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「麻雀の流れ」は"風"となった。Mリーグ実況日吉辰哉氏から考える、曖昧な概念の具現化。

Mリーグ設立から3年。2020シーズンが終わった。

筆者は生粋の麻雀プレイヤーで、麻雀観戦はあまり興味が出なかった。他人の麻雀より、自身の戦績が向上させるため麻雀を打ったほうが楽しかった。
よってMリーグも見る気が無かった。……はずなのだが、今やAbemaTV欄を見て「今日は水曜日だからMリーグの試合は無かったわ」と己の記憶力低下を確認し続けている。
何故私はMリーグなら見ている? レベルが高い対局なら、天鳳名人戦だってある。Mリーグを視聴し続けても、自分が麻雀を打たない限り1トップにも1ラスにもならない。
理由は至極単純である。声のうるさい男がぎゃあぎゃあ騒ぎ立てながら、楽しそうに麻雀を実況しているのを見て"心地よさ"を感じるからだ。
筆者はディズニーランドに行ってミッキーマウスの耳帽子を付けるよりも、Mリーグを視聴することで安らぎを感じる異常性癖者なのである。
人間が楽しそうにしていたり、興奮して盛り上がり喋っているを見ると、自分も楽しくなってくる。この程度の快楽は、いくらでもあるゲーム実況動画でも満たされるだろう。よくある娯楽だ。ただ喚くだけで異常性癖者に好意を持たれてしまう不幸な人間が、この世には存在する。Mリーグの実況を務めている日吉辰哉氏もその一人だ。
特に筆者が氏の実況で気に入っている言葉は「風」だ。「風が吹いていますよ!」「暴風が吹いています」とか。
しかし、この「風」という言葉は、麻雀用語としてかなり曖昧な表現である。
似たような言葉に「流れ」がある。私は流れという言葉を毛嫌いしている。だが、なぜ風を許容しているのか?


麻雀用語の「流れ」については、過去様々な言及があっただろうが、「科学する麻雀」でとつげき東北が論じた物より優れた指標は無い。

第一に「流れ」という言葉が一体何を指すのか、具体的に定義する事。確率的偏りなのか、心理的変調なのか、人間の超能力的神通力なのか……言葉の定義を曖昧にしていると、議論にすらならない事。
そして定義できたのであれば、わざわざ「流れ」と表現する必要が無い事だ。どうとでも解釈できる言葉は、勝率を上昇させる根拠としては脆弱なのだ。少なくとも、統計学や物理学より乏しい。
もし麻雀AIの解説書に「麻雀は流れのゲームです」など書かれたら、きっと笑うだろう。小林剛プロの著作「スーパーデジタル麻雀」の冒頭で「"デシタル"という言葉そのものが曖昧になっている」と語り、「二度と"デシタル雀士"とは名乗らない」と脱・スーパーデジタル宣言をしたのが2016年だ。時代逆行も甚だしい。だから2021年にもなって「風だ風だ」と騒ぐ実況日吉辰哉氏と「風は、わかりませんね」と冷静に話す解説小林剛のやりとりは、笑えて仕方がないのである。

「風」も「流れ」と同じだ。「流れが来ている」と「風が吹いている」とは、未定義でフワフワした、曖昧さを保つ表現である。その場を盛り上げるための、方便だ。麻雀の戦績を向上させる時に、多義的に使われやすい「流れ」「風」等の詩的表現は不適である。そして「風」は「流れ」よりも、方便精度が高い。物理的に空調が吹いているのか否か、対局室内でサクラが降っていない事は、ライブ映像を見ればすぐ理解できる虚実だ。
だが日吉氏は、麻雀をより面白おかしく伝えるために、あえて詩的に表現を積極的に用いている節がある。理論的な会話ではなく、感情的な発言で、視聴者を楽しませようとする。
この狂騒っぷりを私は許容してしまっている。なぜか? 麻雀において散々流れ論なる稚拙な戦術が否定され、Mリーグの放送内でも否定されている事が、物理的に可視化されているだけではなく、会話内容からでも聞き取れるからだ。大学を出ていなくても、わかり易すぎる。日吉氏が「風だ風だ」と大声で実況して、解説が困惑する事によって、視聴者は狂騒を理解する。ここまでのやり取りと話題を、多くの人々と共有できることが、Mリーグの視聴価値だ。
筆者は実況日吉氏が「風」と表現する事を肯定したい。そして、この風言動を否定し続ける全ての人間を肯定したい。詩的表現するなら、これがオカルトとデジタルのロジカルな融和だ。この一文の曖昧さをnoteに書くだけで500円は稼げるだろうし、人とまともに討論する会話能力を得られることもあろうが、麻雀の勝率には影響しない。
それでいい。麻雀の視聴に雀力は必須ではない。キャッチボールができなくても、テレビの野球中継を見て自分を幸福感情に満たすことはできる。それこそ、ディズニーランドでミッキーの耳帽子を被った時の幸福と、変わらぬように。
願わくば、実況日吉が何故熱狂しているのか、何故小林剛はそっけない反応なのか……さほど見識の深くない視聴者にも、知ってもらいたい。が、このような欲望は、麻雀という特殊なお遊戯をプレイして勝利する事に喜ぶ、歪な異常性癖者の呪いだ。

(了)

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