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アイドルの源流を探る

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「アイドルとは一体何か」という根源的な問いにぶつかった著者による、アイドルジャンルの"副読本"。これだけ巨大化・国際化しているにも関わらず、いまだすっぽりと抜け落ちているジャンル… もっと読む
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「アイドルの源流を探る」目次

■読者の方へ「アイドルの源流を探る」について リニューアルについて(※2022年までのnote読者の方へ) ■はじめに【無料】まえがき(身もふたも無いプロローグ) 【有料マガジン購読者限定】〇〇から浮かび上がる「アイドル」「ボーイバンド」「ガールグループ」 ■第一章 アイドルの「出発点」(1880~1945)【無料】子どもでも大人でもない「若者」の誕生 【無料】欧米の若者たちの出発点 日本の若者たちの出発点 芸能ビジネスの出発点 若者と表現者たちの解逅、それ

【無料】ガールグループとは何か① テレビ時代の輝き

ガールグループとは何か ①テレビ時代の輝き The Shirelles『Will You Love Me Tomorrow』 学校で行われるタレントショー(文化祭的イベント)に出演するために高校の同級生4人で結成したシュレルズは、あのチョリー・アトキンスの教え子となり、そして1961年、『Will You Love Me Tomorrow』で黒人女性コーラスグループとして史上初の全米1位獲得という快挙を成し遂げた。 現代ではシュレルズ『Will You Love Me

若き優等生が歌うポップミュージックの流行

若き優等生が歌うポップミュージックの流行 前述の通り、すでに1960年代初頭のアメリカでは若者に衝撃をもたらしたロックンロールブームが過去の記憶にされつつあった。 しかしその一方で、ロックンロールが存在を知らしめた若者たちの熱量は、これからがさらに高まるとも見込まれていた。 親世代の世界大戦からの解放と連動して生まれたベビーブーマー世代が、1960年代には次々にティーンエイジャーとなることを、アメリカの出生率はずっと指し示していたからである。 そうなるとブームが沈静化しても

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ロックンロールの傷跡

ロックンロールの傷跡 衝動と共鳴する革新的サウンドやパフォーマンスで、戦後世代の若者の心を見事に掴んだロックンロール。 しかし1957年10月、『Long Tall Sally』や『Tutti Frutti』などで知られるロックンロールの先駆者、リトル・リチャードが引退を発表した頃から、早くもブームの衰退は始まっていた。 1958年にはやはり『Whole Lotta Shakin' Goin' On』でブレイクしていたジェリー・リー・ルイスの人気が、女性スキャンダル発覚の影

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【無料】若者たちがくすぶらせた”踊りたい”衝動、その声に応えたロックンロール

若者たちがくすぶらせた”踊りたい”衝動、その声に応えたロックンロール 第一次世界大戦終結後の1920年代から第二次世界大戦が終結する1940年代半ばまで、アメリカの若者の心を捉えていたのは、常にジャズ音楽だった。なぜならこれらの時代の若者にとって、ジャズ音楽は貴重な「ダンスミュージック」だったからである。 特に太平洋戦争下のアメリカ本土ではグレン・ミラーやドーシー兄弟、ベニー・グッドマンらの演奏によるスウィングジャズが、若者たちの心身を軽快に揺らし続けた。 ただしジャズ自

ドゥーワップが導いたコーラスグループのダンス革命

新たなコーラススタイル・ドゥーワップの登場と流行 ドゥーワップの名前はそのまま、ジャンルの特徴でもある有名なスキャット(楽曲展開に合わせたリズミカルな即興音声)を引用したもので、リードボーカル+幅広い役割を担うバックコーラスが基本構成である。 そのルーツは、まさにミルス・ブラザーズとインク・スポッツの歌声にあった。 この2グループもスリー・エックス・シスターズやボズウェル・シスターズと同じくバーバーショップ・ハーモニーの影響が濃厚な戦前の出身だが、彼らはバーバーショップ・ハ

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【無料】戦禍を生き延びたコーラスグループ文化

約6年に渡って世界中の人々を翻弄し、傷つけた第二次世界大戦。 その終結は実質的に、今この瞬間の私たちに繋がる「現代」の全ての始まりでもあった。 そして同時に、アイドルの成り立ちを探求する視点からその航跡を見直すと、特に大戦終結からの25年間には「ジャンルとしてのアイドルが自立していく」ステップが、ぎっしり詰まっていることに気づくのである。 その一つ一つをより深く理解するためにも、ここからの第二章ではまずアイドルによく似た存在、そして誕生時期もほぼ重なっている海外型ガールグル

