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15歳の夏、ノブコは広島駅で列車の中にいた。突然の衝撃に、気がつけば床に倒れていた。ノブコはそれから数日間、原子爆弾の落ちた広島を歩いてお祖母さんをさがしにいく。一人の女の子の目…
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#戦争
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~ある女の子の被爆体験記33/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。“「原爆の成果を収集せよ」投下国からの調査団 :日本の原爆研究発表は禁止”
アメリカの調査団の到着現代に生きる私たちは、原子爆弾が落ちて廃墟となった広島と長崎には、何が残ったと、想像するだろうか。被爆者にとっては、死体、灰、痛み、今を生きるという過酷な生活だけだったかもしれない。 しかしその頃、命令を受け、廃墟の被爆地へ、原爆の成果を集めに来たいと画策する人々がいた。アメリカからの調査団である。それは日本への降伏文書が編集されている頃、GHQ (General Headquarters)外科医長のBrig.Gen.Guy B.Denitにより原爆投下