「仕事」したい人とは【仕事】ができない
オッス!僕です。書きたいことが出来まして、ちょっとネガティヴなタイトルを並べてみました。
今日は仕事の話をします。
巷ではイソップ寓話とか言われてるんですが、まあ出典はどうでもよくて。こんな話があります。
"三人のレンガ職人の話。
何をしているかを聞かれて、それぞれが
①「親方の命令でレンガを積んでいるんだよ。暑くて大変だからもういい加減こりごりだよ」
②「レンガを積んで“壁”を作っているんだ。この仕事は大変だけど、金(カネ)が良いからやっているのさ」
③「レンガを積んで、後世に残る“大聖堂”を造っているんだ。こんな仕事に就けてとても光栄だよ」
と答えた。"
この話はよくモチベーションの話に置き換えられて、①の人は「作業」、②の人は「労働」、③の人は「活動」をしている
とされる解釈をいろいろなところで見たり聞いたりする。
誰が見ても同じ「作業」をどう受け取めるかで、気分やモチベーションはぜんぜん違うのだ、ということが言いたいんだろうね。んで、だいたい③「活動」がマンセーされる。
この話はこれで終わりなんだけど、今の時代とつき合わせて大事なのは「仕事」の捉え方が千差万別すぎる、という事実だよなあ、と思っていて。
世界がダイバーシティ&インクルージョンを推進しようとしている中で、「みんな③になろうぜ!③を目指そうぜ!」というのがもはや暴力に近いんだよなー。
だってそうじゃない人いるやん。絶対。
「みんなの事情をひっくるめて」「一つの方向に向かう」という、めちゃくちゃ難しい課題。
そんなの知らないけどとにかく頑張れ、ということだってできる。だけど、これをやってのける人が今一番強いんだろうなあと思う。
だからこそ、僕はもう”「仕事」したい人とは【仕事】ができない”。
同じ(仕事)に就いていても、僕の【仕事】は社会に向いている、あなたの「仕事」は世間を向いている、という違いに、最近頻繁に躓く。(仕事)という観点で、人の生まれや育ち、考え方、人格形成に関わる根本的な壁にぶち当たってしまうのだ。この違いは、外部環境によるところが大変大きい。この年になってくると、ある程度「うまくいってきた経験」が逆にハードルになってしまって、思考の変化が難しくなってきたりもする。でも、変化の方向も指定するようなものでもないし。こうして、【仕事】をしたい僕は、「仕事」をしたい人の影に身を潜め、「仕事」をできるふりをしている。でもそれでは当然僕の気持ちは収まらないから、カオスを生みながらゆるやかにぶっ壊す。そんな感じだ。
さあ、君の(仕事)はどうだ?
2021年10月4日(月)落ち着いてきた仕事終わりに
P.S. 最近は、のいちゃんが最近好きらしい「ジミー・イート・ワールド」のクラリティをよく聴いている。やっぱマスターピースだよね、これね。
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