見出し画像

「変人」と言われるために申し訳なさそうなフリをする。

一般的に、「変人」は褒め言葉ではない。

オブラートに包めば「個性的」だが、大体は「非常識」という意味だ。

それでも、アルベルト・アインシュタイン大先生が
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない。」
と述べているように、常識の範疇も人によって異なる。

しかし、大多数の人間は「同じ偏見」を義務教育の中で刷り込まれる。


研究者は人と同じことをしていてはダメだというのが私のポリシーなので、「変人」とか「変わっている」と言われるのは私にとってはむしろ褒め言葉だ。

研究者でなくても、変人と言われて嬉しいと感じる人はそこそこいるだろう。
今はマイノリティを安全に主張できる時代だ。

ただ、私は変人だと言われても露骨には喜ばないようにしている。
「人とズレているところがあって…もし何か失礼があったらすみません。」
と言って申し訳なさそうなフリをする。

なぜか。

それは、そこで喜んだらもう「変人」と言ってもらえなくなるから。

人は自分より立場が下だとわかっている者には気楽に攻撃する習性がある。
攻撃した相手が素直に負けを認めたら、安心してもっと攻撃できる。
「すみません…」とヘラヘラしていたら、今後は他の人の前で、「こいつは変人だから困るんだよ(笑)」と言いふらす。

内心、ちょっと嬉しい。

ただ、変人ではなく「サイコパス」と言われるとちょっと傷付く。

たまに自身のサイコパス性に気付くことがあり、コンプレックスでもある。
あとは最近知った「ノンデリ」という言葉。
デリカシーがないという意味らしい。
これも強烈に刺さる。

だからヘラヘラした無害な変人を演じているのかもしれない。
…と今気づいた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?