見出し画像

EMOARUHITO vol.5 タケル

「誰か電話に…あ、そうか」

本格的なテレワークが始まって、5ヶ月が過ぎた。
みんなが出社する曜日は、月水と決まっていて、逆にタケルはその日はオフィスにいない。
今のグラフィックデザイン会社に就職する時、息を巻いて会社から3分のところに引っ越してしまったタケルは、紆余曲折を経て、会社の見守り番のような役回りを社長から仰せつかっている。当の社長は、実家に疎開中で、テレワークを実施中とのことだ。そのスタンスも正直腑に落ちないが。

そうは言っても、家なんかで仕事はできないと思っているタケルにとって、この環境はある意味では悪くない。
大好きな漫画やネットに否が応でも囲まれてしまう空間では、生来サボり癖のある自分に、プライベートと仕事のハイブリッドな暮らしなんかは叶いそうにない。むしろオフィスの方が、集中して仕事を進められるというものだ。テレワークが始まった頃は、そう思っていた。

今年のこの状況では、そんな順風満帆な新生活にも影を落としているとしか言いようがない。
同僚とのディスカッションによって次々とアイデアが浮かんでいく様は、ひとりではもちろん、なかなかオンラインでは体験できない。それのおかげで、皆が同じ方向を向いてプロジェクトを進められ、良い成果を出すことができた場面に何度も遭遇した。一年間のフリーランスで遭遇した数多のトラブルを思い出しては、責任を按分しながら高いクリエイションを定期的に発揮できる今の職場について、ありがたみを感じることも多々あった。ひとりが向いていると信じ込んでいたタケルにとって、就職してからの全く新しい自分との出会いを、何かキラキラしたもののように感じていたからこそ、ひとりの時間はだいぶ気が重い。しかもこの状況が、5ヶ月も続くとは。ここまでくると、逆に人の多さに疲れを感じてしまって、月水の仕事は特別に自宅でできるようにしてもらったのだった。

しかしタケルは知っている。ひとりでは限界が来ることを。自分が思っていたよりもずっと早くそれはやってくる。
誰かに会いたい欲求と、会うことへの恐怖に打ち勝つ方法、もしくは、誰かと感覚を共有する方法を見つけなければ、いまの自分にとって未来はない。

頭を抱えたくなり身をかがめた瞬間に、あるひらめきがあった。

タケルは職業柄か、持って生まれた性格なのか、育った環境なのか…人間味が感じられるクラフトワークや、インディペンデントなものが好きなのだった。作品の向こう側にあるその人の思い、そして毎日の暮らしや息づかい。タケルには、それを発信しようとするスタンスに感銘を受けて歳を重ねてきた思いがあった。食費を抑えて、アルバイト代のほとんどをつぎ込んだレコード。誰かに教えたいと思って設立したmixiのコミュニティ。myspaceを通して拙い英語で連絡を取り、ライブを見るためだけに行ったアメリカ一人旅。思い返してみると間違いなく、決してオリジナルでなくてもいいから、自分に影響を与えた誰かの真似をして、しっかりと体験をしたうえで発信する側に回りたかった。追われるようにやり過ごしてきた毎日の暮らしの中で、忘れてしまっていた感覚だった。

オフィスには誰もいない。ネットワークはそばにある。
ものは試しだ。最初はいつもそうやって、手探りで道を切り開いてきたじゃないか。自分のそのままを、知ってもらうことからはじめてみるんだ。同じ感覚の人は、必ずいる。物理的に近くにいなくても、今は世界とつながることができる。

大好きな音楽を聴きながら仕事に勤しむこの風景を、配信してみよう。
デスクの上を少し片付けて、コーヒーでも飲みながら。パソコンを弾く手元だけを映るようにして。
プレイリストも作って、spotifyにアップしてみよう。遅ばせながら、これから月額登録だ。

1曲目はもう決めてある。
薄暗いホールで上半身裸の4人がファンに囲まて演奏する風景は、誰の目にとっても衝撃的だったはずだ。

みんな好きだろ?


2020.10.08 名古屋市東区のオフィスにて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?