ユーカリの茶葉

幸せなこと。ユーカリとジャスミンの茶葉、ハーブティーの香り。横たえられた透明な瓶にかくれた甘い香りと、記憶の中の笑顔。いつになく静けさが響く夜、虫の声、雨上がりにすずしげな顔で上昇しはじめた気圧。だれかのてのひらのあたたかさとどれも、揺らぎのない平穏な鼓動を愛し、まぶたの裏になにも呼び起こさないでいてくれるもの。わたしはずっとこんな静けさを愛しているけれど、どうにも騒がしい夜はこの社会にとても多い。きっと、安定している物事の数のほうがうんと少なくって、平穏さは流れ星のように一瞬だけ現れる。これをこころの中でできる限り引き延ばして、忘れないようにだれかと分かち合ったり、ことばにしたりするのだ。流れ星が去れば、そこにはただの星空。無数の瞬きに目をやりつづけていては、見つめ続けるのもいやになる。だからこそ、ときどき現れる流れ星を読む。あなたはわたしにとってとくべつなのだと、忘れないように。

ひさしぶりにSSRI服用を休止して、休止したことが不安につながらないよう、家にある漢方や茶葉を見繕って飲んだりした。この前休止したときはすぐ症状がぶり返して、慌てて足さなければならなかったのだけれど、今回は大丈夫そうだ。明日も明後日もちゃんと体調の様子を見て、無理をしなければきっと大丈夫。おかげで今日は、夜がずいぶん穏やかで静かだ。わたしの場合、こころの調子というのは常にどん底というより、大きな上下を伴う細かい波のようだ。コントロールは利かないので、波ひとつひとつにさらわれないよう、波の数を数えないようにして、からだの力を抜くようにして過ごす。上に振れたときは「これが永遠ではない」と思いながら、下に振れたときも「これが永遠ではない」と思いながら。それぞれの用意とそれぞれの過ごし方。こうやって自分と向き合って過ごしている時間そのものは、案外嫌じゃない。自分の流れを大事にできているような気もしている。

昨日もとてもいい日だった。大事なひとの大事な日だったので、いろいろ用意してふたりで過ごした。大事なひとが大事な日をわたしと過ごすと決めてくれることは、とても素敵なことだ。ふたりとも大きなしあわせを感じていたみたいなので、ふたりでしあわせについての話をすると、相手は「すごくしあわせな瞬間を作っていきたい」というふうに言っていた。ここにも、流れ星を大事にする才能がある素敵な人がいた。やっぱりどんなしあわせにもかなしみにも大きさがあって、どちらも大きすぎると体内のバロメーターがちょっと狂うし、小さすぎるとこころの形が凝り固まることがある。どちらもべつに悪いことじゃないけれど、ちょっとやわらかくなくなって、それが不便なときが来る。

たぶん、ほんとうに大事なものを見失ったり、余計なものに気を取られる時間が少なくて、かといって酔っぱらわないくらいがちょうどいいのだ。幸せなこと。

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