遠いところに行く-theme:移動

今までで一番長い移動は、アメリカに行った時のものだった。
高2の冬、学校の研修としてアメリカ・フロリダに行ける4人に選ばれた私は、出発する時この人たちと30食ほどを共にするのかと思い、妙な感慨に耽っていた。

日本、それも関西からフロリダへの直行便はなかったのか、やや面倒なルートを辿った。まずは新幹線で成田まで。そこからデルタ航空でJ・F・ケネディ国際空港まで。そこで乗り換え、パームビーチ空港まで。航空会社は覚えていない。

言わずもがな、成田からJFKまでの飛行時間がめちゃくちゃ長い。12時間くらいあったのではないだろうか。飛行機の中にある程度一体感が生まれてくるくらいの時間である。
長距離の移動に慣れている人たちは問題なく冷静に眠ったりしていたが、初めての長距離フライトに興奮しまくりの小娘はおちおち寝てもいられない。眼下に広がる雲海を眺めたり、機内パンフレットを隅々読んだり、間食やナッツ類まで含めた機内食に取り掛かったりと大忙しである。leakという単語をそこで初めて見た。ネギっぽい野菜が煮込まれた、トロッとした餡が中に入ったパイみたいなものを深夜に食べた。

多分深夜だったと思う。というのも日本からアメリカに向かって飛ぶと、太陽を迎えにいく形になるので、本当に暗い時間は短いからだ。日が沈んでから6時間ほどで朝日を拝んだ。水平線の向こうのほうから、大気をあまり経由していない、ぴかぴかの太陽光が差し込んでくる。十分に寝てもいないのに夜が明けてしまったことに少々焦りを覚える。機内の液晶には今アリューシャン列島の上空を飛んでいると表示され、外は大層寒いのだろうと想像する。

その時は窓側だったから、本当にずっと外を眺めていた。だから、雲海の中にクレーターみたいなぼこぼこがあることにも気づけた。液晶にはrockyと表示されている。もしかしなくともこれはロッキー山脈ではないか。地上からの険しい山脈を思い出す。それよりも高いところにいるのだ。


往路は本当にワクワクしていたので、いろんなことを鮮明に覚えている。離陸の時に合わせてFUN.を聴いていたとか、やたらお腹を壊して機内食を一つ逃したとか、寝静まった時間にトイレに行ったらCAさんたちのスペースで黒人のCAさんがにっこりと手を振ってくれたこととか。しかし復路はもう曖昧である。隣の友人がホラーを見ようとしつこいのでみた映画がなかなかトラウマを残していることくらいしか覚えていない。


研修は11日間で、初心者にとってはなかなかの日数であったと思うのだが、恐ろしいほど不安を抱かずに行ったことを覚えている。飛行機が墜落したらどうしようかなあと思い、もしもの時のために写真やさまざまなデータを保存していたGoogleアカウントのパスワードをわかりやすいところに書き置きしたくらいで、後のいろんなことはかなり能天気に構えていた。
思えばあれほど気楽に望めていたのは本当に貴重だったと思う。今では考えられないほど能天気だった。その時守ってくれていたものはもうなく、これから外へ向かうなら限りなく身ひとつに近い状態で飛び込まねばならない。

別に外国に向かわなくても、そもそも移動というものは不安がつきもので、むしろ能天気だとさまざまなものの格好の餌食になること請け合い。だからある程度不安で、ある程度不信で行ったほうがいいのだろう。

しかしあの果てしなく能天気に飛行機に乗っていた時間を私は愛したいと思ってしまう。知らない明日が待っていて、明後日にはその「知らない明日」を知っている自分になれる。遠くへ遠くへ行ける状況に酔い、純粋に希望を抱ける時間。
「どこかへ向かう」という行為自体が、そんな気分を持っているのではないかとすら思ってしまう。

そういえば思い出したが、復路では乗り換えの時間で、人生で初めてデリクレープというものを食べた。フェタチーズとベーコン、ほうれん草が包まれたパリパリのクレープで、異常に美味しかった。そう、その日はめちゃくちゃ早いフライトで帰らなければならず、一同「起きられるかどうか」にヒヤヒヤしていて、とりあえず起きられてほっとして、飛行機に間に合ってほっとして、まだ暗いパームビーチ空港を後にして、JFKで朝食を食べようと決めたのだった。あ、空港で見送ってくれた現地出身の先生(後から帰ってきた)とその旦那さんの様子も思い出した。な〜んだ思い出せるじゃないか。全てが知らないことだったから、そりゃやはり復路も新鮮なはずなのだ。やはり知らないことを見にいくのは良い。

(文・sio)

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