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球団ヒストリー41.心機一転

これからどうなるのかな

2005年、一晩限りの予定で立ち上がった鹿児島ホワイトウェーブ。
都市対抗への出場を夢見て、正式にクラブチーム登録したのは2006年春。

そこからぐぐっと盛り上がるかと思いきやそうはならず、数年も経たないうちに目に見えて練習への参加者は減っていた。

これでは戦績が奮うはずもなく、選手たちのモチベーションは下がっていった。
「これからどうなるのかな」
そんな想いを、チームの誰もが抱いていたという。

空白のとき

記事を書くために調べていても、2008年くらいまでは新聞やテレビなどの取材があり資料も残っているが、2009年から2011年の3年間は空白のときといってもいいくらい。
球団事務局に保管してある記録は少なく、現場の選手たちの記憶もあいまいで前後不覚といった感じだった。

そして2011年末、解散も厭わない「やる気のない者は辞めてもらいます」宣言。

そこから約1か月、練習はなかった。

一人ひとりと

この1ヶ月ほどのお休みの間、球団代表である國本正樹さんは、一人ひとりと丁寧に話をし、進退の意思を確認していた。

ここ、代表ご本人はさらりと話をされたが、実際にやるとなるとめちゃくちゃ大変なのではないか。
ご自身は経営者であり当然お仕事がある。従業員もいる。
「仕事ではない。どちらかというと趣味の範囲」という球団運営で、電話とはいえ個々人と話をするって…相手の時間に合わせ、不安や愚痴を拾い上げ…としていたら、膨大な時間がかかり疲労も大変なものだったのではないか。
心の奥で「いや、続けます!続けさせてください!」という言葉をまったく待っていなかったと言ったら嘘になるだろう。小さく傷つきながら全員と話をし続けたのかと思うと、少し苦しくなった。

壁、そして

2012年年明け、伊集院球場でのこの年の初練習。

この久しぶりの練習に何人参加したのかは定かではない。
しかし資料映像を見る限り、10数人はいるように見える。
このメンバーは、ほぼ予想していた通りの顔ぶれ。

とはいえ主力選手の思わぬ退団もあり、それは少なからず選手たちにショックを与えていた。
ただ、「きっと続けたかったと思います」という言葉が当時の選手から聞かれたように、やむに止まれぬ理由があったことなんだろう。
続けられなかったアイツの分まで…。そんな想いは、残った選手たちの結束をより強くしてくれたかもしれない。

資料映像では「崩壊の危機」と表現されていたチームの状況。
「野球が好き」なだけでは続けていけない社会人野球の大きな壁を、この冬ホワイトウェーブは一つ越えたのかもしれない。

そしてこのすぐのちに、もうひとつ、大きな節目を迎えることになるのでした。


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