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何事にも限度ってもんはあるからね

Q. 恋愛における「歳の差」は本当に関係ないのか。

A. 関係ある。少なくとも、私には大いにある。

 「心の底からお互いが惹かれあっていれば関係ない」といった言説は、はるか昔からこのような議論の場でしばしば挙がるが、いったん無視したい。なぜなら、この言説を信じて疑わない側が一方だけであるパターンが少なくはない、と私は推察しているからだ。そもそも、歳の差以前に好意を寄せていない、もしくは恋愛・性愛の対象から外れている人間から寄せられる好意はおおむね恐怖や嫌悪を抱いてしまうものだ。残酷かもしれないが、これが紛れもない現実といえるだろう。

 ちなみに、恋愛における「歳の差」はめちゃくちゃ関係ある派の私は、実年齢だけでいうと、恋愛の対象として惹かれる可能性があるのは、どんなに離れていても干支一回り上、つまり12歳上までだ。私は現在27歳(早生まれ)なので、39~40歳くらいまでが限界値だと認識している。「え、結構歳上までいけるんじゃん」そう思う方もいらっしゃるかもしれないが、あくまでもこれは限界値であり、可能性は限りなく低く、無いに等しい。
 まず、それ以前に世の大半の30代後半〜40歳前後の年代の方々は、既にご結婚されていて家庭があるか、そうでなくとも、20代後半の社会経験が浅く、人生の酸いも甘いもまだ噛み分けられていない“女の子”なんぞ、ストライクゾーンから大きく外れているので何も起こらない。たいていの場合は。

 じゃあ自分よりも歳下はどうなのだというと、まず恋愛関係に発展する可能性すら考えていない。しかし、自分との実年齢の差が±2~3歳程度の、いわゆる同年代といえるくらいの差であれば、人によっては好きになる可能性はあるかもしれない。ただ、21世紀生まれの歳離れた弟をもつ姉だからなのか、自分より実年齢が4歳以上歳若い方たちのことはもはや、幼子に対して発するような「可愛い」の感情ばかりが湧いてくる。

 どうしてこれほどまで断定的に、恋愛における「歳の差」は大いに関係あると私が主張するのか。その理由は、さかのぼること約10年前、私が17、18歳のときに20歳近く歳上の男性から好意を抱かれ、強引に迫られた恐怖体験があるからだ。この一文を読んで「なぜ18歳の小娘が40手前の男と接点があったんだ、まさか援助交際でもしていたのか」といったように疑った方には、自分の名誉のためにもはっきりと申し上げるが、私は援助交際の類の経験は一切ない。しかし、出会いこそ非常に些細なものであったが、40歳近いれっきとした成人男性が、18歳にも満たない少女であった当時の私に、やけに親切な素振りをしてくる時点でその異常性を察知すべきであった。

 冷静に、客観的に、イメージしてみてほしい。18歳なんて、高校3年生か高校を卒業したてくらいの年ごろだ。18歳を迎えるタイミングで「経済的自立が可能な年齢」とみなされ、参政権が与えられ、自由な婚姻や深夜労働ができるようになり「社会生活の重要な部面で成人としての扱いを受けている」が、それでもまだ、どちらかといえば子どもとみなされている。
 18歳以上の者が、18歳未満の青少年に対して性的欲求を抱き、実際にその欲求を露わにした行動を起こそうものなら、淫行条例に基づき処罰の対象となる。では、18歳という年齢に達してさえいれば、一方的な好意や性的欲求をぶつけたとしても許されるのか。否、たとえ法的には罰せられないとしても、れっきとした社会規範に反する行為だ。“限りなく黒に近いグレー”とでもいうのだろうか。

 本題から大きく逸れてしまった。つまり、私の意見としては「『愛さえあれば歳の差なんて関係ない』とどうしても主張したいのなら、その主張に賛同しない・できない人間にまでわざわざ理解を求めようとしないでくれ。」だ。

 昨今、一定数存在する「多様性を声高に語る人間」にも似たようなことが言える。そういう人間に限って、人の話をあまり聞かない傾向が高い、そう感じることが多い。
 生きている以上、他者を知らず知らずのうちに踏みつけてしまうことからは避けられないのに。何も知らないくせに、知った顔をして、その人の中にのみ存在する正義やら常識とやらで、平然と容赦なく殴ってくる。

 人間関係においては殊更、真の意味で「分かり合える」そんな日は来ない。淡い幻想は早々に打ち砕いてくれ。


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