GIGAスクール構想を深めに読む〜そこに隠されたメッセージ(2)

はじめに

 前回は、GIGAスクール構想に関して、教育におけるDX(デジタルトランスフォーメーション)とイノベーションの話に終始し、もしかすると、GIGAスクール構想には、「学校教育のオープンイノベーションへの序章」
という隠されたメッセージがあるのではないか?と考えました。

 2018年頃でしたか「デジタルトランスフォーメーションと、デジタルシフト、どう違うんですか?」という素人ツッコミを豊福先生お伝えしたところ、こうした素敵な動画や、

動画1 

前回もご紹介した、デジタルシフトとSAMRについても素敵なまとめを頂戴しました。

 今回は、元企業人としての立場から、教育としてのデジタルシフトではなく、ビジネスにおける「デジタルシフト」や「DX」を中心に書き散らしたいと考えていますので、SAMRには行き着かず、デジタルシフトとはなんぞや?からの、DXや「Society5.0」あたりに話が終始します。

 まず、最近よく目にする「Society5.0」。Society5.0 とは国家としてのDXの行き着く先である訳ですね。どおりで、文科省も総務省も経産省も、それぞれ公文書の中に、Society5.0を入れたがるはずです。そういえば、GIGAスクール構想に関連した、教育の情報化に関する手引(令和元年12月)の初っ端なにも、出てきてますね。
 個人的には、内閣府の資料も良いのですが、経団連のこの▶︎資料の方が、余分で概念の曖昧な言葉が入っておらず、好きですね。

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 Digital Shift の話をする前に、まずは「Digital化」とは何か?という点から話を始めます。


Digitization? Digitalization? DX?

 Googleなどで翻訳すると、Digitization も Digitaliazation も、「デジタル化」と訳されます。農業×IoTでの農業のデジタル化、印刷出版業でのデジタル化、Education × Technology = EdTech などなど、社会には「デジタル化」や「XTech」が溢れています。
 しかし、正直なところ、日本国内ではどれもパッとしません。
 SNSなどを見ておりましても、以下のような書き込みが散見されます。

IT界隈の人が鳴り物入りで食とか酒とか農業の業界に入ってきて、しばらくすると撤退する現象が続いていますね。根が深い問題ですが、「食業界の人たちが優秀じゃないからITを活用できてない。だからもっと効率化/グロースできる」というITの人たちの想定が間違っていると思います。
ケースはいろいろと思いますが、食業界は東京のきれいなオフィスでパソコンの画面に向かって仕事をしてるだけでは分からない世界です。ITから転身して成功してる人はみんな現場に入り込んでいるように思います。個人の印象ですが。

 学校教育界隈でも、耳にするような話です。
 近年、EdTechも徐々にではありますが、日本の学校に入ってきています。
 どうしても、日本のIT界隈だと「レガシーな業界をIT化すれば、効率化し儲かる」という発想があるようで、死屍累々ですね。
 学習支援産業においても、日本の成熟しきった学習支援業界や学校に対し「私たちの想い」とか「理念だ大事」とか「弊社のサービスは正義だ」とかいう勘違いプロダクトアウトになるような教材やサービスを投入し、死蔵されて次年度契約なし終了というケースを、ここ10年ほどよく見てきました。
 片や、固定電話で保護者や地域からクレームを延々と受け、チョークの粉に塗れて板書し、コピー機の前に陣取ってクラスごとに帳合し、ジャージに着替えて汗水たらして部活動を監督し、という学校現場の業界は、東京のきれいなオフィス(?)でパソコンの画面に向かって、ろくに学校現場でも使われていないようなソフトのログデータをまとめてプレゼン資料を作る仕事をしてるだけでは分からない世界、だと思います。

オープンイノベーション」とは言うものの、日常業務多忙の中で、ど素人が学校にズカズカと土足で入ってきて、「おい、IT化しようぜ!」と言われても時間の無駄、感情の無駄で、たとえそれが保護者といえども、街の顔役にしろ、学校教育法も知らなきゃ、学習指導要領も知らなきゃ、そりゃ話するだけ時間の無駄。
 門前払いか出禁ですわな。況や業者も。
 もちろん、その逆も真であって「デジタル化が降ってきてるんで、お手伝いしに来たんですけど」で業者のみなさんが「売上立てども粗利は見えず」状態でも、わざわざ学校なり教委訪問しても、現場が No Digital is my life としてもらっちゃ、お互いに時間と金の無駄になりかねません。

