僕について(高校卒業編)
初投稿が令和元年の初日とは縁起がいいものだ。とりあえず、僕の紹介と僕の親友でもある安斎弘毅について書きたいと思う。
僕は二浪もして大学に入った出来損ないの大学生である。家族や先生には多大な迷惑をかけてしまったことをここに反省する。一年目は某大手予備校に通い、二年目は自宅で浪人していた。(実質ニート笑)しかし、無事、今の大学に拾ってもらい、楽しい大学生活を送らしてもらっている。
ボーちゃんは小中高の僕のあだ名であり、確かによく鼻水は出るし、ボーとしてる。大学では、しっかりした一人前の人間に見られたいのでこのあだ名は封印している。
安斎弘毅と僕は高校の同級生で高校1年生からの仲だ。都市圏の男子校で、毎年、東大や京大をバンバン輩出するような超進学校である。進学校あるあるなのだが、2年生までには数Ⅲが終わっている、授業が意味不明な難解な問題解説、といった常人では処理が不可能なことを兎に角やらされる。当然それについていけない人もいる。それが、僕と安斎弘毅だった。僕は、なんとか学校にだけは通い続けたのだが、安斎は休む日が多くなった。学校を休みたくなる理由も分からなくもない。毎日おっさんの自己満足授業を聴き、放課後も男子だけの黙々と練習と筋トレをこなすだけの部活をするだけの生活だからだ。(こんなことをやっている間に、陽キャは童貞を卒業していくのだ。怒)これを、僕の場合中高6年間も続けてきた。安斎は高入生なのでたった3年間だが。与えられた課題をこなすだけでも大変なのに、それに加えて、無遅刻、無欠席、部活、良い成績も求めてくる。それをやったところで何の対価もないのにも関わらずーーー。高校は牢獄のいるかのように辛かったと思う。今も苦しいことはあるが、自分の将来のためだと思って割り切れることが多く、仲間もいるため全然耐えられる。話は戻るが、安斎は高校の中では学校に来ない「問題児」のレッテルを教師からも、生徒からも貼られていたと思う。安斎自身もこの時は苦しかったに違いない。しかし、安斎の努力の成果もあり、何とか二人とも卒業することはできた。(お互い志望する大学に入学することはできなかったが)高校時代も安斎とは仲が良かったのだが、卒業後は縁がないだろうなと思っていた。それは、安斎も思っていたそうだ。しかし、僕たちは、違う場所で再び出会うことになる。これは、今度書こうと思う。
ほな また
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