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Don’t be afraid エモい

「エモい」という言葉が流行語になったのは2018年で、比較的最近だ。
15年くらいずっとこういう音楽を聞いている僕たち私たちは「何をいまさら」という感覚があったのは間違いない。
今回はこの「エモい」についてちょっとだけ。
emoいとEMOいとエモいと表記を分けたい人もいそうだけど、まあここでは「エモい」でひとくくりとしておきます。

(たくさんの人がこのマンスリーで書いているから、もしどなたかと内容が被ったら申し訳ないなあ。すんません。)

まずは僕の個人的なやつから。
僕の感じる「エモい」は、Mineralの「ひとり用音楽感」、BRAIDのストップ・アンド・ゴーな「ヒリヒリ感」、cap’n jazzの「生き急いでる感」と、ちょっと離れると思うけど長尺ポストロックバンドのサウンドスケープ、カタルシス感ある楽曲構成とか、一時期twinkleと言われていた「キラキラ疾走感」、だいたいこのへんだ。

もうちょっとメンタルというかスタンスの世界に行くと、ディスコード界隈のDIYエッセンスとか、アンチ商業主義な「オレ達がいいと思ってやっているから、ほかは関係ない」=「このスタンスが「エモい」」と感じている、というところまで自分の感じ方を分解することができる。

「若者言葉のエモい」と、どうやっても交わらないように感じる「僕のエモい」は、ここまで掘り下げると実はリンクが見えてくる。それを説明するよ。

「エモい」は今や「カワイイ」に近い使われ方をしているようだけれど、両者には圧倒的な違いがあるように思う。

カワイイという言葉を使うときには、「なにかと比べて」「流行りものだから」、「カワイイ」という使われ方をしている。いわば「他のなにか」の評価ありきの形容詞。いかにも日本人らしい感覚で、世界中に日本の文化として広まった事実にもなんだか頷ける。

一方今使われている「エモい」には、「他の誰かがなんと言おうと、どう感じようと関係ない。僕は私はエモいと思う」という強いメッセージがあるように感じる。
ここ十数年のSNSの台頭により、自己発信が世界に承認され、自分は自分でいい、というメンタルがDNAレベルで埋め込まれてきたんだろうな。そろそろ。

つまり、僕が使うエモいと、彼ら彼女らが使うエモい、という言葉は、スタンスでは何ら変わらない。

いやむしろ若い子たちのほうが、よりプリミティブな意味で使っているから真に迫っているのかも。マジで「エモい」を使う人と会ったら、ちょっと恥ずかしくなっちゃうもんね。がんじがらめの自分よりも、まっすぐだからさ、きっと。そんな人達にももちろん合わせられるように、自分も成長しなくてはなりませんな、と思うわけです。

「自分の感情が動かされた」という事実がそのまま状態を示す言葉になってしまっていることに危うさを感じつつ、音楽や歴史は自分を構成してきたものとして大事にしたい。そしてそれこそダイバーシティ&インクルージョンを考え方から実行しなければ、と日々暮らしております。

そんな筆者のインスタグラムは @ryotaroniimi
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2021年7月11日 締め切りすぎた、忙しい。

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