20200423 僕が出会った巨人たち 4人目 船場商人・和田亮介(和田哲(株)(現ワテックス)3代目会長)
大阪は「商人の町」と言われますが、その由来は、豊臣秀吉が、大阪城に入り、大阪の町を整備してからのこと。江戸幕府よりも古い歴史なのですが、いかんせん、大阪に残る古墳や古代の寺社仏閣などと比較すると、新しい概念なのです。
しかし、大阪が「天下」を取ったのは、江戸時代、蔵屋敷が立ち並び、「天下の台所」と言われたころと、戦前、繊維業が発達し、「東洋のマンチェスター」と呼ばれたころです。
もちろん、それぞれの時代考証なども面白いところなのですが、私が今回、紹介するのは、和田亮介さん。
和田亮介さんの略歴
和田哲株式会社3代目社長。昭和6年島根県宍道町生まれ。島根大学文理学部卒。大学卒業後は東洋紡に務めていたが、昭和36年和田哲株式会社入社、昭和50年三代目社長就任。大阪商工会議所議員、大阪織物卸商業組合理事長、近畿島根経済倶楽部、近畿島根県人会の副会長を歴任。日本ペンクラブ、日本エッセイストクラブの会員でもあり、和田哲創業者で「最後の船場商人」と呼ばれた、和田哲夫の言葉を記した、「扇子商法」など著作も多数。
親しみある「船場」という問屋街
私自身、縁が合って、幼い頃から、船場の問屋街には母に連れられて買い物に行っていたので、船場には親しみがありました。母に、「問屋って何?」と聞くと、「家の近くのお店の人が、お店に並べる商品を買いに来るところ」と、今思えば、一介の専業主婦にしては、ビジネスモデルをよく理解した説明をしてくれていました。
小学生に入るか入らないかの頃の私は、無意識のうちに、卸売りと小売りの違いを経験する機会に恵まれていたのです。その私が、文化を通じた、町おこしや郷土愛を育む事業に取り組もうとしているのですから、縁とは数奇なものです。
本題に行く前に、良著を紹介しておきます。5年前に発刊された、「商店街はいま必要なのか」です。
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