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『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』が引きずる、、、

 坂本龍一さんが亡くなったのはご存知のとおり。そんなある日、自分はNHKの特別番組(たしか23年/4月/4日だったような)を見ていた。

 その中での龍一さんの発する言葉は、いま生きている事を確かめるように
な語り口で、そして演奏は魂を絞るように、いや魂を何かに吹き込むような、、、そんな演奏であった。

坂本龍一さんは、2014年に最初にガンが見つかってからも、音楽を作り続けることを決意しました。しかし、2020年12月にガンのステージ4であると診断され、医師から余命宣告を受けたとき、彼は「生きているうちにしておくべきことのリスト」を作りました。その一つが、自伝の続きを書くことでした。

2022-06-07 19:03ORICON NEWS

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の自伝を書いたのは、ガンの再発を公表した2021年1月から2023年1月までのあいだらしい。自分の死生観や創作観、そしてピアノとの関係を書き綴る予定だったが、、、かなわなかったらしい。

彼は自伝の中で、自分がピアノと出会ったきっかけや思い出を振り返っていいる。彼は3歳からピアノを始め、10歳から作曲を学びました。彼はピアノを通して音楽の素晴らしさや奥深さを感じました。彼はピアノを通して自分の感情や思想を表現しました。ピアノを通して多くの人々に影響を与えた。

月刊文芸誌「新潮」連載、坂本龍一氏による自伝
「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」より

 当時、自分は学生時代からのYMOの活躍を知っている。あえて説明はいらないだろうし、当時からしても先進的で未来に突き抜けるような音楽は今でも色あせない。

 そんな坂本龍一さんの曲から受ける感性のエネルギーは"癒し"なのであろうか。名曲「エナジーフロー」は今でも寝るときに流しっぱなしにすることもある。

 何故か思い出されることがある。それはiモード機能が搭載された携帯電話が隆盛を極めた時代。働き盛りのサラリーマンが、携帯の着信音を「エナジーフロー」のメロディにしていたのを思い出す。

 一瞬でも、働き過ぎで疲れてる我々を救う、そんな優しい曲なのだ。

しかし、彼は自伝の中で、自分がピアノと別れることも覚悟していたことを明かしています。彼は2015年にハワイで購入した中古住宅に置かれていた90年近く前に作られたピアノをニューヨークに持ち帰りましたが、それを自宅の庭で野晒しにして、「自然に還すための実験」と称していました。彼はそのピアノの写真を自伝の表紙に採用しました。

https://www.cinra.net/article/202306-whn-sakamotoryuichi_edteam

 最後まで音楽家であり続けることが自分の使命だと感じてたこと、そしていまやっとそのことが理解できたこと、それは番組の最後のシーンを思いだしてのことだ。

 坂本さんが、最後の曲を弾き終えるシーン。魂をピアノに入れこんだような、そしてスタッフのかすかな声とほんの少しの静寂で包み込まれて番組は終了する。まさにその瞬間までの音楽家だったと言うことだろう。

 GQ鈴木編集長が「著者に代わってのあとがき」を寄せている中で、坂本さんは日頃の小さなことから、そしてメンバーであった高橋幸宏さんのこともそのメモ書きに記されている。

 幸宏さん亡くなったとき「楽しい曲も悲しい曲に聞こえる」と。その時の心境は代わって想像することもできない。

 自分の人生なんてちっぽけなことかも知れない。だが何か感じることがある。

「あと、何年この会社で働くのだろう」なんて小さなことかも知れない。
春のある日、「あと、何回桜が見れるのだろう、、、」
夕方のランニング中、「あと、何回夕日が見れるのだろう、、、」
と日々思っていたとき、この『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』のフレーズに出会ってしまった。

「あと、何回親に会えるのだろう、、、」ふとこんな事も感じてしまった。
「あと何回、、、」はずっと自分の心の中で引きずって行きそうだ。

(終わり)


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