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アイドルの世界史:研究ノート

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【毎週金曜更新】アイドルへの愛や熱狂が、国境を越えて自由に入り混じる現代。アイドルの行きついた現在地がボーダーレスならば、これまでのアイドル史も改めてボーダーレスに見直した時、そ… もっと読む
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【無料】「アイドルの世界史:研究ノート」目次

■note限定【無料】「アイドルの世界史:研究ノート」について 【無料】主な参考文献のリスト 【無料】note 編集日記 ※2022.9.23更新 ■はじめに【有料マガジン・購読者限定】〇〇から浮かび上がる「アイドル」「ボーイバンド」「ガールグループ」 ※この他、後日更新の記事1本予定あり ■第一章 アイドル前史 1870~1950年代1.世界~アメリカのアイドル前史(1-1~1-6)【無料】1-1 世界/若者はいつ生まれたのか? 【無料】1-2 アメリカ/第二次

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7-6 日本/「グループサウンズブームの狭間」に訪れた、初代ジャニーズの解散(後編)

「グループサウンズブームの狭間」に訪れた、初代ジャニーズの解散(後編) この世界に初代ジャニーズが誕生し、そして解散するまでの約5年8ヶ月。この日々を含んだ1960年代の記憶を、ある人は「変動の時代」と呼んだ。 その実情は明星の表紙にも細かく反映されている。1952年の創刊号から使用されていたキャッチフレーズ「夢と希望の娯楽雑誌」は、テレビの本格普及とカラー化も始まり、日本国民がいよいよ豊かな戦後を実感しだした1961年9月号を最後に消滅。 続く1961年10月号からは「ス

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7-5 日本/「グループサウンズブームの狭間」に訪れた、初代ジャニーズの解散(前編)

「グループサウンズブームの狭間」に訪れた、初代ジャニーズの解散(前編) 1962年4月結成の初代ジャニーズが、レコードデビューを果たしたのは1964年11月。ビートルズを取り巻く世界的熱狂が、日本の若者にももうすっかり伝わっていた頃である。 しかし結成からレコードデビューまでに生じた2年のタイムラグもその間の時流変化も、当の本人たちはそこまで気にしていなかった。なぜならジャニー喜多川曰く「レコードデビューが初代ジャニーズの最終目標ではなかった」からである。 実際に翌196

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【無料】7-4 日本/”ガラパゴス化”がブームに火をつけたグループサウンズと、歌って踊れるコーラスグループの落日

”ガラパゴス化”がブームに火をつけたグループサウンズと、歌って踊れるコーラスグループの落日堺正章や井上順、かまやつひろしなどが所属する男性7人組バンドのザ・スパイダースはレコードデビュー当初、ビートルズに強い影響を受け、いわゆる”リバプールサウンド路線”で活動していた。 特に1966年の2月から7月にかけて発売された3~6枚目のシングル収録曲はそれを強く感じさせ、また5枚目のシングルでは、ビートルズの楽曲『Michelle』も直接カバーしていたほどである。 しかしこの洋楽路

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7-3 日本/日本における”英国発・異例の音楽グループ”の受け止め方

日本における”英国発・異例の音楽グループ”の受け止め方ビートルズの登場以降、ロックンロールなどを下地に進化した彼らの新しいサウンドは「ロック」と命名され、このロックをグループ単位で楽器演奏する者たちも後に「ロックバンド」と呼ばれるようになっていったのは周知のとおりである。 しかし少し前まで欧米の曲を全て「ジャズ」の名でまとめていた日本では、突然現れたビートルズのスタイルを、やはりすぐに適切な言葉で分類するのは難しかったようだ。 日本のビートルズ関連報道の中で最初期の記事とされ

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7-2 アメリカ/ビートルズのアイドル性が発芽させた「ボーイバンド」

ビートルズのアイドル性が発芽させた「ボーイバンド」また1960年代半ばのブリティッシュ・インヴェイジョンは、従来の優等生的若手ポップス歌手やガールグループを吹き飛ばした後のアメリカ音楽市場に、思わぬ副産物ももたらしていた。 その歴史は、ビートルズの世界的熱狂を目撃したアメリカのエンターテインメント界による”創造”から始まる。 発想のヒントとなったのは、1964年夏に公開されたビートルズの初主演映画「A Hard Day's Night(邦題:ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!

