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抗HIV治療ガイドライン2024年版【抗HIV治療の開始時期(成人、慢性期)】

こんにちは。Dr.Kです。大学病院に勤務しながら、HIVや感染症に関する知識の啓発を行っています。
第2段目の投稿ですが、抗HIV治療の開始時期について2024年3月に改訂された抗HIV治療ガイドラインにそって解説を行いたいと思います。

HIV陽性となった場合、
いつから治療を始めるのか?
いつから治療を始めたらいいのか?
いつになったら治療が始められるのか?
などについて解説していきます。

抗HIV治療ガイドライン2024年版3月PDF版

治療開始時期と治療成績

HIV感染症の治療では、現在の抗HIV薬を用いてもウイルスを完全に排除するには数十年の長期治療が必要とされています。治療を中断した場合、HIVは再び増殖し、治療前の状態に戻ってしまいます。このため、患者は生涯にわたって治療を継続しなければならず、それに伴うQOLの低下、経済的負担、副作用など様々な問題が生じます。

治療開始時期の決定には、治療効果という正の側面と長期毒性などの負の側面のバランスを考慮する必要があります。治療効果の指標としては、AIDS発症の阻止と生命予後の改善が挙げられます。過去の臨床統計から得られたエビデンスに基づいて、これらの点について検討することが重要です。

治療開始時期の参考となるパラメーター

慢性期の無症候性HIV感染症患者の治療開始時期を決定する際、CD4陽性Tリンパ球数(CD4数)と血中HIV RNA量が重要なパラメーターとなります。しかし、これらの指標は患者ごとのばらつきが大きいことが知られています。HIV感染症の病態が「CD4陽性Tリンパ球を中心とする免疫の破綻」であることから、治療開始基準としてはCD4数がより重視されてきました。海外のガイドラインでも、過去にはCD4数が第一のパラメーターとされてきました。

一方、治療開始時の血中HIV RNA量に関しては、10万コピー/mL以上の群で治療後の生命予後が低下するとの報告がありますが、CD4数が200/μL以上の患者に限定した場合、血中HIV RNA量が生命予後に与える影響は統計学的に有意ではないことが示されています。したがって、慢性期HIV陽性者の治療開始時期の決定には、主にCD4数が重要な指標となりますが、患者個々の状況を考慮し、総合的に判断することが求められます。

未治療で経過観察した場合の HIV 陽性者のエイズ発症率

Mellorsらの研究によると、抗レトロウイルス療法(ART)を行っていないHIV陽性者のAIDS発症リスクは、フォローアップ開始時のCD4数と血中HIV RNA量によって異なることが明らかになりました[1]。
解析の結果、特に、3年後のAIDS発症リスクが30%を超える患者群は、以下の条件に該当しました。

  • CD4数が350/μL以下

  • 血中HIV RNA量が55,000コピー/mL以上

この研究結果は、ARTを開始する際の判断材料として重要です。CD4数と血中HIV RNA量を考慮し、AIDS発症リスクの高い患者群に対しては、より早期の治療開始を検討する必要があります。

未治療患者が3年後にAIDSを発症する頻度(%)

ART を開始した場合の HIV 陽性者の生命予後

HIV陽性者の生命予後を改善するためには、ARTをより早期に開始し、高いCD4数を維持することが重要であることが明らかになってきました。ARTを開始した患者のCD4数の回復は、治療開始前のCD4数に大きく影響されます。

CD4数が350/μL以上で治療を開始した患者群と、350/μL未満で開始した患者群では、治療後のCD4数の回復に明確な差異が認められました。CD4数が350/μL未満で治療を開始した患者では、CD4数が正常域まで回復することは期待できないことが示唆されています。大規模なコホート研究や無作為比較試験の結果から、CD4数が350/μL以下で治療を開始した患者は、AIDS発症率および死亡率が高いことが明らかになりました。一方、CD4数が500/μL以上で治療を開始した患者は、AIDS発症および死亡のリスクが低いことが示されています。

