽいしミステリアスな雰囲気が漂うんだろうなあって思ってて。私が男子だったら、一目で恋に落ちていると思うなあって。」

 「お世辞でも嬉しいね。ありがとう。」

 「いちいち、大人っぽいんだよなあ。」

 「照れるからヤメて。」

 女の子は照れた顔が一番可愛い。世のおじさまがたの気持ちが少し分かってしまった自分に悲しくなってきた。

 アヤノと別れて、私は家までの道でもスピーチについてずっと考えていた。

 うーん、誰に対して書こうかなぁ。

 「何か悩み事?」

 お母さんが尋ねてきた。

 「うん、感謝をテーマにしたスピーチをしなきゃいけないんだけど、そう簡単に思い浮かばなくて。」

 私は、ため息まじりにそう答えた。

 「感謝ねえ。エリは一番感謝しなきゃいけない人がいるでしょう。」

 「えー?お母さんとお父さんに感謝するスピーチなんて恥ずかしいよ。」

 照れ隠しに笑いながら私は言った。

 「違うわよ。私はエリを産んだけれど、そのエリの命を繋いだ恩人がいるでしょう。」

 お母さんは私の右腕を眺めながら、私に優しく話した。

 そうだった。忘れてはいけない大切な人。私は、机に向かってペンを走らせた。感謝してもしきれない命の恩人への感謝の言葉を。

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