「この割れ切った世界の片隅で」を読んで
知人がFBにあるnoteをシェアしていました。
「この割れ切った世界の片隅で」という高校生が書いたnoteです。
9月25日時点で、なんと2万以上の「♡スキ」がついています。
どんなnoteだろうと思いますよね。
note本文はコチラです。
反響が大きく、Newspickの落合陽一氏の動画でも取り上げられており、皆さんもすでに目を通されたかもしてません。
Newspicks 動画(無料部分)↓
https://www.youtube.com/watch?v=7cRHNAv0RJE
動画を見ていると、なんと私と同じ地元ではありませんか!
まさかこのような素晴らしい感性の方がいらっしゃるとは驚きました。
(現在はインドへ留学中のようです。)
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noteの冒頭を抜粋します。
コロナウイルスが社会に与えた最も大きな影響は、見えづらかった社会の分断を可視化したことではないでしょうか。ステイホームできない、明日を生きるのすら精一杯な人。パソコンを持っておらず、家では完全に社会から隔離されてしまう人。勉強ができるような家庭環境でない人。外で遊ぶ自分を自慢げにSNSに載せる人。「クラスターフェス」と称し、コロナに積極的にかかろうとする人。感染者を引っ越しにまで追い込む地方の村社会。
普段暮らしているとそのような人と出会わない、という人が殆どでしょう。だけど、これが、今の日本社会なのだと思います。
「人はその周りの五人の平均値だ」という言葉がある通り、社会的ステータスの近い人々は集まりやすく、自分の見えている物が世界の「ふつう」であると錯覚してしまいます。しかし、自分の見ている世界は社会のほんの一部にしかすぎません。校外で活動するにあたり世の中の「ふつう」の感覚があることを強みにしてきた私ですが、その「ふつう」の感覚はその人の生育環境にあまりにも依ってしまうこと、また、自分自身の「ふつう」の感覚に頼り過ぎている自分の存在にも気が付きました。そこで今回は、私にとっての「ふつう」について書きたいと思います。あなたのふつうも、教えてください。
視点が鋭く、感性もすばらしいのですが、これを高校生が書いたというのがさらに衝撃でした。続きはぜひnote本文をお読みください。
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そして、ここからは私にとっての「ふつう」について書いてみます。
過去のプライベートな内容を含みますので、申し訳ありませんが有料にします。
有料でも興味がある方、普段から発信の応援をしているよ、という方だけご覧になってください。
内容としては、「ふつう」じゃないことが「ふつう」の私についてです。
「私は普通じゃない」とか「あの人は普通じゃない」とか「私の子は普通じゃない」など感じている方には役立つかもしれません。
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以下、本文。
幼少期〜学生時代の私
私の幼少期〜学生時代までのわりと長い間、人間関係がうまくいかないことが続きました。
幼児期には隣の畑に入って怒られたり、保育園から数km先の自宅まで勝手に帰って怒られたりしていました。
小学校では友人と喧嘩が多く、仲間外れにされたり、皮膚の色から黒人扱いされていました。
中学校でも、学校の先生に反抗したり、問題行動が多かったため、自分だけ家庭訪問が年3回あったりしました。
高校でも一部の教諭のやり方が納得できず、職員室に呼び出されたり、教諭と口論になったことがあります。得意な教科の夏休みの宿題は1ページも出しませんでした。
恋愛も下手で、今思えば嫌われそうなことばかりしていました。
ほんと昔の自分にいろいろと教えてあげたいくらい人間関係に失敗していました。
そして、何でうまくいかないか、よく分かりませんでした。
友人もゼロではありませんでしたが、よく孤独を感じていました。
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