2015年に発表されたSTART試験は、CD4数が500/μLを超える未治療のHIV陽性者を対象とし、直ちに治療を開始する早期開始群とCD4数が350/μL未満になるまで治療を行わない治療待機群に無作為に割り付けて比較した大規模な試験でした。その結果、早期開始群では重篤なAIDSまたは非AIDS疾患の発症、または死亡のリスクが治療待機群に比べて有意に低いことが示されました。

2023年に発表されたSTART試験の長期成績[2]は、2016年時点でのCD4数中央値が648/μLの早期開始群2160例と460/μLの治療待機群2141例を対象に、2016年から2021年までの5年間の観察結果を報告しています。長期成績においても、「重篤なAIDSまたは非AIDS疾患の発症、または死亡」のリスクは、早期開始群で89人(0.73件/100人・年)であったのに対し、治療待機群では113例(0.93件/100人・年)と高く、ハザード比は0.79でした。つまり、治療待機群の早期開始群に対する超過リスクは、差が縮まっているものの、長期的にも持続していたことが明らかになりました。

日本のデータとしては、HRD共同調査の結果から、CD4数が500/μL以上で治療を開始した群の生存率が、500/μL未満で開始した群よりも有意に高いことが示されています。

ART開始時のCD4数と生存率

注目すべきことに、これらの研究から明らかになったHIV陽性者の死亡原因の多くは、肝疾患、腎疾患、心疾患、非AIDS関連の悪性腫瘍などの非AIDS関連疾患であることが判明しました。

これらの知見は、HIV陽性者の長期予後を改善するためには、CD4数が比較的高い段階でARTを開始し、高いCD4数を維持することが重要であることを示唆しています。早期治療開始による非AIDS関連疾患の予防効果も期待されます。今後は、個々の患者の状況を考慮しつつ、適切な治療開始時期を判断することが求められます。

予防としての治療

近年の研究により、ARTを早期に開始することが、HIV陽性者からパートナーへの感染リスクを大幅に減少させることが明らかになりました。

HPTN052試験では、CD4数が350~550/μLのHIV陽性者と陰性者のカップルを対象に、直ちにARTを開始する群とCD4数が250/μL以下もしくはAIDS発症するまで治療を行わない群に無作為に割り付けて比較した結果、すぐに治療を開始した群ではパートナーへの感染が96%減少していました。PARTNER試験[3]とOpposite Attract試験[4]では、HIV陽性者の血中ウイルス量が十分に抑制されている場合、コンドーム不使用の性行動でもパートナーへの感染が認められなかったことが報告されました。

これらの結果は、ARTによるウイルス抑制が、パートナーへの感染リスクを大幅に減少させることを示しています。早期の治療開始は、HIV陽性者個人の予後改善だけでなく、感染拡大の予防という公衆衛生学的な観点からも重要です。

抗HIV治療ガイドラインが提唱する治療開始時期基準と日本における状況

抗HIV治療ガイドラインでは、最新のエビデンスとDHHS、EACS、WHOのガイドラインを参考に、CD4数に関わらずすべてのHIV陽性者にARTの開始を推奨しています(推奨レベルAI)。DHHSガイドラインでは、内服率の向上、ケアへのつながりの向上、ウイルス抑制までの期間の短縮、ウイルス学的抑制を達成するHIV陽性者の比率の向上のために、HIV感染症診断後、即時もしくは可及的速やかな治療開始を推奨しています(推奨レベルAII)。

日本では、身体障害者手帳や自立支援医療などの制度利用に関して一定の条件を満たす必要があり、HIV陽性の診断から制度の利用が可能となるまでに1ヶ月以上の期間を要します。長期的な治療継続のためには制度の取得が必要であり、開始前に十分な検討が必要です。HIV感染症の診断時にAIDSを発症している症例でもARTを開始しますが(推奨レベルAI)、ニューモシスチス肺炎やクリプトコックス髄膜炎など重篤なエイズ指標疾患を合併する症例では、その治療を優先させる必要があります。

