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作りたい物が見えたら、作れる。あなたが「出来る」と思えばできる。

おはようございます。
3DフードアートのTeatraです。

自己紹介はこちらから。

今日は、私が大切だと思っていること2つについて、書きます。

タイトルの通りなのですが、何か作る時には、まず初めに
どんな形で色をしているのか、食感、味(←フードアートなので)等をできるだけはっきり、想像してみます。


とりあえず、はっきりしないけれど、材料を集めて作ってみようか、というのは私は苦手です。最後に思った通りに仕上げるのではなくて、新しい材料・テクニック・道具を試してみよう、という場合以外は。

作りたい物のイメージが浮かんだら、それをどんな技術、
材料で実現するのか、考えます。
そして、これ以上、アイディアがでない、となったら、実際に作ってみます。

うまく行く場合もありますし、思いがけない所で
素材が 思いがけないことをする時もあります。

後者だったら、原因と対応策を考えて、修正、対応。
それをどんな容器に入れて 写真に撮るかは、私は
後付ですが、できれば最初に考えておいたら、いいかも。

このお写真の方は、どうなのでしょうね。よく構図なども
考えられていると思います。

私の場合は なので、形を見られるかが先。それを最適の
自分が持っている技術や知識で再現する、が後。考えようによっては、食材を使わなくてもいいのです。使っているのは、食べ物が好きだから。
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もう一つ、大事なこと。
何かを作るのに、他の人からの認証は、いらない、ということです。

あなたが、自分をXXアーティストだと思ったら、XXアーティストなんです。
これは、とても とても大切なこと。

知り合いのアメリカ人ペインターに 聞きました。彼曰く
’Teatra, カリフォルニアでは、あなたが、「今日から自分はアーティストなんだ。」と思ったその日から、アーティストなんだ。そしてアーティストになれる雰囲気がある’

これ、どういう意味かというと、人から認められる(~賞を取る、専門家から褒められる、学校を出る)ことがなくても、思いついたら、あなたはアーティストなんだ、アーティストになれる、ということなんです。

あなたは いわゆる正統な方法で、アートの教育や訓練を受け、アートされている方ですか。美大を出たり、コンテストで賞を取ったり。。。

私は絵は区展に出たりしたし、先生に褒められたりしていましたが、
美大は出ていなかったのです。その間、自分がすることがアートなのだと認められずにいました。自分の心のなかでね。

アーティストと、私という感じで、自分がかやの外に置かれているような、
そもそも素人なのだというような、感じを持っていました。


それで、意を決してアメリカの美大に行ったのですが、行っても
行かなくても、私はアーティストなんだと思うだけで よかったのです。


美大に行くと、美術史などのクラスで習いますが、アートにはアートとクラフト(工芸:日常で使える物を作る)という二分化があって、前者の方がランクが高いと、美術界では見られています。

アートのなかでも、2Dの絵画の地位は、3Dの彫刻、陶芸、金工などより高い、と見られています。抽象度が高いからでしょうね。美術史上ね。(身の回りにある物は、全てが3Dでしょう。縦横厚みがある。それを、2次元の世界に、抽象化して描くのが、2Dだから抽象化が必要なのです。3Dに見えるように、例えば、絵では、実際に見えるより大きく・小さく描いて、立体感を持たせます:そこが抽象化、というわけ。)

あるいは、美術系のことで、生活の糧を得ているか、どうかというくくり。
これもね、そんなに考えることは なかったのでした。


あなたは、あなたの好きな、目指したい形を作る人:アーティスト、それだけ。

時々、外国人などが テクニック的にも素朴な物を作って、「アートだ」って 誇らしげに言っているのを、苦々しい思いで見ていました^^
もっと基礎力(デッサン力など)をつけたらって思って。(過去形ね)

あるいは、テクニックや知識はすごくある方が、なんだか 幼児の遊びみたいな物を作っていらして「何だかな~」って思っていました。そして、そういうのが、現代美術として評価されていたりします。

私は 徹底的に、アカデミックにシステマチックに、一からやってみたかったから、美大にも行ったし、美術史や理論も学びました。それで思うこと、それぞれでいいんじゃないかな、ということ。

私は依然として、幼児の遊びみたいな その現代美術が嫌いだけれど^^、
それを評価する美術界というものがあって、そこに属する人達がいるのだから、それはそれでいいじゃない。アート界とどうお金が動くか、についても、前より知識があります。

そして、そんな人達が私の作品を 認めたくないなら、認めなくたっていいじゃない、ということなんです。だったら、認めてくれそうな場所に出すだけ。

というか、極端なお話し、認めてもらう、もらわないということは、第一に大切なことではなくて、どれだけ私が自分の思った通りの作品を作れていて、幸せとやる気を感じているのか、が一番大切なことなんです。

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もちろん、材料費の足しになることがあれば、それはそれでとてもうれしいこと。それと同時に、好きなことだけをやっていたら、金銭的にアートだけでやっていくのは、難しい場合も多いです。

だから元クラスメート達は アートのスキルを使える職場に勤めて、時間外に作りたい作品を作ったりしています。

会社に勤めると、お客さんの言うことも聞かなくてはいけないので、
うまく相手の要望と自分のできることのすりあわせが必要ですね。そんな妥協がいる場所と、好きなことだけできる場所の両方、持っておく、という方向で私は動いています。

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ただ フードアートは好きなので、色々 相手に わがまま言われても、何だか面白いって思っちゃう自分もいます。日本では まだ知られていない技術や食材なども 使える時があるので、相手の予測しなかったような方法で、相手の要望を叶えるのも、楽しみなのです。

はい、今日はここまでです。
お読み下さった方、ありがとうございました。

素敵なお写真は、Noteのbokuchibiさんから お借りしました。
心にしみる構図と色のお写真、ありがとうございます。



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