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"ミラ"の次はマツダのフラッグシップ、3代目"コスモ"に(tips03)

 なぜこの車を? 多分ひとえにカッコよかったから。当時、広島から大阪へ戻ったりするのに550ccの"ミラ"であった。やはり高速の中国道を550ccで走るには少ししんどかった。(それなりに楽しかったが…)でもそれだけではなかった、サラリーマンになり給料がもらえるようになったのだ。
 といっても入社まもなくの自分の給料も少ない。新車を買うほどの余裕はなかった。 サラリーマンなり始め、中古車情報誌を見ながら毎日毎日ワクワクしていたのを思い出す。当時からなぜかマツダの車は安かったのを覚えている。そして評価だけは高かったのも覚えている。

中古車雑誌を見ていて、どうしても"コスモ"が気になっていた

 何故かこのコスモが目に止まる。リトラクタブル4灯と言う変わったヘッドライトであるがこれまたかっこいい。

ヘッドライトが4灯ですよ!

人と同じ車に乗るのがこの頃から嫌いだったのかもしれない。

 当時リトラクタブルヘッドライトと言うのはスポーツカーしかなかったのである。(ほどなくホンダのプレリュード、 アコードなど続々出てきたが)
 人と同じ車は乗りたくない、ちょっと特徴的な車が好き。ここでも個人的DNAが出てきた。 するとこのコスモと言う車がちょうど自分のストライクゾーンに入っていました。本当はツードアの方が欲しかったのではあったが 予算の関係で断念したのを覚えている。

懐かしいカタログです。

ある日マツダのディーラーでコスモが展示してあったのを見た。

 家の近くのディーラーで色は多分白だったと思う。ミッションで5速である。ミッション…この辺も安さの秘訣だっただろう。カペラに乗っていたとき、ダークグレー色がとてもかっこよく思えていた。なのでこの車を買う時全塗装をお願いした。

たまたま残っていた写真をスキンしました。カペラのガンメタ色に全塗装

当時のこのクルマ事情を思い出して見ると・・・

 コスモと言うと初代ロータリーエンジンを積んでいる宇宙船コスモを思い出す人が多いだろう。SA22、RX-7のロータリーエンジンが12Aだったのであるが、 確かこのコスモにも12Aロータリーエンジンを積んだものもあったはず。姉妹車にルーチェもあった。このコスモにはロータリーエンジンのほか、2000ccのレシプロエンジンが積まれた。ツインカムでもなくSOHCである。ボディーは2ドアHTと4ドアHTがあり、特に2ドアHTの方は空力特性Cd値が0.32と言う飛び抜けた値だったのを覚えている。
 当時このような空力特性に優れた車にスバルの"アルシオーネ"と言うクルマもあり、こちらの車もリトラクタブルのヘッドライトであったが、共通しているのはイメージスケッチに近いデザイン寄りであったということである。

今見ても欲しい

広島から大阪までかっ飛んでいたような気がする。

 広島から大阪までかっ飛んでいました。何せ500ccから2000ccに変わったのです。馬力は120馬力位しかなかったと思いますが雲泥の差であった。
 中国道はずっと5速入れっぱなしで走れました。今みたいなオーディオ装置ではなくカセットテープを聴きながら帰ったものです。足回りもしっかりしていた。 

事故も経験した

 当時の広島での仕事は日夜遅くまで働いていたが、ストレス発散で結構なスピードで家路につくことも。ある日オーバースピードでカーブに突っ込んでいったらFR特有のオーバーステアが出てハンドルを戻しすぎて側道乗り上げと街路樹にぶつかってしまった。当時寮にいた先輩に迷惑をかけたのを覚えている。
 クルマに詳しい職人さんが、ボディを引っ張らずに調整で直してくれた。ホイールベースが左右で少し違っていたが大丈夫だと言ってくれた。

大阪への転勤となった。

 広島勤務は長いように思えて実は1年ちょっと位であった。自分は早く大阪に帰りたいと、会社には実家が困っているので助けなければならないとかPRしていた。すると急遽大阪に転勤と言う話が舞い込んだ。
 とてもうれしかったのを覚えている。広島での仕事は新入社員で入っていろんなことを経験したのを覚えている。生活もいろいろあった。出会いもいろいろあった。嫌な先輩もたくさんいた。無駄な休日出勤もさせられた。いろんな職人さんに出会えた。広島の繁華街も行った。お好みも食べた。そんな思い出と荷物をたくさん詰め込んで最終日にはこのコスモで大阪まで帰ったのを覚えている。事務所のみんなに見送られて。

故障と改造とメンテナンスに・・・

 当初からメンテナンスする事が好きだった。エンジンマウントの交換をディーラーに頼んだが、あまり改善が見られなかったこともあった。後で気づいたのだがエンジンマウントの左右を間違えて取り付けしていると言うことであった。
 またなぜそれに気づいたかと言うとこのコスモのフライホイールを軽量化してちょっとでも速く走るようにと工夫したのであったが、その時に別の車屋さんにて発覚した。蛇足だがフライホイールを軽量化しても早くならなかった事を覚えている。
 広島で職人さんに直してもらったエアコンは再度修理することになったのを覚えている。

このコスモとのお別れは…

 当時は個人売買等が流行っていた。中古車情報のフリーマーケット売りますコーナーに載っけた。するとこの車に興味を持った学生さんが買ってくれた。父親と一緒に見に来てくれたのを覚えている。
 そのお父さんはアウディに乗っていると言っていたが、このコスモの内装を見てこっちの方がしゃれていると言っているたのを覚えている。

コックピット未来的と言われていた

最後に・・・

 しかしこの車の個性は 独特だったなぁと思います。

このイラストレーターの方も乗っていて、カー雑誌のNAVIでも紹介されていたのを覚えています。

 個性的な人たちがこの車に乗っていたのだろうか、自分が毎月読んでいたカー雑誌NAVIにも時々取り上げられていたのを思い出します。今は車が進化しているのはわかりますか昔は個性派車が多かったですね。
 記事を書いていたら、昔のクルマの情報が走馬灯のように思い起こされて来て、収拾がつかなくなって来ました。書きたいことは一杯あるのですが。。。

(終わり)

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