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目で見るまで決めない強さ

うわさ話や、想像だけで「ああだ」「こうだ」と悩んだり困ったり、恨んだり嫌ったりすることってありませんか?対象がモノであれ、人であれ、概念であれ、まだ自分の目で見ていないのに判断してしまうことが。

冒頭の写真は、日本を歩いて確かめて、その形=地図を浮かび上がらせた人物「伊能忠敬(いのうただたか)」さんの像です。一歩69センチで日本中を歩き、測量し続けた方です。

この方の伝記にあり、思い出すと気持ちが強くなる言葉があります。

あまり利口になるな
想像でものを言うな
自分の目で見たものを信じろ

当時の当人が放ったのはきっと、大きく異なる表現であったはずですが、
当時歩いていけず、その目で見ることが叶わなかった地形を想像で埋めようとしたお弟子さんに送ったメッセージのようです。

お弟子さんらにそう言った忠敬さんは「次に歩いた時に埋めればよい」といって、地図の線を引かなかったそうです。

このエピソードを読んで、わたしは自分の目で見たものしか「こうである」とは言えない、というメッセージを受け取りました。自分で何かを判断するには、本当はこの目で対象を見ないとわからない。それなのに、情報社会に生きるゆえか見てもいないのに判断していることが、とても多いのです。
点と点を結ぶ線を、自分で想像して作り上げていることがほとんどなのです。

それではいけませんね。伊能忠敬さんの「線を引かない」という信念は自分の奢りを戒めてくれます。

引っ越してきたお隣さん、前は〇〇「だったらしい」
今年の新入社員は、△△「だって」「言われてるね」
異動で引っ越す。子どもたちは寂しい「かもしれないね」

本当はどうなのか、その判断は自分の目で見てからのものなのか、少し立ち止まって反芻してみませんか。4月は始まりの季節、張り切る月です。けれど張り切りすぎず、伊能忠敬さんのメッセージを思い出しながら、謙虚に前進していきたいものです。

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