「学校教育情報化 ≒ デジタル化への道は遥かなり」
の状況が、ここ20年ほどずっと続いている中に、政府・国政は大義名分がなんであれ、GIGAスクール構想で大きく舵を切ったわけですね。

で、本題。
Digitization」 と「 Digitalization」の違いってナニ?と言うことですが、諸説諸々ビジネス用語の世界あるある状態ですが、ここでは、こういった形で定義します。

「Digitization」:デジタイゼーション
・ある工程におけるアナログ情報の部分的なデジタル情報への置換。
「 Digitalization」:デジタリゼーション
・自社のみならず外部環境やビジネス戦略など、関係するプロセス全般をデジタル化すること
「Digital Transformation」:デジタルトランスフォーメーション(DX)
・デジタライゼーションの結果として社会全体への影響を生み出すこと


 あまりパッとしない例ですが、会議を例にとって説明いたします。
手書きで会議資料を書いていたものを、PCのワープロソフトやプレゼンソフトを用いて書く=Digitaization ですね。
 そして、事前に内線やら文書やら大きな黒板に書いてあるスケジュール表やらで、いちいち参加者の会議日程や時間を調整して、会議資料原稿を出席者分紙コピーして配布する方法から、電子メールなどでスケジュールを調整し、共有サーバーに資料を置き、それを参加者が事前なり会議中にダウンロードして、各自の校務用1人1台PCを用いて、見ながら会議をする。これは、
Digitalization になります。
 最近では、録音▶︎文字起こしソフトの精度も上がってきており、議事録も簡単に作れる世界になりました(議事録録りのレコーダー音声から文字起こしでワープロソフトで書くことを考えると、デジタル機器を使ってはいますが、人による文字起こしの作業を含んでいますので、=より進んだDigitaization になりますね)

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図1

 続いて考えたいのは、教育というサービスのDXによる転換です。
日本標準産業分類によれば学校教育はサービスのカテゴリーに属しますので。「学校教育は公務じゃ」とおっしゃる方もいらっしゃいましょうが、公務もサービスです。「学校教育は聖域じゃ」とおっしゃる方もいらっしゃいましょうが、残念ですが、宗教関連もサービスです。サービス業とは申しておりませんのでご注意ください)
 さて、これからの「ユーザー中心のサービス」とは何か?ということですが、ビジネス界にある方々にも、国政や首長部局に在籍される感度の高い方々にも、「Learner central / centered 」について関心のお有りな学校教育や学習支援業関係者の皆さんにはご納得いただける話だと思いますが、 ニールセンノーマングループの、Don Norman 氏が2005年に「UX(ユーザー体験)」について言い始めてから普及してきたのが、下記の図2の12か条的なもので、世界の企業の多くは、変革を遂げてきています。日本ももちろん多くの企業や役所で、この考え方が浸透している/し始めていると思います。
 しかし、残念ながら、世界も日本も「教育」セクターにおいては、非常に遠い場所にいるのではと、私は懸念しています。日本の学校においては、もしかすると最も遠い場所にいるのではないかとすら。

画像4

図2

 実は、学校教育で難しいのは、ここから。
「ユーザーは誰?」なんですね。特に外部の民間事業者にとっては。
 ▶︎教員にとってのユーザーは、「児童生徒」(と「保護者」)
 ▶︎民間事業者にとってのユーザーは、「教員」や「教委」
 ▶︎保護者や一般の外野の人からすれば、「児童生徒」

 私は元業者でもあって「教員」や「教委」を相手にしたビジネスに加担しておりました時期もありましたので、その経験から申せば、
 「教員が不要といったら不要」
 プロダクトアウトになって商品(教材)やサービスが終わります。
 その意味では教委や学校や教員を、世間の「デジタルの変革」の世界から遠ざけてしまった責任の一部を痛感しています。
 
 公教育のデジタル化を推進する際に、公教育自体が「ユーザー中心のサービスにする」という意識転換をしないとGIGAスクール構想を契機にした「Digitization」「Digitalization」「DX」は無理なことでしょう。
(この意味では、初っ端から「学習者中心」という考えを表出させた経済産業省の「未来の教室」とEdTech研究会は、スジが良いと思います)

 民間業者のいうユーザーは少し置いておいて「学習者中心のサービス」を「デジタル技術を活用し価値を高める」というGIGAスクール構想+最近の文科省の政策を考えると、不足するものは、図2の赤字で示した、

