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メタバースはリアルワールドの夢を見るか、あるいは、VR空間に生まれつつあるエコシステムに関する一考察

■序にかえて■
少し前に「メタバース選民思想」なるちょっとショッキングな言葉がVR界隈で話題になった

この考え方は、最近VRChatにやって来られた有名ゲーム配信者さんによるVRChatの紹介によって、多数の未経験者がVRChatに興味を持ち、のみならず多数のニュービーが流入していることによって引き起こされている旧来のVRChatユーザーの間で観測される負の反応として一定の市民権を持っているように思える。 そしてこのタイプの反応は人によって揺れはあるもののおおむね以下のように要約できると考えている

  • VRChatの世界はリアルワールドに広まっているとは言えない

  • 外部の有名インフルエンサーの拡散力の前にはVRChatプレイヤーの拡散力はほぼ無に等しい

  • にもかかわらずVRChatプレイヤーはVRChatのリアルワールドへの拡散について相当の寄与を果たしていると主張しており、それは滑稽なことである

  • この先、VRChatがリアルワールドに広がっていくことによって、現在のプレイヤーの「文化」は破壊されるかもしれない

これについてぼくは少し異なった見方を持っているので以下のようなツイートをし、その結果「メタバース選民思想」という言葉を発明したりくおPさんから返信を頂き、スレッドですこし会話をした

参考までに、その後りくおPさんはnoteにこの概念に関する続報を書いている

様々な反響があった中で、「選民思想」という概念そのものに対する感想としては、自分の中ではこの島にたとえたツイートが非常にしっくりと来ている(なお、このツイートはそもそも「メタバース選民思想」について言及されたものではないことには注意が必要)

で、これをきっかけに、元々VR世界についていろいろともにょもにょ考えていたことを一度文章に落とし込んでみようかなと思うに至った。

本稿は「メタバース選民思想」に関する批評ではありません。この概念は本稿を書くきっかけにはなりましたが、この概念そのものに関して本稿で深く掘り下げることはありません
なぜならば、この部分はVR空間上に形成されつつある「メタバース」を考えるにあたって本質的な論点ではないと考えているからです
何故本質的な論点ではないと考えるかについては少し触れるかもしれませんが足りないかもしれません
その点を最初にご承知おきください
また、本稿では断定的な文体をあえて採用していますが、書かれている内容はすべてぼくの個人的な考察の範囲内のことであり、ぼく自身はこれらについてある程度確からしいと感じているという点は留保しつつ、これらを普遍的真理もしくはそれに類するものであるということを主張するものではないということを明示的におことわりしておきます
実際のところ、本稿の内容は現在進行形で考えているところでもあり、しかるに、将来にわたってはその内容が大きく変更され得る可能性があることもまた明示的に申し添えておきます


1.ぼくのVRルーツ

ぼくはもともと3DCGの世界が好きだった。MMD杯のころにBlenderを導入して、しこしことものを作ろうとして挫折し、MMDエミュレーターをMacに導入しては重すぎて挫折し、UTAUを導入してアバターにしゃべらせようとしては意味不明の言葉になって挫折したりしていた。根気の無いぼくにはそのころのVRはあまりに敷居が高く、指をくわえて素敵な動画を夜な夜なニコニコ動画で見ては歯噛みをしていた

しかし、2018頃だったか、のじゃろりおじさんが出てきて、これならひょっとしていけるんじゃなかろうかと思ったのがVRへの入口となった。九条林檎No.5と巻乃もなかNo.7に導かれて最初に訪れたのはclusterだったかVRChatだったかはもう忘れた。たしかMacだったからclusterだろう。その後家のPCをWindowsに買い替え、Oculus Quest2を購入した2020年のおわりから2021年のはじめにはすっかりVRのとりこになっていた

