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【エッセイ】AIと作曲と私

どんな趣味でも、初めて挑戦する時が一番大変で一番面白いと思います。
やり慣れてくると、どんどん上手になってきますが、面白さという点ではどうしても初挑戦の時には敵わない気がします。
もちろん、上達すると視点が変わって、同じことをしていても違う面白味を味わえるので、一概には断定は難しいです。
でも、ことさら趣味に限っていえば、どうやら面白さと大変さは正比例の関係にあるようです。

さて、最近色々な分野で本当に便利で安価なツールが増えました。
昔だったら経済的、物理的、技術的に諦めざるを得なかったような事が、そんなツールによって瞬時に叶ってしまいます。
僕は致命的な面倒くさがり屋なので、中々腰が上がらなくて手がつかない事が多いのですが、趣味の作曲だけは10代の頃からチマチマ30年近く続いています。もしかしたら面倒くさくなって今日辞めちゃうかもしれませんが、それはさておき。

僕の作曲の定義はオリジナルのコードとメロディを作る事です。
僕の場合、そこには意識的または無意識に自分なりに設定した評価基準があり、それをクリアする為にとにかく七転八倒しながらなんとか捻り出すことを繰り返してきました。
作曲した楽曲のアレンジや演奏やレコーディングは多少の試行錯誤はしたものの、主に技術の圧倒的な進歩によってかなり楽に、それなりのクオリティが作れる制作環境が実現しました。
もちろん、あくまでそれなりのクオリティです。
でも最近作曲の分野でもAIによる画期的なツールが登場しているようで、ジャンルやイメージをテキスト入力することで、プロ顔負けの楽曲を歌詞付きでAIが演奏してくれるそうです。
友人が教えてくれました。
はっきり言ってクオリティの面では、自分で作るより断然ハイレベルな作品が作れると思います。
プロの作曲家なら導入を検討されているでしょうし、僕も趣味で使う日がいつか来るのかもしれません。
でも、僕は大変さと面白さは正比例すると思うので、作曲という最後の砦だけは何としても自力で守らなければ、作曲に飽きてしまいそうな気がします。

自分の作品は世界中のどの作品より重要です。
もちろん、他人にとって同様の価値があるとは限りません。
でも、僕にとってはある面では大好きなビートルズの作品より重要です。
なぜならそれは、程度の差こそあれ自分の人生、生活が投影されたものだからです。
僕が自分の作品を評価する基準で最も重要な項目は、自分自身がその作品に宿っているかどうか、なのだと思います。
だから、AIでハイクオリティな作品が作れても、僕の評価基準をクリアする様子が、まだイメージ出来ません。
それは、山登りが好きな人が、ヘリコプターであっという間に山頂に到着した様なものに思えるのです。
山登りが好きな人が山を登るのは、山頂に着くのが目的ではないと思うのです。

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