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~ある女の子の被爆体験記1/50~現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。


被爆しても生き延びた女の子


90歳の叔母、広島駅での被爆記録。現代の医師である私の視点から、記録を残すことに。


1945年、原子爆弾が広島と長崎に落とされました。

被爆者した伯母の話と被爆者ののこした医学的な記録にも触れ、お話しします。
〜〜〜
核兵器と呼ばれる、原子核の分裂を利用したたった一発の爆弾は、半径2kmの建物を瞬時に吹き飛ばしました。瞬時に焼き消えた人もいました。その人は、”人影の石影”となって住友銀行広島支店の石階段に影だけ残しました。
強力のエネルギーを出す原爆は、75年以上経っても今なお、被爆者を悩ましています。

「でもね、そんなのは昔のこと。今は平和で、もう関係ないんじゃないの?」

確かに、もう75年以上経ちましたから、そう思う人も、いるかもしれませんね。

原子爆弾は立った1発、広島に落とされ、
たった一発、長崎に落とされました。
原爆が落とされた1945年の年末までの死者数は、広島で14万人、長崎で7万4千人でした。
1発の爆弾にしては、威力が尋常ではなかった。

それだけでなく、90歳の伯母はいまだに、75年経った今も、夜中に飛び起きます。
焼け野原になった広島の街をお婆さんを探して、歩き回った伯母さんは当時15歳でした。
幸い電車の中にいた伯母は、ほとんど怪我をすることはなかったのですが、
その代わり、
しっかりと、街や人々の様子を記憶に焼き付けてしまったようです。
それが悪夢となって、いまだに彼女を苦しめます。
「どうして助けてあげられなかったんだろう」
記憶は、75年前に感じた後悔と一緒になって、90歳の心を痛めます。


原爆は、戦争が終わってから、多くの人を死に至らしめ、戦争が終わってからも苦痛をもたらす兵器です。


「原爆の影響は、被爆者の声によって、世界に広がったに違いない」、そう思いますよね。

でも、現実はどうだと思いますか。
核兵器は、なくなった?
被爆者は減ったでしょうか?

いえいえ、核兵器は進化しています。

核兵器は今、どんどん新しい技術を投入されている。
小型化され、よりいっそうの多くの被害が起こってくるかもしれません。

小型化は、核兵器を使用する側にとってメリットが大きいです。

1.小型化させた核兵器は、ミサイルの弾頭につけられ、標的へ正確にとばされるでしょう。広島や長崎のように、飛行機で飛ばすことなどは必要がありません。
2.小型化で被害を小さくすれば、核国からの非難を小さくすることができるかもしれません。
3.被害が小さければ、そのあとの被曝都市の利用がやりやすくなるかもしれません。

「こんなことを、黙認していいの?小さい核兵器なら、持ち運びもできちゃうでしょ?」
そうなんです。
もしもスーツケースに入れて持ち運びができれば、どうでしょうか。
核兵器は、テロに使われてしまいます。

私は、伯母のような生き残った被爆者の話だけでなく、当時亡くなられた被爆者の方々のデータを目にしたとき、こんなことを思いました。

「核兵器をなくすために、私は何にもしてこなかったなぁ。
核兵器の被害は、まだ止められていないんだから。
私が医者になったのも、このためだったかもしれない。
知識や医学的考察を、聞いてもらいたい。
そうしないと、被爆した方々に、申し訳ないからなぁ」

そういうわけで、どうかお付き合いくださいね。

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