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アイドルの源流を探る

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「アイドルとは一体何か」という根源的な問いにぶつかった著者による、アイドルジャンルの"副読本"。これだけ巨大化・国際化しているにも関わらず、いまだすっぽりと抜け落ちているジャンル…
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#日本史

「アイドルの源流を探る」目次

■読者の方へ「アイドルの源流を探る」について リニューアルについて(※2022年までのnote読者の方へ) 第三章以降についてのおことわり ■はじめに【無料】まえがき(身もふたも無いプロローグ) 〇〇から浮かび上がる「アイドル」「ボーイバンド」「ガールグループ」 ■第一章 アイドルの「出発点」(1880~1945)【無料】子どもでも大人でもない「若者」の誕生 【無料】欧米の若者たちの出発点 日本の若者たちの出発点 芸能ビジネスの出発点 若者と表現者たちの解

1963年、若者の間で始まる「歌って踊れるコーラスグループ」への拡張

※こちらの記事は有料マガジン購読者限定の公開記事になります。

1962年、日本アイドルの原型「フレッシュなコーラスグループ」の登場

※こちらの記事は有料マガジン購読者限定の公開記事になります。 日本アイドルの原型①:「フレッシュなコーラスグループ」の登場 1961年のある日、いまだロカビリーブームの熱気が残る”ライブハウス”型有名ジャズ喫茶・東京銀座のテネシーに、一人の男性客が訪れた。 男性はいくつかのステージを見た後、その出演者の中から20歳前後の男性3名に自ら声をかけていく。 「お前たち3人ちょっとテレビ局に来いよ」

ロカビリー歌手とコーラスグループを結びつけた、日本のテレビ黎明期の内情

ロカビリー歌手とコーラスグループを結びつけた、日本のテレビ黎明期の内情 日本ではアメリカから少し遅れる形で、主権回復後の1953年にテレビの本放送がスタートしていた。 しかし1950年代の人気テレビ番組のレギュラー出演者欄には、当時国民的人気を誇っていた映画スターの名前が見当たらない。 代わりによく記載されているのは映画会社のスターシステムとは異なる場所、いずれも舞台で芸才を育ててきた寄席芸人 、喜劇俳優、そして少女歌劇出身者の名前である。 この結果には、大きく2つの理由

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【無料】1958年、若者によるもうひとつの”昂奮と陶酔”コーラスブーム

1958年、若者によるもうひとつの”昂奮と陶酔”コーラスブーム 瀬川昌久と大谷能生の共著『日本ジャズの誕生』などの関連文献によると、実は戦前=1930年代の日本でも、アメリカから輸入されていたミルス・ブラザーズやボズウェル・シスターズのレコードに影響を受ける形で、日本人コーラスグループがいくつか誕生していたという。 中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ『タイガー・ラッグ(原題:Tiger Rag)』 コロムビア・リズム・シスターズ『もしもし亀よ』(作編曲:服部良一)

1958年、アメリカのロックンロールとは違う方向に進み始めたロカビリーブームとその事情

1958年、アメリカのロックンロールとは違う方向に進み始めたロカビリーブームとその事情 前述の通り、日本のロカビリーブームは1958年2月の第一回「日劇ウエスタン・カーニバル」開催を皮切りに始まった。同じ時期、アメリカのロックンロールの勢いはまだ健在で、エルヴィス・プレスリーもギリギリ入隊前である。 だが第二章で触れたように、アメリカのロックンロールブームはその後、フルスピードで変容していく。その要因は引退、徴兵、あるいは犯罪行為など、人気歌手自身が歩む”その後”が、若いフ

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ジャズ喫茶の特異な熱狂から生まれたロカビリーブーム

ジャズ喫茶の特異な熱狂から生まれたロカビリーブーム 日本にも訪れた、「耳で、頭で聞くための音楽」と「単純明快に踊れる音楽」の分離。 そこから生まれる逆風は各地のジャズ喫茶や日本人ジャズバンドはもちろん、1955年に日本人ジャズミュージシャンのマネジメントを目的として芸能事務所・渡辺プロダクションを設立したばかりの渡邊晋・渡邊美佐夫妻にも、やはり厳しく吹き付けていた。 しかし1957年11月、渡邊美佐はたまたま、ジャズ喫茶で若者たちの”特異な熱狂”を初めて目撃する。 その熱

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戦後初のジャズブームでフィーチャーされた、ライブハウスとしての「ジャズ喫茶」

よく似た存在、そして誕生時期もほぼ重なっている海外型ガールグループの成り立ちを一通り追いかけたところで、ここからはいよいよ、当連載において極めて重要なセクションと言える「日本アイドルの形成過程」の話に入りたい。 1940~1960年代アメリカの若者向けエンタメ史を再確認したこのタイミングで、時間の針を巻き戻し、改めて1945年からの日本に目を向ける。 そうすると現代のアイドル・ガールグループ・ボーイバンドにおける差異はそもそもなぜ生まれたのか、その根本からの全てが、やっと明確

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アイドルの「出発点」

アイドルの「出発点」 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、近代化が著しく進む社会は、国民教育の仕組みの中に「若者」を創出した。 そして若者の創出は同時に「若者ゆえの不条理」も創出する。 それは半ば一方通行の社会的区分と社会情勢の摩擦から生じてしまう、誰もが逃れられない不条理であった。 フランスの作家、アルベール・カミュは随筆『シーシュポスの神話』で、不条理をこう定義している。 「理性では割り切れない世界」と「明晰を求める死物狂いの願望」。 人がこの対峙に耐えきれなくな

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1936年の明日待子

若者と表現者たちの解逅、それは「不条理」の果てに ①1936年の明日待子 日本社会の近代化と閉塞感が急加速していた1920年代末~1930年代初頭、心の逃げ場としてエロ・グロ・ナンセンスが流行したことは既に触れているが、実はほぼ同じ時期に、一部の若者はまた少しベクトルの異なる華やかさにも逃げ場を求めていた。 ちょうど全盛期を迎えていたレビュー・軽演劇の分野における、少女スターである。 1913年の宝塚唱歌隊、現宝塚歌劇団誕生から始まる日本のレビュー(歌・ダンス・寸劇を組

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日本の若者たちの出発点

日本の若者たちの出発点 一方、同時代の日本である。 まず近代義務教育制度の整備についてだが、日本では1872年(学制の発布)がその始まりとされており、これはアメリカやイギリスとほぼ同じタイミング であった。 そして1900年代に入ると、もうすでに大学生が主人公のいわゆる青春小説(小栗風葉『青春』、夏目漱石『三四郎』など)が国内で流行し始めており、 そして1914年にはあのスタンレー・ホール『青年期』も、最初の翻訳本が出版されている。ここまでの流れを見ていると、欧米と日本にお

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