【親友回顧録】幸運なり我が人生 ④
ジヨンはクリムトが好きだ。ゴッホも好きで、フェルメールも好き。美術に関して造詣が深い。
一方わたしは、母親に連れられて幾多の美術館へ足を運びはしたものの、通り過ぎたるだけで絵画その他の美術品に対して何も感じない人間だった。
ジヨンのおかげで、美術がわたしの世界に入り込んできたことは間違いない。今はフェルメールが好きだ。光と影のコントラスト、女性の顔のうつむき加減、こんな風に台所に立っていたんだな、と暗くて見えにくくて、気がついたらこんなところにカビが生えてた!なんて日常茶飯事だろう…と思いを馳せることも出来る。…まあ、それはおいといて。
一重に、大好きな親友の世界観に触れたいと願ったことが動機となった。
だからわたしは美術に関心を持った。ジヨンは、わたしの世界を広げたのだ。相思相愛の母親さえもそれを成し遂げなかったというのに。
友だちというのは不思議なものだ。生まれてからずっと一緒に、同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食う仲である家族でも近づけない心の内に、スッと入って幸福を置いていく、そういう友だちに出会うことがある。時間や関係の近さではない、ましてや血でもない、なにか目に見えない尊いものを分け合ったような友だち。それが、ジヨンだ。彼女はその手の中にわたしの魂を半分持っているようなもので、説明のしようもなく、どうしようもなく、大事な友だちだ。
昔よく街中で耳にした曲にあった。
「ここにあなたがいないのが淋しいのではない」
「あなたがいないと思うことが淋しい」
わたしは今、とても淋しい。
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