1.  利用者(児童生徒)のニーズから出発する
2.  事実を詳細に把握する(児童生徒の実態/生活様態を把握する)
6.  デジタル技術を活用し、サービスの価値を高める
7.  利用者の日常体験に溶け込む(User Experience)
12.   システムではなくサービスを作る


となろうかと思います。
この5条の中で、学校教育は、教員は、どれほど
「利用者=ユーザー=児童生徒のデジタル機器を利活用した生活(私的部分)を知っているか」ということは重要なことです。
その一つの手がかりが、デジタルシフトです。


DS:デジタルシフト(Digital Shift)とは?

 では、デジタルシフトというものはなんなのでしょうか。
DX(デジタルトランスフォーメーション)というものと同じく、ビジネス用語であることは確かです。そして、諸処諸々Webなりビジネス書を見てみますと、DSはどうやら2種類の定義があるようです。

1. 非デジタルな領域から企業活動がデジタル化していくこと=Digitalization
2. デジタルで情報集約され利用者が膨大な情報量を扱うようになったこと

 1. については、前節で違いなどを述べましたが、メディアや印刷出版業などが典型例で、紙 ▶︎ デジタル へと展開を広げたり、主力展開させていることは好例でしょう。また、公務を「サービス」として分類し、同種のサービス産業で考察すると、運輸や宿泊業については、予約なりローテーションなりのアナログな(人の労働力を介する)作業から、システム構築を経てデジタル化され、労働も収益も合理化がされています。日本でも中国でも、スマートフォン+ロボットで「ロボットホテル」みたいなものまで登場していますしね。
 ただし、業種によっては、全てが Digital Automation されるわけでもなく、
接客やら調理やらと、非Digital な アナログにも価値は残されています。
(企業の話ですので、非Degital の価値を「売り」(差別化)にはしますが、収益面に関して言えば、それが合理的どうかについては各企業の戦略によるところとなります)
 では、学校は?と言うと「業務が合理化できる」はずのデジタル化は、まだまだ実装されていない、と考えざるを得ないことでしょう。
 学校教育は、対人でのサービスの側面もありますので「全てをデジタル化することは無理」だとは思いますが、人工知能やロボテクスの進化次第では「学校教育に人間の先生はイラネ」という時代になるのかもしれません。
(21世紀中には難しいとは思いますが)

 それって、校務の話?と言われるかもしれませんが、教務についても、ドリルなり形成的テストの採点というものは、やり方によってはデジタル化の恩恵を受けることはできますし、場合によっては、授業の一部もデジタル化することで、労働の工数・時間を減らすことが可能となることでしょう。
 学校教育におけるDigital Shift とは、

1: 非デジタルな領域の学校教育活動業務の一部がデジタル化(Digitization〜Digitalization)すること

ということは確実に言えます。

 続いて、学校や教員は
「利用者=ユーザー=児童生徒のデジタル機器を利活用した生活(私的部分)を知っているか」
という点も、デジタルシフトのもう一つの意味に関係します。

2. デジタルで情報集約され利用者が膨大な情報量を扱うようになったこと
について、サービス享受者ということで、引き続き、利用者=児童生徒、と仮定します。
 そうすると、各種メディア(人からの情報、紙類、電波、回線)が統合化されたスマートフォン時代で、Digital Native とも言われる世代の児童生徒は、様々な形で、保護者(親)世代・祖父母世代と比較して、情報を得る機会も得る情報量も圧倒的に増加しますし、得るための作業量と時間は
「スマホで検索、ポチッとな」
で圧倒的に軽減・短縮可能です(図3)。

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図3

 冒頭にご覧いただいたであろう動画1は、まさにこの話です。
2.  事実を詳細に把握する(児童生徒の実態/生活様態を把握する)
7.  利用者の日常体験に溶け込む(User Experience)
となれば、日常の児童生徒のデジタルデバイスの使い方を考えないとなりません。
「どうせ、LINEなり、Youtubeなり、ゲームだろ?」
という声が聞こえてきそうですが、ならば、児童生徒は、勉強もせずにそちらへ熱中する理由までは考えたことがあるでしょうか?また、それらが児童生徒を引きつけるメカニズムまで考えたことはあるのでしょうか?
 課外の時間は、何しようと本来は自由です。
 勉強を、そうしたコミュニケーションや娯楽を超える、知的エンターテインメントにするかは、真剣に考えていただきたいところです。
 考える前に、白旗でグチグチ言ってる人たちに、児童生徒は道徳を習ったり、生徒指導を受けてるのは、側からシニカルに眺めると、エンターテインメイント以外のなにものでもありません。

