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#エッセイ部門
「死に死に死にて死の終わりに冥く、
生きて生きて生きて生の始めに暗く。
/空海」

疑似恋愛のタクティクス

ー私は1冊の本を前に
頭を抱えていた。

私はいつも外面がいい。当然の事で人は形から入ったほうが間違いないとずっと思っている。誰も人の心の中まではわからない、
たとえば私の心の中がヒドイ目にあってメチャクチャでも
見た目にいい服を着て顔に出さなければ
「いつもステキですね!」と言われる。

もしも、生き様がその姿に現れるなら
いや、絶対にどこかが壊れていくような
堕落したムードが漂うのではないかと思っていたんだけど。

外面をつくるのは
礼儀やマナー本でその手の小冊子をよく愛用する。
こういう時はこうすればいい、みたいなカンタンな事ですもの。

おもに西洋のマナー本を多く翻訳している女流作家がある時60~70年代に実在した高級娼館の経営者だったマダムのルールを紹介した本が出版された。
衝撃的だったのと、私は断固それは手本にするのはどうなのか?と思った。
すごく純粋なワケでもないけど道徳観念と倫理観がどうしても心が許さない。

貧困があって、金持ちの旦那の相手をしなければそこから救われる方法がないというのは現代の話?
それでホントに豊かになれるとか、幸せになれるとか?

私がまだ20代前半の頃おなじ職場にいた年下の短大生のバイトの女の子達が毎晩のようにナンパされに街角に立つような生活をしていた。
遊びにいくというのでそこで声をかけてきた男と一晩中遊び回ってしかもラブホテルに泊まるという。
彼女達は生活に困っているわけでもないし、皆家族と一緒に住んでいるそこそこ中流の平和ないい家庭で育った女の子達だったのにほとんど毎晩のように彼氏がいてもそういう事をするので私はよく「それでお小遣いを稼いだりするのが好きなの?」と聞くと「私たちそういうのじゃありません!」と言って怒る。じゃあなんのためにどこの馬の骨かわからないような車から声をかけてくる男と一晩中遊ぶのか、全然理解できないと言ったら「楽しい。それだけ」
私はこの女の子達の存在を知っていたからよけいにアタマがパニックになる。

売春を肯定できない、だけど売春じゃなければ間にお金が入らなければフリーな恋愛ならいいのか?

パンティは白のサテン


男の友人によくその質問をしてみた事があって、ストレートな回答がよかった。
「いろんな男とヤリすぎると子宮ガンになる」とか、ものすごく遊び人のクセに「それ(売春)は絶対ダメだな。」というけどフリーセックスはアリだと断言するので少しも説得力が感じられない。

私はこういう男の人に直接本音を聞くような会話をするのが好きでそれがわりと嫌がられない。
すごくモテる男性に「メチャクチャモテるヤリマンであっても本気になってしまう女ってどんな下着つけてると思う?」と聞かれたから「めっちゃエロいエグいヤツ?」というと真剣な顔になって首を横にふって

「白なんだよ!白!しかも光沢のあるサテンみたいなヤツ」

じつがそれは高級娼館のマダムもそういうルールを雇った女の子達に教えていてやはりフランスのパリだからか、
「昼間は白で夜は黒のレース」だという。
そのへんの美意識は同等のモノを私はもっていたので理解できる。
過去に私はインポートのブランドを扱う仕事をしていたのでそれまで扱った国産の洋服とは違うデザインに自分の中のセクシャリティを刺激されたことがある。

国産の婦人服には考えられない仕様になっていてストッキングもタイツもはけない素材のスカートやドレスを着るようになった時。
最初はどうしよう?と思ったらこれらはガーターベルトストッキングで着る物だと気がついた。
パンティラインが出る下着もNGなのでいわゆるレース素材でバックレスの物。

「今夜なにがあるかわかりませんよ!」

もうその頃とは違って誰もが気にかけてくれる年齢ではなくなった私は現在どうなのか?というと下着については
肩ヒモが取り外しできてストラップレス(ベアトップ)になるものと
パンティもベージュを愛用している。


ここには個人的な神話的ルールがあって
いかなる時にもたとえ仕事帰りであっても肩出しのドレスを着るとか薄い素材で透けて見えないためのベージュであったりとか、
そういうなかなかありえない事態を予測した下着ルールを自分で守っている。

Tuesday(火曜日生まれの女)
写真のお酒は銘酒利き酒レッスンに使った日本酒。