コンテンツとして最初に見始めたのは蕎麦屋タナベさんの万物のファンタズム、ついでおきゅたんbotさんのくらげビート、そしてぱんだ歌劇団のVR演劇。ききょうぱんださんの人柄と物語を紡ぐ力に惹かれて2022年からききょうさんの小説の映像化に関わるプロジェクトの仲間に入れてもらってVRでの制作のまねごとを始めた。特に気に入ったのがワールド制作だ。自分の好きな世界をいちから創造して、その中で暮らせるということはかなりの衝撃で、入った瞬間身動きできなくなるワールドや、動くとこぎざみに視界が振動するワールド、冬の日本海のように怒涛が逆巻くプールなどを作って遊んでいたのが、ききょうさんのプロジェクトに入って、先駆者さんたちの薫陶を受けながら徐々に中に入ってもフリーズせず、一応最初に考えたような感じに見えるワールドを作れるようになりつつある。
残念ながらききょうさんのプロジェクトは休止になってしまったが、現在は猫日和きゃりこさんが主宰する晴れときどき猫団に混ぜてもらい、なんとなくワールドを作ったり雑用をしたりして楽しくVRの世界で暮らしている

2.世界を創るツールとしてのVR

先述したようにぼくがVRで一番興味があるのはワールド作りだ。自分自身のスキルはまだ全然で売り物のアセットをぽいぽいおいて、ちょっとアレをナニする程度のことしかできないが、それでも自分だけの世界ができるというのはとても楽しい。そして楽しくなってくると人間欲深いもので見せびらかしたくなる。こうして、晴れときどき猫団の「晴れ猫学園」シリーズでは半ば押し売り的に自分で組んだワールドを劇で使ってもらった。とはいえ、作ったのはガワだけで、重要なギミックや効果、アニメーションなどは全部手練れのクリエイターさんたちに仕込んでもらったのだが、その共同作業が非常に楽しく、出来上がった「メタバース初のイマーシブ演劇」と銘打った公演は好評だったし、自分でも配信アーカイブを何度も見返している

ぼくはまだクリエイターとは言えないようなワナビーであるものの、こういった経験から、世界のガワを創りそこに「魂を込める」ることで世界へと昇華させることをVRの神髄と考えているところがあり、実はVRがVR外でどう思われるかについてはかなりどうでもいいと思っているところがある
もちろん自分たちで作り上げたステキな世界を「みせびらかしたい」という駆動力によって多くの人に見てほしいというのはあるが、それはあくまでもみせびらかしたいだけであって、VRをリアルに広めていくことそのものにはほとんど使命感や価値を見出せないでいる
なので実際のところ本稿を書くきっかけとなった「メタバース選民思想」そのもののコア部分を自分は自分事としてとらえられていないというのが本音のところである。そして自分の見立てではVRシングスの多く、少なくとも世界を創っている人々(ワールド制作者に限らずすべてのワナビーを含むクリエイターさんたち)は、これと同じような感覚を抱いているのではないかと考えている。なぜならば、世界を構成する要素は非常にたくさんあり、それらを分業して生成しているVRシングスたちにとっては、VRの中だけで生産と消費が完結するところがあるため、「みせびらかしたい」以上の外部への働きかけに関するモチベーションは本質的に存在し得ないのではないかと思えるからだ(リアルワールドでの社会的生物学的生存のためにリアルワールドの貨幣をVR活動によって稼ぎたい人については別で、実はここら辺が「メタバース選民思想」の主な発生要因かもしれない。ただ、自分としてはVR世界はそのような経済活動のうちいくつかには向いていないと考えている。これらについては次項以降を参照)

