乗田綾子

横浜出身、北海道在住。アイドルと文章書くことと野球と歴史が好きです。/ 著書『SMAP…

乗田綾子

横浜出身、北海道在住。アイドルと文章書くことと野球と歴史が好きです。/ 著書『SMAPと、とあるファンの物語』https://amzn.to/3af1NPX

マガジン

  • アイドルの源流を探る

    「アイドルとは一体何か」という根源的な問いにぶつかった著者による、アイドルジャンルの"副読本"。これだけ巨大化・国際化しているにも関わらず、いまだすっぽりと抜け落ちているジャンルの形成過程、「なぜアイドルはアイドルになっていったのか?」を、歴史の様々な切り口から探求します。 【※2022年まで「アイドルの世界史:研究ノート」として公開していたものをベースに、大幅な加筆修正を加えたものになります】

最近の記事

ロカビリー歌手とコーラスグループを結びつけた、日本のテレビ黎明期の内情

ロカビリー歌手とコーラスグループを結びつけた、日本のテレビ黎明期の内情 日本ではアメリカから少し遅れる形で、主権回復後の1953年にテレビの本放送がスタートしていた。 しかし1950年代の人気テレビ番組のレギュラー出演者欄には、当時国民的人気を誇っていた映画スターの名前が見当たらない。 代わりによく記載されているのは映画会社のスターシステムとは異なる場所、いずれも舞台で芸才を育ててきた寄席芸人 、喜劇俳優、そして少女歌劇出身者の名前である。 この結果には、大きく2つの理由

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    • 【無料】1958年、若者によるもうひとつの”昂奮と陶酔”コーラスブーム

      1958年、若者によるもうひとつの”昂奮と陶酔”コーラスブーム 瀬川昌久と大谷能生の共著『日本ジャズの誕生』などの関連文献によると、実は戦前=1930年代の日本でも、アメリカから輸入されていたミルス・ブラザーズやボズウェル・シスターズのレコードに影響を受ける形で、日本人コーラスグループがいくつか誕生していたという。 中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ『タイガー・ラッグ(原題:Tiger Rag)』 コロムビア・リズム・シスターズ『もしもし亀よ』(作編曲:服部良一)

      • 1958年、アメリカのロックンロールとは違う方向に進み始めたロカビリーブームとその事情

        1958年、アメリカのロックンロールとは違う方向に進み始めたロカビリーブームとその事情 前述の通り、日本のロカビリーブームは1958年2月の第一回「日劇ウエスタン・カーニバル」開催を皮切りに始まった。同じ時期、アメリカのロックンロールの勢いはまだ健在で、エルヴィス・プレスリーもギリギリ入隊前である。 だが第二章で触れたように、アメリカのロックンロールブームはその後、フルスピードで変容していく。その要因は引退、徴兵、あるいは犯罪行為など、人気歌手自身が歩む”その後”が、若いフ

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        • ジャズ喫茶の特異な熱狂から生まれたロカビリーブーム

          ジャズ喫茶の特異な熱狂から生まれたロカビリーブーム 日本にも訪れた、「耳で、頭で聞くための音楽」と「単純明快に踊れる音楽」の分離。 そこから生まれる逆風は各地のジャズ喫茶や日本人ジャズバンドはもちろん、1955年に日本人ジャズミュージシャンのマネジメントを目的として芸能事務所・渡辺プロダクションを設立したばかりの渡邊晋・渡邊美佐夫妻にも、やはり厳しく吹き付けていた。 しかし1957年11月、渡邊美佐はたまたま、ジャズ喫茶で若者たちの”特異な熱狂”を初めて目撃する。 その熱

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        • 【無料】1958年、若者によるもうひとつの”昂奮と陶酔”コーラスブーム

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        • アイドルの源流を探る
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          戦後初のジャズブームでフィーチャーされた、ライブハウスとしての「ジャズ喫茶」

          よく似た存在、そして誕生時期もほぼ重なっている海外型ガールグループの成り立ちを一通り追いかけたところで、ここからはいよいよ、当連載において極めて重要なセクションと言える「日本アイドルの形成過程」の話に入りたい。 1940~1960年代アメリカの若者向けエンタメ史を再確認したこのタイミングで、時間の針を巻き戻し、改めて1945年からの日本に目を向ける。 そうすると現代のアイドル・ガールグループ・ボーイバンドにおける差異はそもそもなぜ生まれたのか、その根本からの全てが、やっと明確

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          戦後初のジャズブームでフィーチャーされた、ライブハウスとしての「ジャズ喫茶」

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          第三章以降についてのおことわり

          第三章以降で取り上げる旧ジャニーズ事務所の創業者・ジャニー喜多川氏に関しては死去後の2023年8月、外部の専門家で構成された特別チームの調査により、青少年に対する性加害の事実が認定されました。 この時公表された調査報告書では、創業前の1950年代、そして創業と重なる1960年代初頭から性加害があったとの証言が掲載されています。 当連載はこのジャニー喜多川氏による性加害の事実を認識した上で、過去資料を再検証し、日本アイドル史と(特に平成~2023年以前は唯一神扱いで切り分ける

          第三章以降についてのおことわり

          ガールグループとは何か③ もっとも優先度が高いのは「パフォーマーとしての自意識」

          ガールグループとは何か③ もっとも優先度が高いのは「パフォーマーとしての自意識」 さらにこの1960年代には、エンタメコンテンツとしてのガールグループの受容に大きな影響を与えるレコードレーベルも登場する。 モータウンである。 1959年設立のモータウンは創業者であるベリー・ゴーディー・ジュニアが自動車工場の分業制をヒントに、設立間もない頃からパフォーマーだけでなく、プロデューサー、ソングライターといった専属スタッフもあらかじめ自社で確保していた。 そして、この自社完結シ

