見出し画像

Bon souvenir

#みんなの文藝春秋
#鹿島茂
#夢ノート

『There is nothing like a dream to create the  future.  /victor Huge

夢、これ以外に将来をつくりだすものはない。/ヴィクトル・ユーゴー』

花屋の店先でこんな
アメージングカラーのジュリアン


ジュリアンとサイネリアを買う。
お部屋を花畑のように。


妄想ドールハウス

たぶん、過去を辿ると
「わたしのはじまり」はリカちゃん人形の世界からはじまっている気がする。あの人形は60~70年代昭和生まれの少女たちに日本人離れの世界の夢を与えた。

リカちゃんはお友達もみんなハーフか外国人の設定になるようで、わたしの近所に住む小さなコミュニティの中でみんなリカちゃんは持っていたからわたしは親にせがんでブロンドのリナちゃんを買ってもらった。わたしの親は娯楽にはたぶん許容があってどうしてもほしがるオモチャの類いはわりと買い与えてくれた。

ようするに本を読めとか教育熱心なマジメな家庭ではなかったから。

わたしはリカちゃんとリナちゃんの世界を愛していたし熱中した。
まず人形用のハウスがあって小さなミニチュアの家具がある、そして着せかえ用のドレス。

ハウスはみんなひとつ持っていればじゅうぶんだったしわたしはドールハウスの家具に凝る。
まず観音開きの白いゴージャスな洋服タンスを買ってもらった。そして白いダイニングテーブル!ちゃんとミニチュアの料理をのせたお皿もついてるのでこれだけでも満足度が高い。

夢の世界を実現するにはどうしても必要。

それから人形に着せるドレスを買ってもらう。これがこどものオモチャにしてはなかなか高い。当時母方の祖父もまだ生きていて叔父もわたしにあまかったのでそこでわりと調達した。
ドレスがないとはじまらない。

マメな祖母には手作りで50年代風なワンピースやドレスをミシンで作ってもらった。
近所の友達のあいだでもわたしのリナちゃんは衣装持ちだった。
そんなに夢中だったドールハウスの世界も
小4ぐらいで飽きた。なにがブームになったかというと、少女漫画の世界だった。

やってみたいことを日常に叶える夢


乙女ちっくブームの少女漫画

小3~4年生ぐらいだともう文字を読んだりそこに絵柄があれば描いてあることをほとんど理解できるからおもしろくなったのだと思う。わたしがいがらしゆみこさんの連載中だった「キャンディキャンディ」を初めて読んだのはたぶん小1の頃ではなかったかと思う。まだそれほど文字を読むのが早くなかったのでものすごくゆっくりたどたどしく読んだのをすごく覚えている。読んでる最中は必死なので読み終わったあとに感動がきて、そしてお気に入りのシーンの箇所をまたじっくり読んだりながめる。
このころは少女漫画家の大家がひとつの文法をつくりだしていた。とくに睦A子さんの月刊りぼんは「乙女ちっく」が全盛だった。
なにかで読んだけど乙女ちっくは昭和を代表するカルチャーのひとつで少女漫画という架空の世界から後のDCブランドブームへの移行を詳しく書いていた。
これはわたしにもいえることだけど
架空の妄想の世界が現実になると自分自身がドールハウスなり、少女漫画のヒロインになれるからだった。

プライベートのほとんどの時間を少女漫画に費やしていたのでわたしは国語はとくに教科書を読む順番を急に当てられても困らなかった。他の科目はぜんぜんできないのに3年生ぐらいではスラスラ読んでまわりから家でこっそり勉強してるのか?と言われたりした。当時の少女漫画の読者の年令層はたぶん高校生ぐらいではないかと思う内容だからそういう意味では早熟かもしれない。
まわりを考えれば小学生が読むには適さない漫画雑誌はほとんどの教育熱心な家庭では与えなかっただろうから。

