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3.11に思う指導者の有能、無能。

テーマ:第一部

 

★10年前の記事です


今日は、3.11。

あれから2年たちました。

静かに、追悼をしたいと思います。



今日、こんなコラムがありました。

「心を込めずに言葉を探すより、言葉を探さずに祈りに心を込める方がよい」。

インドの指導者ガンジーがそう語っている。

あの時ほど、言葉が無用だと知ったことはない。

(中略)

人が一心に祈るとき、本当に必要なものは、わずかな場所と時間だけらしい。

祈りの先には必ず相手がいる。それは別れた家族かもしれないし、復興に頑張る働き手かもしれない。

人と人が線で結ばれ、無数の見えない糸が日本中に張りめぐらされる。

14時46分。また静かに目を閉じてみる。たぶん特別な言葉はいらない。




上の写真は、昨年訪れた、石巻市立大川小学校です。右は、北上川。

海が天の方に見えます。

ここから津波が襲ってきたことを思うと、恐ろしいです。



この校庭に108人の小学生が、先生のいわれるとおりにして、待ってたんです。

そして、74人が死亡または不明。

校長は生き残った。

反対をする術のない、意見をする術のない小学生を、指導者・リーダーは、見殺しにしたんです。

自分だけ生き残ったのです。




一方の、釜石市立釜石小学校。

184人の児童全員が自力で巨大津波を生き延びた。


「てんでんこ」

津波てんでんことは、三陸地方で言い伝えられている言葉である。
てんでんことは、てんでばらばらの意味。
津波の際には親や兄弟にも構わずにとにかく逃げろ、そうすることで一家全滅を逃れることができる、という意味合いを持つ。
そうでもしないと逃げ切れないという、津波から避難することの難しさを示している。


自らの意思で、自らの行動を起こす。

同じ、小学生で、指導者の違いで、明暗を分けた。

取り返しのつかないことだった。




指導者は、平時に、徹底して、現場、最前線を回り、状況を把握して、手を打たねばならない。

戦時には、本陣にて、どっしりと動かず、的確な指示を出さねばならない。


愚かな指導者は、平時に動かず、戦時にうろたえて、うろうろする。

指導者は、命を預かる、運命を預かる、人生を預かる。

「大将の器」でないものに大将をさせてはいけない。

ではまた。


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