つまり、VR世界というのは、比喩ではなくこの地上に別の「世界」を生み出しつつあるのではないかというのがぼくの観測である

3.デジタルツイン/ミラーワールドと「メタバース」

MMDからの流れを汲んで現在に至るVRファンとしてのぼくに加えて、実はもう一つぼくがVRにこだわっている理由がある。それはデジタルツインとかミラーワールドと呼ばれる考え方に深い関係がある
確か2016年くらいからぼくは資源循環をシミュレーションで予測し、それによって社会のかじ取りを行えるようにする仕組みを作る研究を続けている。もともとぼくはバイオマスを燃料や素材に変換するための要素技術の研究をずっとしていたのだが、社会実装のことを考えているうちに、単一の要素技術で資源の利活用の最適化をすることは不可能であり、それらをちゃんと社会実装するには他の要素技術との間での分業をきちんと定義し、全体としてシステム化しなくてはまともに動かないだろうという考え方に行きついた。まあ、当然と言えば当然なのだが、実際問題として複数の要素技術や在来技術を束ねて資源循環をシミュレーションしようと思うと、自分の数学的素養の無さはともかくとしても、実際にシミュレーション分野の研究者に聴いてもそんなものはないということで、ないなら作るかということになったわけである(なおこれはいまだにできていない: ただし自分の名誉のために申し添えておくとぼくの h-index は一応30あるのでアカデミックの業績としてすごくよいわけではないが決して悪いというわけではない)
この分野では有名な先行例としてトヨタが進めている(いた?)Woven cityというものがある。これは街ひとつを丸ごとコンピューターの中にモデル化して納めてしまい、そこに町中に仕掛けたセンサーによる統計データを送り込み、データ同化をしつつ現実世界で起きていることをコンピューターの中でも再現しようという試みである
これはデジタルツイン、もしくはミラーワールドと呼ばれ(この二者には厳密にいうと違いがあるがここでは触れない)、現実世界の映し鏡世界をヴァーチャルに作っておいて再現するのみならず、そこで現実データの代わりに様々なデータを代入して、例えばこの地区で工事をしたら車の流れはどうなるかとか、この街区の住民を増やしたら周辺の商店の売り上げはどう変動するかといったことをあらかじめ予測し、街の運営に生かすことが可能であると考えられている

同じようなことは農業や自然環境における資源循環についても可能だと思われるので、例えば植生のフォトグラメトリーを撮って葉っぱの量を推定して、それを植物成長モデルに代入することで現実の森をシミュレーションし、バイオマス収穫量を最大化するための林業施業のシナリオを考えたり、さらに広げて様々な廃棄物を農業生産向けの資材として使ったときに地域内でどれくらいの人数を食わせていけるのかとか、そういったことを予測して「科学的政策」を打ち出すことが可能にならないかと考えて、しこしこと写真を撮ったり計測機器を作ったり計算したり挫折したりしている

4.VRはミラーワールドではない

VRを始めたころは、こういった意識が最初にあったため、遊びの観点でもUnityでリアルワールドをつくるぞー!とフォトグラメトリ点群ワールドを(他人様の先行例に乗っかって)作ってみたりして遊んだものの、遊んでいるうちにどんどん違和感が膨らんでいった。すなわち、VRChatやclusterの中にあるVRの世界は、現実の世界とどんどん乖離していくのだ。VR≒デジタルツインという頭があった自分にとってこれはかなり頭が痛い問題だったが、自ら創作の場に参加するようになってからは逆にそれが当然であるという形に考え方が180°転回することになる。つまり、VRの中にあるのはどこにもない、だからこそ創りたい世界であって、現実世界のミラーワールドなど創作の世界でまで誰も再生産したくはないのだ
これに気付いてからはかなり自分の中ではVRに向き合う姿勢が変わったと思うし、たぶんそれが「メタバース」であると定義してもいいのかもしれないと思っている。ただ、それはまだ発展途上であり、世界として一つの閉じたシステムは形成できていないとは思うのと、Meta社が提唱した「メタバース」はどちらかというと自分が最初に想像した現実のデジタル版ツインズを想定しているように思われるので「メタバース」という言葉は意識的に避けるようにしている

まあ、「メタバース」という言葉の定義はともかく、今存在しているVR世界はぼくの観測する限りでは、間違いなく、

・現実世界を模したものではなく
・現実世界との接続を目指したものでもなく
・現実世界とは物理的にも社会的にも独立して形成された

VRシングスたちの理想の世界の集合体であるとぼくは考えている
それはゲームであり、歌であり、演劇であり、お店であり、デートスポットであり、家であり、それらをひとつもしくは複数収納したワールドであり、そしてそこで生活するための快適な世界とそこでの生活そのものであり得るだろう