 デジタルシフトで、情報集約され利用者が膨大な情報量を扱うようになったことに対して、いかに、大量の知識を選別するか、いかに、誤解なく発信するかと言った知識や技能を教えなければならないのは言うまでもありませんが、課外の時間での児童生徒のデジタルデバイスの使い方が、「消費の窓口」としてなのであれば、学校では、ぜひとも「創造の窓口」としての役割をお願いしたいものです。大方の児童生徒は、誰もリアルで「創造」することを教える人がいませんから。

 誤解を恐れずに申せば、1人1台というものは、誰もが好きなだけ
「Think independently and Create New values」
でき、社会に発信できる、創造できる箱を手に入れたようなものですから。

 学校での一斉授業にしても、教員の考えたゴールオリエントで完結する授業のための教具としてPCを使用するのではなく、児童生徒の学習者個々がオープンエンドで試行錯誤しながら考え、創り出す文房具として使用いただきたいなと願っています。

まとめ&学校の現在位置を考える

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図4

まとめも兼ねますが、
❶ 現在の学校は、レガシーなアナログが主流であり、Digitization すら起きていない環境。
❷ GIGAスクール構想での端末整備とネットワーク整備は、Digitization の機器・環境整備の第一歩にしか過ぎない。
❸ 真の Digitalization は「学校働き方改革」が前哨戦であり、「授業改革」が本番となる。
❹ 「授業改革」は「3人に1台」時代の教具的利用から、「1人1台」となる文房具的利用環境下での Digitalization を想像した上で構築しないとならない。
❺ 「1人1台」環境下での「授業創造」は「ユーザー中心のサービス」として構築することが肝要。
❻ 現在の学校での教具的利用と、児童生徒の「消費の窓口」としての日常利用を調べ理解した上で、「創造の窓口」としての文具的利用の観点から、ギャップを埋めるべく構築することが肝要。
❼ GIGAスクール構想から始まる「学校教育のDX化」の最終ゴール/目的は「Society5.0」で生き抜く人を育成すること。学校教育の役割に付加。
と、こんなところでしょうか。

 「Society5.0」で活躍できる児童生徒の育成に向け、さらには教員の皆さんも教育関係者も含めて「Society5.0」を作っていく「創造者」「開拓者」に認定された世代だというのが、GIGAスクール構想に隠されたメッセージにも思います。

 長々の駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
 次こそ、SAMRの話に行きたいなぁ。

 そしてね、「教育情報化」なんて言わずに、世界に先駆けて、
「EdDX」(教育のデジタルトランスフォーメーション)に名称変えません?
文科省の方々、ぜひご検討を。

雑記
「学校のデジタル化」
とか書くと、
「デジタルって0と1しかない世界で、教育は0か1かじゃないんだよ」
みたいな面倒臭い話(要するにデジタルという意味の一側面しか知らない人の世迷いごとに付き合わされる時間)がもったいない訳です。
 世の中の「デジタル化」の意味なり、動きを知らないと、いくら「デジタル化」を「情報化」とか「ICT化」なんて言葉に変えようとも、全く真意が伝わらない言葉遊びになるんだろうなぁと、ここ10年ほど感じています。
 IT化の、IとTの間にCを入れるか入れないか、どうでもいい言葉遊びに感じます。霞ヶ関の一部も、そのあたりのわだかまりは薄れてきている印象はあります。「教育情報化」だから、という言い訳すらも通用しない時代に突入した、ということかもしれません。
 次年度から、小学校で英語が必修化しますし、教員の皆さんもおそらくは英語を必修にする課程で育成され卒業し免許を取得しているはずですから、
「横文字嫌いだ、見る気も起きない」では済まされない時代になりました。
 デジタル・ICT・教育情報化については、横文字がたくさん出てきますので、アレルギーとか言っていられなくなります。
 そして小学校プログラミング必修化やGIGAスクール構想で、教員の皆さん全員が「教育情報化推進派」にならざるを得なくもなりました。
 日々のルーティンや山積する課題もまだまだ山積していますが、少しでも日本の教育が良きものとなることを祈って止みません。

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