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【無料】7-1 アメリカ/ブリティッシュ・インヴェイジョンによって消えたガールグループ、消えなかったガールグループ

ブリティッシュ・インヴェイジョンによって消えたガールグループ、消えなかったガールグループ1960年代初頭のアメリカでは確かに、若者に衝撃をもたらしたロックンロールブームが過去の記憶になりつつあった。 しかしその一方で、同じ英語圏のイギリスでは、ロックンロールへの情熱の火がまだ灯され続けていた。 あの世界的ロックンロールブームと同時進行で、イギリスでは単独のスキッフル(高価な楽器や高い演奏技量を必要としないバンドサウンド)ブームも起きており、その際に両方の影響を受ける形で誕生し

【無料】6-4 日本/テレビと若者特有の欲求が導いた「歌って踊れるコーラスグループ」への拡張

テレビと若者特有の欲求が導いた「歌って踊れるコーラスグループ」への拡張とにもかくにも、こうして1962年の日本に相次いで登場した2つの青少年グループは、実際には全く異なる性質を持ち合わせていたものの、一般的には同じ「若さあふれるコーラスグループ」のくくりで注目を分け合っていった。 国立国会図書館のデータベースを見る限り、知名度の面で当時有利だったのはテレビ&レコードデビューが早かったスリー・ファンキーズである。 彼らは1962年のレコードデビュー直後から「週刊平凡」「平凡」

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6-3 日本/日本アイドル文化の形成に大きな影響を与えていく、ジャニー喜多川の強烈な「自己否定」と「自己受容」

日本アイドル文化の形成に大きな影響を与えていく、ジャニー喜多川の強烈な「自己否定」と「自己受容」生前のジャニー喜多川は裏方志向が強かったこともあり、自分自身の生い立ちやプライベートに関しては、ほとんど語らないスタンスを貫いた。 ただしそれでも過去には、ジャニー喜多川を構築した人生のいくつかの出来事が、ジャニー喜多川自身、もしくは実姉のメリー喜多川によって公表・証言されている。

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6-2 日本/ミュージカルへの強い憧れと、初代ジャニーズのデビュースピードに浮かぶ「もうひとつの疑問」

ミュージカルへの強い憧れと、初代ジャニーズのデビュースピードに浮かぶ「もうひとつの疑問」まず初代ジャニーズの結成理由としてよく知られているものに、ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」への強い憧れがある。 これは初代ジャニーズの最年少メンバーだった、あおい輝彦の言葉だ。 シェイクスピアの有名な戯曲・ロミオとジュリエットを元に1950年代ニューヨークの若者を描く形で、1957年にブロードウェイで上演されたミュージカル「West Side Story」は、4年後の1961年に

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6-1 日本/「若さあふれるコーラスグループ」の登場

4.「アイドル」のはじまり「若さあふれるコーラスグループ」の登場「夢であいましょう」と「シャボン玉ホリデー」の放送開始から約1年が過ぎた1962年。 この年、日本の2つの青少年グループが相次いでレコードデビュー、そしてテレビデビューを飾った。 ただし、この時点で彼らの呼び名はまだアイドルではない。 代わりによく添えられていた表現は「若さあふれるコーラスグループ」である。 やや先行する形で芸能界、そしてテレビに登場したのは3人組のスリー・ファンキーズだった。 1961年1月に

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5-3 日本/日本におけるテレビ黎明期の内情と、舞台育ちの快進撃

日本におけるテレビ黎明期の内情と、舞台育ちの快進撃日本ではアメリカから少し遅れる形で、主権回復後の1953年にテレビの本放送がスタートしていた。 ただしそんな1950年代の人気テレビ番組のレギュラー出演者には、当時国民的人気を誇っていた「スター」が見当たらない。 代わりによく記載されているのは映画会社のスターシステムとは異なる場所、舞台で芸才を育ててきた喜劇俳優、新劇俳優、そして少女歌劇出身者の名前である。 このような結果には、大きく2つの理由が存在している。 1つめは「観

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【無料】5-2 日本/1958年、大衆の合唱熱が呼び込んだ国産コーラスグループのブーム

1958年、大衆の合唱熱が呼び込んだ国産コーラスグループのブームジャズ評論家の瀬川昌久によれば、実は1930年代=戦前の日本にも、アメリカのミルス・ブラザーズやボズウェル・シスターズのレコードが輸入されていた影響から、いくつかの日本人コーラスグループが誕生していたのだという。 戦前世代の彼らはジャズのスタンダードナンバーの日本語カバーはもちろん、日本風のメロディにジャズ風アレンジを加えたオリジナル作品なども歌っていた。しかし1941年の太平洋戦争勃発後も音楽活動を続けられたア

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5-1 日本/1958年、アメリカのロックンロールとは違う方向に進み始めたロカビリーブームとその事情

3.日本の「ロカビリーブームの狭間」1958年、アメリカのロックンロールとは違う方向に進み始めたロカビリーブームとその事情一方、日本である。日本のロカビリーブームは1958年2月に開催された第一回「日劇ウエスタン・カーニバル」から始まっていたが、同じ時期、海の向こうのロックンロールブームはまだまだ人気健在で、エルヴィス・プレスリーも入隊前だった。 ただし前述の通り、アメリカのロックンロールブームはその後、フルスピードで変容していく。その大きな要因は引退、徴兵、あるいは犯罪行為

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