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よく泣く子が母性を育ててくれる

私は数日前から母に想いを馳せることが増えている。

そして昨夜はスマホのLeminoというアプリで、映画 八日目の蝉を視聴した。

この作品は随分前にNHKでドラマが放送されて、私はそちらを観て感動し、女性の弱さや母の強さや母の深い愛を学ばせてもらった。

映画もドラマもどちらも素晴らしくて、私の魂が共鳴しているのを感じた。

私は泣いている赤ちゃんが苦手だった。

それは私が体験したことから生じている。

夜泣きが酷い長男をずっと抱っこして一睡も出来ずに過ごした夜、その時間は地獄でしかなかった。

元夫はそんな私に冷たく、決して代わってくれはせず、それどころか私を責め、早く泣き止ませるように命令したのだ。

あの時のトラウマが私を一気に闇へと引き戻す。

そんな訳で、赤ちゃんのギャン泣きは非常に辛く悲しくなる私だったのである。

以前母から私の赤ちゃんの頃の話を聞いた。

それによると、私はとてもよく泣く子だったらしい。

夜中 夜泣きが酷く 手がつけられない、そこで父が軽トラを運転して、母が私を抱っこして、夜中のドライブで町をグルグル回る、そうすると不思議と私はスヤスヤと眠るらしい。

その話を聞いて、両親は私を大切に育ててくれたんだ!と感激したことを思い出す。

元夫の冷たい仕打ちのせいで、私は泣く子が苦手で、早く泣き止ませなければ!と焦る癖がついた、そしてもう泣く子はこりごり、よく眠る子がいい!と切望した。

それなのに、私の前にはよく泣く子ばかりがやって来る。

娘もよく泣く子だったし、ワンコのこゆきが仔犬だった頃もギャン泣きが酷くて、私は一晩中抱っこしてあやしていた。

まるで自分に罰を与えられているかのように、私は悪い母親だから、ダメな人間だから、こんなによく泣く子を与えられ、たった一人ぼっちで泣き止むまで耐えなければならないんだ!と被害妄想に陥った。

今改めてあの頃の自分を振り返る。

私は精神年齢が成長して、捉え方がハッキリ変わっていることに気づく。

赤ちゃんが泣くのはダメなことと思い込んでいた私はもういない。

私は泣く子のおかげで、母性を学び育んでいたのだ。

母性とは無償の愛と同じだと私は思う。

私はこの地球に生まれて、母性を体得したかったのだろう。

それに協力してくれたのが、長男や娘やこゆきだったのだ!

そう気づくと益々みんなが愛おしくなる。

私は元夫の冷たい仕打ちで心が傷ついていても、子ども達を根気よく抱っこしてあやし続けた。

決して放置したり虐待したりしなかった。

それを大いに褒めようと思う。

私の両親 特に母も、私がどんなに泣き叫んで困らせようとも、根気よく抱っこしてあやしてくれたのだ、なんて有難いことだろう!

母は間違いなく私を愛してくれた、そして私は間違いなく母の母性を育てる役割りを果たせていたのだ。

今この時に、それに気づけて本当に良かった。

私という存在は、何も不良品なんかではなかった。

母を不幸にする為に生まれてきたのではなかった。

みんなみんな母性という無償の愛を育てる為に生まれてくるのだと思った。

これからは、泣いている赤ちゃんや ペット達を見ても、私は切なく悲しくなったりはしないだろう。

ただ無償の愛を感じて、泣いてくれてありがとう♡と感謝するはずだ。

意識が変わると見える世界は輝いていく、その変化を味わえる今が幸せだ。

ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️








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