アイドルの「出発点」

アイドルの「出発点」 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、近代化が著しく進む社会は、国民教育の仕組みの中に「若者」を創出した。 そして若者の創出は同時に「若者ゆえの不条理」も創出する。 それは半ば一方通行の社会的区分と社会情勢の摩擦から生じてしまう、誰もが逃れられない不条理であった。 フランスの作家、アルベール・カミュは随筆『シーシュポスの神話』で、不条理をこう定義している。 「理性では割り切れない世界」と「明晰を求める死物狂いの願望」。 人がこの対峙に耐えきれなくな

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1944年のフランク・シナトラ

若者と表現者たちの解逅、それは「不条理」の果てに ②1944年のフランク・シナトラ かつて一世を風靡した「ロストジェネレーション」や「フラッパー」たちの享楽的華やかさが、混迷を極める国際情勢の中ですっかり遠い過去になっていた1944年。 ラジオから流れてくるビング・クロスビーのささやく歌声に魅了され、歌手を志したフランク・シナトラは、トミー・ドーシー楽団の所属歌手として発表した『I'll Never Smile Again』が大ヒットしたことをきっかけに、自身もまたスター

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1936年の明日待子

若者と表現者たちの解逅、それは「不条理」の果てに ①1936年の明日待子 日本社会の近代化と閉塞感が急加速していた1920年代末~1930年代初頭、心の逃げ場としてエロ・グロ・ナンセンスが流行したことは既に触れているが、実はほぼ同じ時期に、一部の若者はまた少しベクトルの異なる華やかさにも逃げ場を求めていた。 ちょうど全盛期を迎えていたレビュー・軽演劇の分野における、少女スターである。 1913年の宝塚唱歌隊、現宝塚歌劇団誕生から始まる日本のレビュー(歌・ダンス・寸劇を組

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芸能ビジネスの出発点

4.芸能ビジネスの出発点 まず最初にこの世界へ登場するのは「音源」のルーツだ。 ちょうど各国で近代義務教育制度が整い始めた1877年、アメリカではトーマス・エジソンの発明により、録音と再生が可能な筒式蓄音機が登場。 その後、改良が重ねられる中で1887年に円盤式蓄音機が登場すると、形状的に複製が容易なこともあり、1890~1900年代には円盤型の音声記録メディア「レコード」を取り扱う会社が各国で次々と誕生していった。 そしてレコードの普及から若者の概念の本格浮上、第一次世

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日本の若者たちの出発点

日本の若者たちの出発点 一方、同時代の日本である。 まず近代義務教育制度の整備についてだが、日本では1872年(学制の発布)がその始まりとされており、これはアメリカやイギリスとほぼ同じタイミング であった。 そして1900年代に入ると、もうすでに大学生が主人公のいわゆる青春小説(小栗風葉『青春』、夏目漱石『三四郎』など)が国内で流行し始めており、 そして1914年にはあのスタンレー・ホール『青年期』も、最初の翻訳本が出版されている。ここまでの流れを見ていると、欧米と日本にお

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【無料】欧米の若者たちの出発点

欧米の若者たちの出発点 では次に、近代義務教育制度と学術研究の進展が生み出した「若者」は、いつからその線引きを、自分のこととしてはっきり自覚し始めたのだろうか。 著名な歴史家であるフィリップ・アリエスはかつて著書『〈子供〉の誕生:アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』の中で、「若者」の区分が内外で一般化していく、そのターニングポイントは第一次世界大戦(1914~1918)にあったと語っている。 近世までの騎兵が戦場を颯爽と駆け抜けるイメージから一変、産業革命後の世界で始

【無料】子どもでも大人でもない「若者」の誕生

さて、本題である。 まずは○○における調査データ(前章)にもう一度目を通すと、「若い男性で構成されたボーカルグループ」(ボーイバンド)「若者向け」「若い芸能人」(アイドル)とあるように、特にアイドルとボーイバンドにおいて、ジャンルの独自性を高めている共通の要素は「若者」の存在であることが解る。 いわば、このジャンルの源泉ともいえる若者たち。 ではそもそも、「若者」はいつ、一体どのように生まれていたのだろうか? ■第一章 アイドルの「出発点」(1880~1945)子どもでも大