ところが小5のクラス替えでまたわたしのまわりは一変した。
仲良し女子のグループでの活動がとても活発になってもちろん漫画の話もでるけれどそれだけではなく仲間に高校生の姉がいるような子もいてわたしたちはもっとマセていく。わたし個人が思ったのは高校生のお姉ちゃんはそれほど夢がなかった。
それはフツーだったからで、少女らしく小6まではそんな不完全燃焼で終わった気がする。

レンブラントの絵画のようなチューリップを
みつける。
寒い春のはじまりはかすかにあまい花の香り


夢ノートで小さな花がみる夢は

中学生になるとまわりと同様に小説などの本も読むけどあんまりおもしろいと思うことはなかった。アタマ(勉強のために)がよくなるためにたとえば読書でもなんでも行動する気がない。
またまた少女漫画にもどる。
これは偶然に母親の友人に高校生ぐらいの娘がいる美容室をやっている人がいて少女漫画や週刊誌を山ほどもらってくるという機会に恵まれた。当時少女漫画でも1冊¥380ぐらいだったと思うから何冊も自分では買えない。

これはすごいラッキーだったといまでも思う。漫画や雑誌を選んで買うという手間が省かれてどんどん読めばいい状況なのでわたしの中学生時代はいまでいう不登校なんだけど
休まないと読み倒せないぐらいだった。
学校側はもちろんこのことを知らないけれどわたしは何度か朝礼や体育の時間に貧血で倒れたことがあったので虚弱体質という病名で出席日数ギリギリまで休んでいた。
学校の先生はわたしが家にこもっているのもわかっているしホントに学校に通学するのもキツイのだろうととても親切でやさしかった。出席日数がヤバくなると得意な教科の日に出席するように連絡してくれたりする。
ふざけているようにきこえるかもしれないけれどこれは神の采配ではないかといまも思っています。

そのぐらい膨大な時間をつかって少女漫画から週刊誌まで山ほど読み倒したあとはカラーページなどのファイリングをやる。
大学ノートにその頃は記事を丁寧に貼り付けてファイルした。

少女漫画の読者投稿欄にやはりノートに漫画の中で気に入ったキスシーンばかりをファイルしていてそれを家族にみられて「いやらしい」といわれて傷ついた読者の人の記事を読むとわたしは編集部の回答していた人同様、べつにおかしくないと思う。どんな楽しみ方でも自由ではないか?

少女漫画については週刊マーガレットや花とゆめなど連載モノも多かったし、でも内容は高校生以上向けだった。その流れで流行りの小説なども読んだけどもうその頃には夢ノートを読んだあとに作成するという楽しみのほうがずっと上だった。

作業中流している音楽はNHKFMやFM大阪から流れてくる洋楽のヒット曲を聴きながら熱中する。いまでもよく覚えているのは女性週刊誌がこぞってカラーページをうめていたのはダイアナ妃のロイヤルウェディングで晩餐会のテーブルの写真もファイルした。自分の知らない世界の文化の優雅さにふれた最初だった。
少女漫画では内容もオシャレになってくる。巻頭カラーにスィーツやコスメを載せてる雑誌もふえてきたしとにかく洋楽を聴きながらファイルの整理と夢ノートづくりでわたしの中学生時代はほかに考えることがなかった。
時々母親の離婚問題など現実にそのようなことがあったけれどまったく気にならないほどわたしはいそがしく過ごしていた。

そして、そのころから
現実には期待していないわたしの生活は夢ノートにファイルしたものをつぎつぎに引き寄せてくるようになる。
そのサイクルははやかったように思える。
どんなふうに?はべつとして
まさかこんなかたちで叶うとは!ということがその後もずっと続く。

30になったばかりのころ中山庸子さんの
「夢ノート」が流行って、読んでみたらさらに進化した夢ノートを知って、これからもずっとまたつくり続けていかなければ!と強く思うのだった。

closet freak