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October splendor

#みんなの文藝春秋
#ゲンロンカフェ

『ごくたまに本を読むとき、ターはページを1枚ずつ破っては捨てた。私が外から帰ってくると、いつも開けっぱなしだったり割れていたりする窓からの風で、ページがセーフウェイの駐車場の鳩みたいに部屋中を舞っていた。~掃除婦のための手引き書 A manual for cleaning woman/ルシア・ベルリン』



葬送ラプソディ

 私は今の職場で2つの仕事をかけ持ちしている。それはたまたまコロナ禍で人員削減であった事とそのタイミングに前任者が急な転勤になったのと、職場で他のパートの奥さんと上手くやれない私を気遣って配置してくれた上司の配慮でそれは始まった。

私はとてもラッキーだと思ったし、
私の職歴からすると少しも苦痛にはならない労働力でつい最近もその上司に「もちろん、時間に追われてなかなか大変ですが、そういう時ほど沢山覚えて出来るようになって
わからない事がないほどです」と本音で答えると喜んでくれた。
/これは私のストレートな感情です。

それで一応親会社と子会社のはざまで本来のレンタル婚礼衣装のセットやメンテナンス(子会社)と
着物教室(親会社)の事務職をやる。
私の雇い主は子会社なので基本的にはブライダル関係のほうでこれもそれまでの職歴にはなかった仕事内容(省庁関係)が含まれるのでそれなりになんていうか、運命的なものを感じる。
運命なんて大げさかというと仕事=(イコール)ライフ(1日の半分以上)になってしまっているのでそう思っても言いすぎじゃないと思う。

その最中に私の事務職をしている事務所のパソコンのニュースで前総理大臣が遊説中に撃たれた報道が繰り返し繰り返し流れた。

誰もが知っている大物政治家が
しかも私の育った故郷のよく知っている町で起こった事件の報道が何度も繰り返されるのをまるでドラマの出来事みたいに現実感なく、見ていた。あれは11時半頃。

横にいた配送の男性社員に
「現実感がない!これは」というと
「すごい騒ぎになるだろうな。」と淡々と言う。私は独り者なので職場の人間関係は家族といる時間よりもずっと長いので
こういう他人の言葉が心細くなるような時には身内よりも近く温かく感じる。

前に池袋で何人も車で交通事故を起こした社会的地位のある老人に判決がでた時も、
「この人、後の人生刑務所暮らしだな」「あれはマズイですよね、子供も小さいし」ドライバーの配送さん達の話はふだん浮世離れしている海綿のスポンジのような私の脳に地に足のついた現実感のある言葉が心地よく染みてくるのだった。

金木犀の香り
それはまるで雨が奏でる音楽のように。


壺装束にて参ります。



前総理大臣の様子が明らかになるほど
職場では「これは、100着ぐらいくるかも」そういう話になる。自分でいうのもなんだけど
私は意外とこういう会話が苦手というか、不謹慎ではありませんか?と思ってしまうのはやはり浮世離れしたところがあるから世俗的な事がキツイと感じたりしてしまう。

たとえば、ウクライナカラーだと言って青と黄色のシャツとネクタイでメディアに出る有名人なんかはとくに!かなりの識者の男性もそれはアイテムに取り入れる事で応援?というか鼓舞しているという意味合いを表現しているけれど、その国の人から見たら怒りを感じるのではないかと内心思ってしまう。

生きるか死ぬかの状況なのに?

無神経さに腹が立つという感覚に鈍感なのかもしれない。
これは私の所感だけれど
こういう些細な事でその個人の残酷さやどんなに優しそうに知的に見えていたとしても
その人の冷淡な、或いは残忍性が見え隠れして
私はゲンナリしてしまうことがある。

エリザベス女王が崩御して、
前総理大臣が聴衆の面前で撃たれて亡くなって、宗教批判が世の中で大騒ぎになって、
なんて世の中。

だけど私の身の上を語るなら
それはまるで檀ノ浦の戦いよりも悲惨かもしれない。

関ケ原の合戦よりも島原の乱よりも。

あえていうなら
真理などどこにもない。

/この10月のはじまりの日に。


Tuesday