嫌だと意思表示する大切さに気づく
ヘッダーの桜の画像は娘がスマホで撮ってくれたもの。
真っ白な桜が桜並木の中に1本だけあって、とても目立っていて、白く輝いていた。
今日のタイトルに相応しい画像に思えた。
今回の記事は長くなるかもしれない。
それでも私にとってとても重要な気づきなので、具体的にありのままを表現してみよう。
先日に市役所で生活保護の受給額を受け取りに行き、地区担当のTさんや娘のサポート担当のNさんと面談した。
私の人生のシナリオに、何故この面談のシーンを組み込む必要があるのだろう?私はそこに違和感があり、いまいち納得できずにいた。
でも昨日の出来事により、一気に点と点が繋がり、見事に気づきへと導かれたのである。
この一連の流れが、まさに宇宙の流れそのものなので、私は絶対にnoteに記すと決めていた。
だから今私は興奮気味にこの文章を綴っている。
私がとても苦手で避けてしまうこと、それは相手に嫌だと意思表示することだ。
幼い頃から気を使い、相手をガッカリさせてしまうのでは?という心配や、怒らせてしまうかも という恐れから、本音が言えずについ適当な返事で誤魔化したり、嫌なのに断れず引き受けたりしてきた。
そんな自分の意思の弱さに腹が立ち、私はどこかで嫌と言えない自分を嫌悪していたのだと思う。
でも確かに私はこれまでに計り知れないくらいの、嫌と言いたいシチュエーションを繰り返してきた。
それなのに、どうしても相手に面と向かって、堂々と嫌だと言う勇気は出なかった。
見えている世界が幻想で私の自作自演の一人芝居だと知っていても、何故か嫌と言えない自分になってしまうのだ。
だから先日の面談でも、Tさんにはうやむやな返事でハッキリとは嫌と言えず、私はモヤモヤが残ったまま、今度はNさんとの面談に移った。
この時点で、私のストレスはピークになっていて、何かのきっかけで歯止めは効かなくなるのは予想された。
そしてNさんとの面談が始まり、彼女から「お母さんは、借金の件を法律事務所に相談に行かれましたか?」との質問を受け、突然私はキレてしまった。
我慢できずに本音が口から飛び出した「法律事務所には行ってません!嫌だからこれからも行きません!」と。
Nさんの表情は一変して厳しくなり、何故嫌なのか?何故行きたくないのか?と問い詰めてきた。
私は興奮し過ぎていて、その時どう答えたのか?今は曖昧でハッキリ覚えていないけど、明らかに激しい怒りを出してNさんに対抗した。
内心では、あ~あやっちゃった💦もうヤバいやん!こんな子どもじみた言動はマイナスやん💦どうしよう(((((゜゜;)と後悔していた。
でも次の瞬間から、どういう訳か?Nさんは優しい口調になり、別の話題に変わったのだった。
そして娘をとても心配して、娘に寄り添いサポートしていきたい旨を伝えてくださった。
だから最後は、私も素直に怒りを出したことを謝れた。
その時の心情をnoteに記し、私はそのモヤモヤを解消できたと納得しようとしていた。
でもこれは伏線だったのだ。
後に大きな気づきに繋がるきっかけのエピソードとして、面談というシチュエーションが組み込まれていたとは!宇宙の流れは本当に奥が深くて感心する。
昨日の午後、突然Nさんが私のスマホに電話をかけてきた。
直ぐに娘に変わってと言われたので、娘は渋々私のスマホを受け取りNさんと話し始めた。
娘は特にNさんに気を使う素振りもなく、常ににこやかで柔らかい応対をしている、自分の感情をフラットに保ち淡々としながらも、相手に好印象を与える優しさが娘には自然と備わっている。
そして娘がNさんの提案に答えた瞬間を、私は聞き逃さなかった!
娘はやんわりとそれでいてキッパリと言った「予定を決められるのは嫌かな」
その一言で、Nさんは引き下がり、もう娘に無理な要求をしないで、あくまでも娘をたてて娘の意思を尊重して、話してくれたようだった。
娘の一言は、私に深く突き刺さった。
そうだ!そんなふうに言えば、相手に対しても誠実で感じの良いニュアンスになるではないか!と私は感動していた。
そして夜に娘と 嫌だ と意思表示する大切さについての話題で盛り上がった。
娘曰く「私は嫌だと相手に言うのはダメだと思ってたんだよね。なんかわがままだし感じ悪いかなって。それに宇宙に嫌だとオーダーすることになって、もっとその嫌なことに苦しむと思い込んでたんだ」更に続ける。
「でもさ、偶然にも知念くんが(Hey! Say! JUMP知念侑李さん)前に話してた言葉を目にして、嫌なことをちゃんと嫌だと伝えることも大切だと思ってたんだ、そしたらNさんからの電話で、面談に行く日を決めようと言われて、思わず予定を決められるのは嫌だって言っちゃったんだよね」
この娘の話した内容に、私はまたまた感動していた。
娘は娘で宇宙の流れに乗り、素晴らしい導きで、Nさんにちゃんと嫌だと意思表示できる体験ができたのだ。
私は宇宙の法則に於いても、嫌だと思うこと自体が良くないことだと決めつけていた。
そんなわがままは、宇宙の愛を否定することになると思い込み、嫌だと思わず何でも受け止めなければ!と無理していたように思う。
嫌だ!と言うと、その嫌なことが強調されて、もっと嫌なことばかり起こるようになる、と恐れていた。
でも魂はちゃんと反応して、嫌だと言いなさい、言ってもいいんだよ!と伝えてくれていたのだ。
私はここにハッキリと記そう。
違和感のあることをするのは嫌だ。
心がざらつく方向に進むのは嫌だ。
難しくて全く興味がわかないことを学ぶのは嫌だ。
本当はあの面談の日に言いたかった。
私は自分のやりたいこと以外の内容の労働は嫌だ!と。
病院で健康診断を受けて、診断書をもらって来るのも嫌だ、と。
市役所の強要することに従わなかっただけで、受給額が受け取れなくなるのも絶対に嫌だ!と。
受給額は存在給だ、私はここに存在しているのだから、当然受け取っていい。
それが真実だ。
嫌だと意思表示しない生き方は、どんどん自分を追い詰め、相手を優位に立たせて、自分を卑下することになってしまう。
私は嫌だと思ったことを素直に認め、ちゃんと意思表示する!と誓う。
このことに気づかせる為に用意されたシチュエーションに深く感謝して、この自分の世界を楽しんでいこう。
無駄なことは何も無い。
全てが愛だと気づけるように、緻密に組み込まれた幻想の世界なのだ。
私は宇宙の愛に感動する、そしてその感動を文章で表さずにはいられない。
このnoteの世界が、私の書きたい衝動を受け止め満足させてくれる、本当に有難い。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️
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