見出し画像

球団ヒストリー53.報道で見る九州No1!

第37回全日本クラブ野球選手権大会九州地区予選優勝!

優勝の瞬間

鹿児島ドリームウェーブとチーム名が変わったその年。
第37回全日本クラブ野球選手権大会球種地区予選で、全4試合すべてに接戦を制し優勝!
九州12チームのうち1チームだけに準備された全国への切符を手に入れた!!

繰り返すが、数か月前には存続すら危ぶまれたのに!
1ヶ月も練習すらできなかったのに!
たった20人の登録選手で!

このことは当時、鹿児島県内のニュースや新聞でも大いに報じられた。

KTS鹿児島テレビ

KTS鹿児島テレビさんは、これまでもチームを追って取材を続けてくださっていた。

低迷が続き起死回生を懸けたミーティングの場も、新生鹿児島ドリームウェーブの凍える初練習も、就職斡旋第一号も、すべて映像で記録してくださっていた。

そして九州No.1なんて、ちょっと出来過ぎなストーリーじゃないか!?

こちらは優勝報告の映像。

毎日新聞

毎日新聞さんは、都市対抗野球大会をはじめ社会人野球の主たる大会の主催として名を連ねる。

そのため鹿児島ホワイトウェーブとして立ち上げのころから取り上げてくださることが多かった。
もちろん鹿児島ドリームウェーブとして再出発したときも。

それから数か月での「初優勝」、なんと誇らしいことか。

2012.8.7毎日新聞の誌面

鹿児島DW初優勝‐九州地区予選‐社会人野球の第37回全日本クラブ選手権九州地区予選兼第7回九州クラブ選手権(日本野球連盟九州地区連盟、毎日新聞社主催)は6日、北九州市民球場で準決勝と決勝を行い、鹿児島ドリームウェーブ(DW)が初優勝した。最高殊勲選手賞は3連投で優勝に貢献した竹山徹(鹿児島ドリームウェーブ)が受賞し、打率6割の渡嘉敷貴彦(ビッグ開発ク)が敢闘選手と首位打者の両賞に選ばれた。「接戦を競り勝ち一体感生まれる」05年8月に欽ちゃん球団・茨城ゴールデンゴールズと試合をするため結成されたチームが、昨秋は練習参加が4、5人まで減った。そのため約40人いた部員を練習に出られる20人に絞り、練習回数を増やした。選手を雇用する支援企業を募って有望な若手も加えた。 今春から名前を鹿児島ドリームウェーブに改めて再出発し初の九州制覇と全国大会出場をベテランと若手の試合で勝ち取ったその象徴は決勝で活躍したバッテリーの3人だ。 まず今年入団の右腕・松元と捕手の北迫が試合を作った。120キロ台だが「手元で動く」(北迫)直球を武器に大胆に攻めて八回途中1失点。そして結成メンバー、35歳の竹山が締めた。「若手が頑張っているから」と3連投の疲労を感じさせない力投で、六回のワンチャンスで挙げた2点を守りきった。 全4試合とも接戦を競り勝っての優勝に「一体感が生まれた」と末廣監督。夢のクラブ日本一に向け、北迫は「ここが始まり」と言い切った。

2012.8.7毎日新聞

南日本新聞

南日本新聞は、地元の雄。

鹿児島では南日本新聞に取り上げられてナンボ、というところが今もあるように感じる。
それだけに、たとえ小さな枠でも記事になっていると県内での認知はぐっと上がる。

「全国へ」という文字が特に躍動して感じるのは私だけだろうか。

2012.8.7南日本新聞の誌面

「ホワイトウェーブ」から「ドリームウェーブ」に名称が変わって3ヶ月あまり。当初、3年計画としていた全国切符を、8度目の挑戦にして初めて掴んだ。
 決勝は守備の乱れから序盤に1点を失ったが、六回に3番田上の右越え三塁打で好機をつくり、4番中馬の中前打で追いついた。さらに進塁打で中馬を三塁に進めると、7番大内山が勝ち越し打。田上は「技術云々ではない。皆、勝ちたい気持ちで振り抜いた」。
 1点リードの八回には先発松元の後を受け、チーム最年長36歳の竹山がマウンドへ。「若手には負けられない」と意地の投球を見せ、打者7人を1安打無失点に抑えた。若手からベテランまで、チーム一丸でつかんだ勝利。末廣昭博監督は「ようやく理想的な試合ができた。良くやってくれた」と手放しで喜んだ。

2012.8.7南日本新聞

さらに、全日本クラブ野球選手権本選に出場してから投稿された『考現鏡』には、國本代表が「これがすべて」と唸るほどにここまでの過程が簡潔かつ丁寧に描写されている。

2012年9月27日南日本新聞誌面

鹿児島の球界に大きな一歩が刻まれた。社会人クラブチームの鹿児島ドリームウェーブが、9月上旬に開かれた全日本クラブ選手権に県勢として初めて出場したのだ。県内の社会人チームが全国大会に出たのも、旧鹿児島鉄道管理局(鹿鉄)以来数十年ぶりという快挙だった。大会前には練習拠点の日置市伊集院球場に鹿鉄OBが駆けつけ、熱視線を送っていた。止まっていた時計の針が再び動き出したという感覚なのだろう。
 4月に旧ホワイトウェーブから名称変更した際、國本正樹球団代表(42)は「3年で全日本クラブに出場する」と宣言した。それから5ヶ月弱。目標を前倒しできた背景には、企業の尽力もある。練習時間に合わせた勤務形態で選手を雇用したり、チームのホームページに広告を出したりしている。金額の多少にかかわらず支援の輪が徐々に広がり、それが選手たちの”カンフル剤”となっている。
 うれしいことに、高校野球関係者から入団の問い合わせも増えてきているそうだ。有力選手は卒業後、県外に出ることが多い。鹿児島にも魅力的な”受け皿”ができれば、県全体の競技力向上にもつながるだろう。國本代表は言う。「5年でクラブ日本一をとり、10年で都市対抗本戦に行きたい」。夢がかなう日は、意外と早く訪れるかもしれない。

2012.9.27南日本新聞

やはり結果というのはモノを言う。
様々に報道されたことも含め、この優勝は選手たちにとっても大きな誇りになったに違いない。


この記事が参加している募集

野球が好き

よろしければサポートお願いいたします。 いただいた資金は、取材などの活動費に使わせていただきます♪