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車の運転における目線の正体

はじめに

「目線を遠く」や「先を見る」といった言葉は、運転を教えたことがある人なら全員使ったことがある鉄板フレーズでしょう。
運転がうまい人は遠くを見ている、うまく運転できない人は近くを見ている。教習指導員でなくとも、これに気づいた人は多いと思います。

しかし、そのアドバイスでうまくなる人もいれば、全く上達できない人もいます。勘が良い人なら「遠くを見る」という助言で、ああそういうことかと気づけますが、気づけない人はいくら言っても遠くを見れないし、上手くもなれません。

ではなぜ近くを見てしまうのか。
逆に運転がうまい人はなぜ遠くを見れるのか。
私も色々調べましたが、この答えが書いてある資料はなかなか見つかりませんでした。そこで、できる限り深掘りして考察した私の見解をここに残しておこうと思います。

人はどのようにしてハンドルを操作するのか

日本初のF1マシン【ホンダRA271】を設計した、佐野彰一氏の講話を拝聴したときの資料にこんな文章がありました。

□人はどのようにしてハンドルを操作するのか
ドライバーはどのようにしてクルマを操縦しているのか考える。
わかり易いように、緩やかなコースに沿ってクルマを走らせる状況を取り上げる。この場合には、ドライバーは車速にふさわしい距離で前方の地点を見ながら、その地点でのクルマの中心線の延長線とコースのズレ量に比例したハンドル角を決めて操舵していると考えられている。この先を見る地点までの距離を「前方注視距離」と呼び、これが短すぎるとクルマは不安定になり蛇行することが確かめられている。

佐野彰一

これを読んだとき、自分の認識は間違っていなかったと思いました。
前方注視距離が近いとふらついてしまい、前方注視距離が適切だと安定して走らせられる。つまり遠くを見て走らせれば、うまく運転できるのだということがここで確定しました。

しかし実際に教習でこの事を伝えても、なるほどと言ってうまくなる人がいる一方で、全く身につかず上達しない人もいました。
それもそのはずです。うまくいく方法が分かっても、なぜそれができないのかを全く考えていませんでした。遠くを見ればうまくいくと分かっていながら、逆になぜ近くを見てしまうのか、近くの何を見ているのかを全く考えていなかったのです。

その後は何か月もかけて、自分で運転するときには何を見て操作しているのか自分自身を観察したり、教習生は何を見ているのか今まで以上に観察したり、直接本人に質問したりしました。
紆余曲折、試行錯誤の末、うまく運転できない人は近くを見ようとしているわけではなく、怖い所や不安な所を気にしているのではないか、その結果目線が近くなってしまうのではないかという仮説が生まれました。

そしてその仮説に基づき、恐怖心の発生原因や不安な所を見てしまう要因は何なのか調べ上げた結果、次の論文に辿り着きました。

目線の正体は、接近行動と回避行動。

接近行動とは,対象と自分との距離を短くしようと いう行為であり,その実行手段としては物理的移動や道具的行動,消費なども含まれる。 回避行動とは,対象と自分との距離を長くしようとする行為であり,対象から離れたり,対象を遠ざけたりといった手段がとられる。
生物にとって, 環境内で出会う対象が自らにとってポジティブなものかネガティブなものかを判断し,それに対して適切な反応を実行することは決定的に重要な適応課題である。
そのため,人間は知覚した対象について迅速に評価的判断を下し、接近あるいは回避のいずれかの志向性を発動させるシステムを備えている。
(e.g. Cacioppo, Gardner, & Berntson, 1997; Cacioppo, Priester, & Berntson 1993; Chen & Bargh, 1999; Strack & Deutsch, 2004)

接近・回避行動の反復による潜在的態度の変容
尾崎由佳

この論文が今回の結論に辿り着くキッカケになりました。

端的に人間の行動は『何かに近づこうとしている行動』と、『何かを避けようとしている行動』の二種類に分けられるということです。
普段の生活にも当てはまりますし、その他スポーツなど様々な行動に当てはまります。
そして、これを車の運転に当てはめて考えると、目線が近くなり、うまく運転できない人がやってしまう操作に説明がつきました。

うまく運転できない人は、ハンドル操作をしようとするときに、ぶつかりたくない対向車や、はみ出したくない路側帯、中央線など、ネガティブな対象を基準に操作をしてしまっているのです。
それは『何かを避けようとしている行動』つまり回避行動的な操作になります。
避けるための操作なので、行くべき方向に向かうことはなく、余計にズレが生じ、結果ふらつきやはみ出しの原因になります。
・直線で真っ直ぐ走れない
・うまく障害物を避けられない
・カーブで目線が固定されてしまう
・うまくハンドルが回せない
・ハンドルが真っ直ぐになってるか見てしまう
・ミラーが見れない 等々
症状をあげたらキリがないですが、初歩段階で上手く運転できない人のほとんどは、この回避行動的な操作をしています。
やってみると分かりますが、この意識で運転していると勝手に目線が近くなります。

逆にハンドル操作をしようとするときに、車体が向かうべき目標地点や安全な地点など、ポジティブな対象を基準に操作をすると、それは『何かに近づこうとしている行動』つまり接近行動的な操作になります。
自分が行きたい方にどんどん向かっていくので、ハンドルが安定し速度も出しやすくなります。良い意味で怖い所を見なくなるので、恐怖心が減るのです。
そして自然と目線が遠くになっていきます。

何かを避けるように運転操作をすると、近くを見てしまい、何かに近づけるように運転操作をすると、おのずと遠くを見るようになる
ということです。

これは、技術的な問題ではなく、心理的な問題なのです。


対症療法ではなく根治療法を目指すべき。

「運転がうまい人は遠くを見ている」
間違ってはいないですが、正確には、
「運転がうまい人はポジティブな対象に近づけるように操作をしている、結果遠くを見るようになる」と言えます。
「運転が下手な人は近くを見ている」も
「運転が下手な人はネガティブな対象を避けるように操作をしている、結果近くを見てしまう」となります。

「目線が近いから遠くを見て」とか
「一点を見ないで全体を見て」とか
「ふらついてるよ」など症状を捉えて指摘するのは簡単ですが、根本的な解決にはなりません。

風邪をひいて熱が出たから解熱剤を飲むのではなく、風邪ウイルスそのものを無くす抗生物質を服用したり、そもそもウイルスに感染しないようワクチンを接種する方が後々のためになります。
同じように、なぜ近くを見てしまうのか、なぜ一点を見つめてしまうのか、原因を追求して根治療法を目指さないと本質的に運転が上達するとは言えないでしょう。

過去の経験や知識を元に、最初から接近行動的な操作をおこなえる人もいますが、多くの人は回避行動的な操作になりがちです。
運転というものは、危ない所を避けるのではなく、行くべき所に近づける行為なのだということを気づかせて、価値観や認識の変化を起こさないと何をやっても上達しません。

運転において重要な項目は他にもいくつかあります。これだけできていれば絶対うまくなるというわけではありません。しかし、大半の教習指導員が「目線を遠くへ」だけの一本槍で戦っている現状をどうにかしたく、今回は目線について考察した結果を紹介させていただきました。
参考にしていただければ幸いです。

さらに深掘りし『なぜ回避行動になってしまうのか』の考察もありますが、それはまた別の記事でお話ししようと思います。


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