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球団ヒストリー64.財政面の救世主と功労者

前回も少し触れた『支援型自動販売機』設置の経緯とそれに関わる方々について、ここで改めて書いてみようと思う。

恵まれてはいたものの

そもそも欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズとの野球イベントのために結成された鹿児島ドリームウェーブ(設立当初は鹿児島ホワイトウェーブ)。

そのためユニフォームやヘルメット、バット類は、すでに用意されていた。
そういった道具類の心配がいらなかっただけで、とても恵まれていたとは言える。

しかし正式に社会人野球クラブチームとして登録したときはそのスポンサーのバックアップはほぼなく、選手たちから集めた部費が収入源の大部分を占めていた。

最初から息の長いチーム作りをするつもりであれば計画的に支援企業を募るなどしていたはずだが、その前に走り出してしまった。

つまり、まぁまぁ貧乏球団としてスタートしたわけだ。

とはいえスポンサーが皆無だったわけではない。
初期のユニフォームには『エムズ』という企業のワッペンが縫い付けられていた。
最初のスポンサーで、球団代表國本さんの高校の先輩だそうだ。

初期からホームページを立ち上げ、その広告枠を販売する形でのスポンサー募集だったというが、まだほとんどアクセスのないホームページ。
なかなか苦戦していたようだ。

ちなみに当時のホームページをどこに発注したかすら國本代表も覚えておらず、アドレスも変更したため見ることができないのは少々残念だ…。

救世主

活動費が少なく練習場の確保すら厳しい中で舞い込んだのが、南九州コカ•コーラボトリング(当時)からの支援型自動販売機の提案。

前回の記事でご紹介したように、株式会社ゼンケイさんの当時の社屋に一号機を設置したのは2008年ごろだった。
設置初年の収入は、3台で年間1000円代だったと記憶している。

当然ながら最初のうちは財源と言えるほどはなく、種まきの時代でもあった。
しかしコカ•コーラの黒木純一さんが下さったこの提案は、活動費に頭を抱える球団にとって救世主となった。

多大な功労者

その後、2012年から担当となったのが横内博文さん。
球団代表國本さんは「とにかく多大な功労者」と事あるごとに話してくださった。

横内さんが担当となった当時、支援型自動販売機の設置を始めて4年ほどで15台となっていた。

それを、1年間で一気に12台増、さらに2019年に転勤によって鹿児島を離れるまでに60台を超えるほどにしてくださったのだ。

いや、企業側に設置の提案をするのはドリームウェーブ。コカ•コーラさん側から「ここにお願いしましょう」ということは本来あまりないそうなのだが、横内さんは新規の設置もあったという。

こうして横内さんが担当くださっている7年ほどで、ドリームウェーブの支援自動販売機を見かけることが飛躍的に増えた。

当時全くと言っていいほどドリームウェーブにも都市対抗野球にも興味のなかった私が、ふと支援自動販売機を見つけて「へぇ、鹿児島にこんなチームあるんだ」と思ったくらいだ。

レジェンドに惚れて

自販機を設置するのは、言ってしまえば仕事であり当たり前のこと。
でも横内さんは、野球教室などのイベントに足を運んでくださるなど、自販機営業担当以上にチームに関わっていたそうだ。

なぜそんなに熱心に?
とお聞きしたところ、間髪入れず「竹山さんに惚れたんです」。

そう、一夜限りのドリームチームだったときから大エースとして活躍、今ではレジェンドとなっている竹山徹さんだ。
特にこのヒストリー初期によく書かせていただいている。

野球未経験の横内さん。
でもおそらく担当になったからには、ということで公式戦を観戦してくださっていたという。
そこで目にしたのが、当時30代半ばでマウンドに立つ竹山さん。
脚にピッチャーライナーを受け、野球ボールのように腫れ上がって歩けないのに完投した姿に射抜かれたそうだ。

この人の応援がしたい!
それが熱いバックアップのきっかけ。そしてその後もずーっと「竹ちゃん」ファンを公言している。

貴重な財源

横内さんのグラウンド外での活躍により、支援型自動販売機からの収入は確実に増えた。

ところで、以前の記事で書いた『三方が潤う』というのは少し控えめな表現。

設置企業としては自販機からの売上があり、おおもとのコカ•コーラ側も売上が立つ。
その売上の一部をドリームウェーブがいただくことで活動費となる。
それらすべて、のどを潤すために飲料を購入する利用者がいてくださるから。しかも通常価格だから無意識に。
つまり四者が潤っている。

とはいえ設置企業もコカ•コーラも、じつは少しずつ取り分は減るわけだから、本当にありがたい話だ。

最初は1000円。
ボール一個も買えないかった額が、今では月に10万を超える貴重な財源の一つになっている。

そして2020年に転勤されチームを離れた横内さんは、2023年に復帰。
「右投げ横内(打ち)の横内です」というキャッチコピー?で、今もまたときおり球場に足を運んでくださっている。

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