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ピザハット VS ドミノ。アメリカ、ピザ戦争
日本でもお馴染みのピザハットとドミノ。アメリカ発祥の2大ピザチェーンは、アメリカ人の間で、どちらが良いか激論が交わされる永遠のライバルだ。(ちなみにピザーラは日本発祥で、映画『E.T.』に登場したピザ宅配に目を付けた株式会社フォーシーズ会長が1987年にオープンした会社)
この2大ピザチェーンの歴史を紐解くと、如何にしてピザがアメリカ人のソウルフードになったのかが見えてくる。
アメリカとピザの出会い
ご存じの通り「ピザ」は、イタリアのナポリで17世紀後半から18世紀前半に誕生した、イタリア発祥の料理だ。アメリカ東海岸に渡ったイタリア移民がピザレストラン (Pizzaria)をオープンしたことで、アメリカにもピザが持ち込まれた。
アメリカ最古のピザレストランは、1905年にオープンした、ニューヨークのLittle ItalyにあるLombardi’s Pizzaだ(諸説あり)。実際に食べに行ったことはないが、写真で見ると「アメリカンピザ」というより、伝統的な「イタリアンピザ」といった見た目だ。
当時ピザは、アメリカに住むイタリア人向けの食べ物、という立ち位置で、大部分のアメリカ人はピザという食べ物を知らなかった。
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ピザハットの起源
ピザを大衆フードとして広めたのは、ピザハットだ。1958年、カンザス州ウィチタの大学生兄弟(兄Dan Carneyと弟Frank Carney)は、たまたま雑誌で読んだイタリアの食べ物(ピザ)に特化したレストランをオープンすることに。2人はレストラン経験ゼロだったが、母から借りた600ドルでバーを賃貸、身近に手に入る食材を適当にトッピングにして、「これがピザだ!」として売り出した。彼らのピザは、イタリアの伝統ピザと違い、皮は薄く、ビスケットみたいにカリカリしていたが、当時誰もピザを知らなかったので、これがアメリカにおける「ピザ」の定義となっていった。
なお、彼らは予算が無かったので、8文字しか入る看板しか買えなかった。どうしても「PIZZA」の5文字は入れたかったので、残り3文字で何にするか考え、「HUT」を足すことに。「PIZZAHUT」(ピザ小屋)の名前に行き着いた。
オープンから7か月後、兄弟は、ピザをアメリカ各地でフランチャイズするアイデアを思いつく。当時、マクドナルドとケンタッキーがフランチャイズで爆発的な成長をしており、ピザでもできると思ったのだ。このアイデアにより、1960年代末には300店舗まで拡大した。
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ドミノの起源
一方、ミシガン州イプシランティでは違う大学生兄弟(兄Tom Monaghanと弟Jim Monaghan)が学費を払うため、900ドルのローンをして地元のサンドイッチ屋を買収し経営することに。元々の創業者の名前がDominick DiVartiだったため、店名は当時、DomiNick’sであった。
イタリア風サンドイッチとピザを売っていた店は大繁盛。狭い店に入りきれない客のために、配達するアイデアを思いつく(当時、フードデリバリーはチャイニーズレストランしかやっていない新しいアイデアだった)。
デリバリーは、大量の注文をいかに早く処理するかが勝負なので、徐々にメニューをシンプルにし、ピザのみに集中していった。また、フランチャイズ展開も開始し、主に学生寮が立ち並ぶエリアに集中的に出店した。この時、名前もDomino’sに変更。ロゴも3つの点(最初にオープンした3つの店を象徴)からなるものに変更した。
しかし、急拡大が原因で1970年代半ばに、一時倒産の危機に。この危機を救ったのが、今では当たり前の「30分以内に配達できなかったらピザ無料」キャンペーンだ。これで状況が一転、現在ではピザハットを凌ぐ最大のピザチェーンとして君臨している。
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ドミノピザと私の思い出
東京にある私の実家の近くには、小さいころからドミノピザがあった。30年前、今では70歳を超える父が「自分で取りに行ったらピザが割引になるぞ」と言って自ら自転車で持って帰ってきていたことを覚えている(今思うとどうやって自転車に乗りながらピザを持っていたのか気になる)。
父の持って帰ってくるピザはまだほんのり温かく、段ボールの箱の匂いと混じった何とも言えない香ばしい匂いは今でも鮮明に覚えている。
我が家では、ピザの割引チラシが投函された週の日曜日の昼にピザを食べることが多かった。どのピザを頼むか、よく姉と喧嘩をしたが、ピザを食べるときは家族そろって、他愛の無い話をして過ごした。私の人生で、とても幸せな思い出の一つだ。
あの日、私が食べていたのは何だったのだろう。
父は、「これはイタリアの食べ物だ」と教えてくれた。でも実際は、「イタリア風のアメリカンチーズサンドイッチ」とでも言うのが正しいのだろう。でも、そんなことはどうでもいい。アメリカンチーズサンドイッチは私の大切な人生の一部であり、そこに何一つ偽りはない。
「また家族でピザを食べたいな」。あの時の父の年齢に近づいてきた私は、ふと、そんなことを考えた。
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