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          ガールグループとは何か③ もっとも優先度が高いのは「パフォーマーとしての自意識」

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          【無料】ガールグループとは何か② パフォーマー、プロデューサー、ソングライターの分業制が起こす化学反応

          ガールグループとは何か② パフォーマー、プロデューサー、ソングライターの分業制が起こす化学反応 また○○における現代の「ガールグループ」の解説をいま一度振り返ってみると、2番目に多く言及されている区別化表現は「楽器の演奏をしない」 、つまり“ガールグループは音楽活動における主体性を持ち合わせていない”という示唆である。 これも1960年代アメリカの人気ガールグループに目を向けてみると、彼女たちのサクセスストーリーを語る上でソングライターやプロデューサーの存在が欠かせないと

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          【無料】ガールグループとは何か① テレビ時代の輝き

          ガールグループとは何か ①テレビ時代の輝き The Shirelles『Will You Love Me Tomorrow』 学校で行われるタレントショー(文化祭的イベント)に出演するために高校の同級生4人で結成したシュレルズは、あのチョリー・アトキンスの教え子となり、そして1961年、『Will You Love Me Tomorrow』で黒人女性コーラスグループとして史上初の全米1位獲得という快挙を成し遂げた。 現代ではシュレルズ『Will You Love Me

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          若き優等生が歌うポップミュージックの流行

          若き優等生が歌うポップミュージックの流行 前述の通り、すでに1960年代初頭のアメリカでは若者に衝撃をもたらしたロックンロールブームが過去の記憶にされつつあった。 しかしその一方で、ロックンロールが存在を知らしめた若者たちの熱量は、これからがさらに高まるとも見込まれていた。 親世代の世界大戦からの解放と連動して生まれたベビーブーマー世代が、1960年代には次々にティーンエイジャーとなることを、アメリカの出生率はずっと指し示していたからである。 そうなるとブームが沈静化しても

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          ロックンロールの傷跡

          ロックンロールの傷跡 衝動と共鳴する革新的サウンドやパフォーマンスで、戦後世代の若者の心を見事に掴んだロックンロール。 しかし1957年10月、『Long Tall Sally』や『Tutti Frutti』などで知られるロックンロールの先駆者、リトル・リチャードが引退を発表した頃から、早くもブームの衰退は始まっていた。 1958年にはやはり『Whole Lotta Shakin' Goin' On』でブレイクしていたジェリー・リー・ルイスの人気が、女性スキャンダル発覚の影

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          【無料】若者たちがくすぶらせた”踊りたい”衝動、その声に応えたロックンロール

          若者たちがくすぶらせた”踊りたい”衝動、その声に応えたロックンロール 第一次世界大戦終結後の1920年代から第二次世界大戦が終結する1940年代半ばまで、アメリカの若者の心を捉えていたのは、常にジャズ音楽だった。なぜならこれらの時代の若者にとって、ジャズ音楽は貴重な「ダンスミュージック」だったからである。 特に太平洋戦争下のアメリカ本土ではグレン・ミラーやドーシー兄弟、ベニー・グッドマンらの演奏によるスウィングジャズが、若者たちの心身を軽快に揺らし続けた。 ただしジャズ自

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          ドゥーワップが導いたコーラスグループのダンス革命

          新たなコーラススタイル・ドゥーワップの登場と流行 ドゥーワップの名前はそのまま、ジャンルの特徴でもある有名なスキャット(楽曲展開に合わせたリズミカルな即興音声)を引用したもので、リードボーカル+幅広い役割を担うバックコーラスが基本構成である。 そのルーツは、まさにミルス・ブラザーズとインク・スポッツの歌声にあった。 この2グループもスリー・エックス・シスターズやボズウェル・シスターズと同じくバーバーショップ・ハーモニーの影響が濃厚な戦前の出身だが、彼らはバーバーショップ・ハ

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          【無料】戦禍を生き延びたコーラスグループ文化

          約6年に渡って世界中の人々を翻弄し、傷つけた第二次世界大戦。 その終結は実質的に、今この瞬間の私たちに繋がる「現代」の全ての始まりでもあった。 そして同時に、アイドルの成り立ちを探求する視点からその航跡を見直すと、特に大戦終結からの25年間には「ジャンルとしてのアイドルが自立していく」ステップが、ぎっしり詰まっていることに気づくのである。 その一つ一つをより深く理解するためにも、ここからの第二章ではまずアイドルによく似た存在、そして誕生時期もほぼ重なっている海外型ガールグル

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          アイドルの「出発点」

          アイドルの「出発点」 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、近代化が著しく進む社会は、国民教育の仕組みの中に「若者」を創出した。 そして若者の創出は同時に「若者ゆえの不条理」も創出する。 それは半ば一方通行の社会的区分と社会情勢の摩擦から生じてしまう、誰もが逃れられない不条理であった。 フランスの作家、アルベール・カミュは随筆『シーシュポスの神話』で、不条理をこう定義している。 「理性では割り切れない世界」と「明晰を求める死物狂いの願望」。 人がこの対峙に耐えきれなくな

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          1944年のフランク・シナトラ

          若者と表現者たちの解逅、それは「不条理」の果てに ②1944年のフランク・シナトラ かつて一世を風靡した「ロストジェネレーション」や「フラッパー」たちの享楽的華やかさが、混迷を極める国際情勢の中ですっかり遠い過去になっていた1944年。 ラジオから流れてくるビング・クロスビーのささやく歌声に魅了され、歌手を志したフランク・シナトラは、トミー・ドーシー楽団の所属歌手として発表した『I'll Never Smile Again』が大ヒットしたことをきっかけに、自身もまたスター

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