5.VRエコシステムの曙光

さて、現実と切り離して創造されたVR世界ではあるが、この世界を形成する要素は多岐にわたる。身体、服、世界の構成要素、世界を動かす物理法則、世界をみるための方法、生活を快適に保つためのしくみ、そしてコンテンツ。これらを一人ですべて賄うことは(できなくはないが)非常にしんどいし、そもそも一人ですべて完結した場合は誰にも自分の創造したステキな世界をみせびらかすことができない。このため、VR世界では世界の構成要素ごとにそれらの生産者が生まれつつある
これらの構成要素はVRシングスの肉体が存在し、理想世界であるVR世界を創作する拠点であるリアルワールドでリアルマネーを介してトレードされている。clusterの場合は少し事情が複雑だが、VRChatの場合はプラットフォームの規制がかなり緩く、少なくともコンテンツサービス以外の面ではインターネットに比肩する自由さがあるため、リアルワールドを経由してではあるが「富」が実際に生産され、消費されるというエコシステムが生まれつつある
VR-SNSがゲームであるという性質上、コンテンツサービスの流通はプラットフォーマーの独占事業となっている側面はあるが、これはインフラ整備を行っている政府的存在(V政府)としてプラットフォームをみた場合はエコシステムの中に組み込んで理解することが可能だ
実際、興味深いことにコンテンツサービスを規制内容に合致した形でV政府とネゴシエーションを行い、VR空間へ経済圏に組み込まれる形のコンテンツサービスをリリースするという業態も複数登場するに至っては、VRシングスの理想の世界は社会として機能するエコシステムを形成しつつあると考えるよりほかに理解のしようがないとぼくは考えている

しかしながら、社会というのはそのベースにある生産される資源量によってそのサイズが規定される面がある。つまり生産される富が少なければそれに応じた人数しかその富によって生きることができないし、逆に富のパイが大きくなればそれに(だいたい)比例して成長することができる。VRChatのVR世界の場合、食料とエネルギーは系外パラメーターなので富のパイは生産されるアバターやアセット、ギミック、そしてかなりのレアケースではあるが有料コンテンツからのみ形成される
すなわち、VR世界のシステム内のみで資源循環を閉じるに足る資源量がまだ系内に蓄積されていないという面はあるとぼくは観測している

6.VRとリアルの接続の可能性または必要性

このあたりはかなり考え方が難しいと思うのだが、上の考え方は「資源」をリアルワールドを経由して動いているリアルマネーと考えた場合だ。しかし、都合よく考えるとVR世界は現状ではあくまでも形而上的な存在であると考えることもまた可能であり、その場合心の満足度を資源としてカウントするとエコシステムとしては閉じているということもまた可能であろう
しかしながら、これは物理的に考えるとかなり乱暴な考え方であり、やはりVR世界のみで生活できるということまで視野に入れるとなると、VR世界の住民を増やすべき新たな駆動力が生まれてくるかもしれないという考え方はあり得るかもしれない。ただ、その場合VR世界はリアル世界の植民地になってしまう可能性もあるだろう。なぜならば、その場合はVR世界のエコシステムが現実世界のエコシステムに飲まれてしまう可能性が大きいからだ
実際のところVR世界のみで電子的に生きられる存在というものが存在しない以上、それはあるいは仕方がないことなのかもしれない
しかし、技術的にリアル資源と切り離されたVRエコシステムは何かということに関してはもっと考察していく必要があるだろう
これを突き詰めていくとあるいはまったく新しい経済のありように至る可能性もあるかもしれない

5.まとめ

案の定考えはまとまらなかった。しかし、VR世界の勃興に当たってリアルワールドへの拡散力については本質的なことではないと僕が考えている理由は以上のようなものだ
しかし、考えを進めていくと「メタバース選民思想」のベースにある可能性についてはいくつか思い当たったことがあるのでそれを箇条書きにまとめてみよう

  • VRシングスたちの理想の世界の集合体である以上、VR世界は現在の世界を創造した者たちにとっては非常に大切であり、ゆえに排他的になり得る

  • エコシステムのサイズが小さいためその拡大によるその成長を期する駆動力が働く可能性があり、それは「理想の世界」の破壊を伴うかもしれず、現在の世界を創造した者たちに受け入れづらいかもしれない

  • リアルを拠点とする以上リアル世界の経済から完全に脱却して独自の経済的エコシステムを作ることが難しいかもしれない。これを乗り越えるには何らかの技術的・経済的パラダイムシフトが必要かもしれず、ここのところはリアル寄りの論者からは非現実的だとされるかもしれない

ぼく自身は現状のVR世界は形而上的独立世界という考え方でいるのだが、経済圏的な文脈でエコシステムについて考えるとこれは結構大変かもしれないというのが今回の思索での発見であったと思う
本稿はいったんここで閉じるが、引き続きこの内容については考えていきたいと思う


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