抗HIV薬治療の開始時期の目安

治療開始に際しては、服薬遵守の重要性を教育することや医療費減免のための社会資源の活用方法などについて詳しく説明することが重要です。早期の治療開始が推奨される近年は、これらへの配慮がより重要となっています。

参考資料として、「HIV診療における外来チーム医療マニュアル」や「制度のてびき」などが挙げられ、これらはホームページからダウンロード可能です。

参考文献

[1] Mellors JW, Rinaldo CR Jr, Gupta P, White RM, Todd JA, Kingsley LA. Prognosis in HIV-1 infection predicted by the quantity of virus in plasma. Science. 1996 May 24;272(5265):1167-70. doi: 10.1126/science.272.5265.1167. Erratum in: Science 1997 Jan 3;275(5296):14. PMID: 8638160.
[2] Lundgren JD, Babiker AG, Sharma S, Grund B, Phillips AN, Matthews G, Kan VL, Aagaard B, Abo I, Alston B, Arenas-Pinto A, Avihingsanon A, Badal-Faesen S, Brites C, Carey C, Casseb J, Clarke A, Collins S, Corbelli GM, Dao S, Denning ET, Emery S, Eriobu N, Florence E, Furrer H, Fätkenheuer G, Gerstoft J, Gisslén M, Goodall K, Henry K, Horban A, Hoy J, Hudson F, Azwa RISR, Kedem E, Kelleher A, Kityo C, Klingman K, Rosa A, Leturque N, Lifson AR, Losso M, Lutaakome J, Madero JS, Mallon P, Mansinho K, Filali KME, Molina JM, Murray DD, Nagalingeswaran K, Nozza S, Ormaasen V, Paredes R, Peireira LC, Pillay S, Polizzotto MN, Raben D, Rieger A, Sanchez A, Schechter M, Sedlacek D, Staub T, Touloumi G, Turner M, Madruga JV, Vjecha M, Wolff M, Wood R, Zilmer K, Lane HC, Neaton JD; INSIGHT Strategic Timing of AntiRetroviral Treatment (START) Study Group. Long-Term Benefits from Early Antiretroviral Therapy Initiation in HIV Infection. NEJM Evid. 2023 Mar;2(3):10.1056/evidoa2200302. doi: 10.1056/evidoa2200302. Epub 2023 Feb 27. PMID: 37213438; PMCID: PMC10194271.
[3] Rodger AJ, Cambiano V, Bruun T, Vernazza P, Collins S, van Lunzen J, Corbelli GM, Estrada V, Geretti AM, Beloukas A, Asboe D, Viciana P, Gutiérrez F, Clotet B, Pradier C, Gerstoft J, Weber R, Westling K, Wandeler G, Prins JM, Rieger A, Stoeckle M, Kümmerle T, Bini T, Ammassari A, Gilson R, Krznaric I, Ristola M, Zangerle R, Handberg P, Antela A, Allan S, Phillips AN, Lundgren J; PARTNER Study Group. Sexual Activity Without Condoms and Risk of HIV Transmission in Serodifferent Couples When the HIV-Positive Partner Is Using Suppressive Antiretroviral Therapy. JAMA. 2016 Jul 12;316(2):171-81. doi: 10.1001/jama.2016.5148. Erratum in: JAMA. 2016 Aug 9;316(6):667. Erratum in: JAMA. 2016 Nov 15;316(19):2048. PMID: 27404185.
[4] Bavinton BR, Pinto AN, Phanuphak N, Grinsztejn B, Prestage GP, Zablotska-Manos IB, Jin F, Fairley CK, Moore R, Roth N, Bloch M, Pell C, McNulty AM, Baker D, Hoy J, Tee BK, Templeton DJ, Cooper DA, Emery S, Kelleher A, Grulich AE; Opposites Attract Study Group. Viral suppression and HIV transmission in serodiscordant male couples: an international, prospective, observational, cohort study. Lancet HIV. 2018 Aug;5(8):e438-e447. doi: 10.1016/S2352-3018(18)30132-2. Epub 2018 Jul 17. Erratum in: Lancet HIV. 2018 Oct;5(10):e545. PMID: 30025681.

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