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知らない隣人 by Miruba

帰宅したばかりの私は、急いで靴を脱ぎ、夏日続きですっかり熱気のこもった寝室と居間のクーラーをつけて回り、それからようやく鍵をテーブルの上に置き、肩にかけていたバックを椅子の上に投げ置く。

「あっついな~汗ビショビショだ」そのまま脱衣場に行き洗濯網に今脱いだものを突っ込みそれを洗濯機に洗剤ボールと一緒に入れてスイッチを押す。
頭からシャワーを浴びて一日の汚れを流す。
部屋着に着替えて、冷蔵庫からビールを出してコップに注ぎ、一気に飲み干す。
「あ~~~美味しい! たまりませんね」などとビールのコマーシャルよろしく飲んだコップを眺める。
これが最近、毎日行っている私のルーティンだった。
つまみに昨日作っておいたパプリカとオリーブ入りキュウリのたたきと田舎から送って来たアジのかまぼこをわさび醤油で食べる。
「夕飯もさっぱり素麵にしちゃおうかな~」
テレビをつけて、天気予報のお姉さんに言ってみる。

玄関のブザーが鳴る。
宅配かな? そう思いながらインターフォンを見ると、
叔母がカメラのほうに向かって、自身を指さし、「わたしわたし」と言った。

扉をあけながら、「いらっしゃい。どうしたの? こんな時間に」と言うと。
「ごめんねぇ、夕飯時間に来ちゃってさ。ちょっと相談があるとよ」と言った時には、もう靴を脱いで部屋に入っていった。


叔母と話すようになったのは、半年ほど前だ。父が亡くなり初盆の時に初めて会った。
葬式の時集まった親戚から叔母が高級有料老人ホームにいるらしいと噂で聞いて、ハガキだけは出しておいたのだ。
父は6人兄弟の末っ子で、長兄とは18才も年齢が離れており、ほとんど交流が無く私も写真でしか見た事が無かった。叔母が3番目の奥さんだという事も知らなかった。父自身は86歳で亡くなったので父方の親戚筋はすでにおらず、叔母と親戚づきあいする親しい人は居ないようだったが、父の4番目のお姉さんが結婚式をしたときの集合写真を持参していた。目をつむった感じに映っているのが叔母のようだ。それから月に一回くらいの割合で家に遊びにきていた。

既に八十になるという叔母は、それでも元気で、好きな時に外出できるマンションタイプの特別有料老人ホームという事だったが、ひとり息子が飛行機事故で亡くなった時に保険金がまとまって降りたので、一人になった叔母は老人ホームに入ることを決心したと言っていた。そんなことも全く知らなかった。付き合いがないとはそうしたものか。少し反省した。

「いくら自由に外出できるって言っても、こんな時間の外出って許してくれるの?」というと、少し気まずそうに
「外泊手続きばして来たとよ。悪かばってん泊まらせてくれんね」
私は内心「え~そんな急に」と思ったが、年齢が近いこともあり母は話し相手が出来て嬉しいだろうとも思ったので、
「構わないわよ、いつでも泊まって」と言いながら離れの部屋に電話を掛けた。
「お母さん、おばちゃんが来たよ、ご飯一緒にしよう」

夕飯はやっぱり素麺にして、卵豆腐と、冷凍のエビとナスやカボチャの薄切りを天ぷらにして添えた。
デザートはこの間親戚から送られて来た水ようかんにした。
母と叔母の話はどうしても昔話になるのだが、交流がずっとなかったので、時々思い出が行き違うのか、はたから聞いているとちんぷんかんぷんでそれはそれで面白かったし、少々耳も遠くなっている本人たちは一向に気にしない風で、お互い相手の話は適当に聞いて、自分の言いたいことを勝手にしゃべっているという感じだった。

私もそうだが、普段は一応共通語的な日本語を話しているが、同じ地方の人と一緒になると、思いっきり方言バリバリになる。母と叔母の話も東京の人たちには通じないかもしれないと思うほどの訛りだ。

私の娘が東京のホテルに勤めているが、予約係の女の子たち二人が電話向こうのお客様の方言がきつくて何を行っているのかわからないと、困っていたので、試しに電話に出てみたら、がっつりの佐世保弁だったという。「私はママたちの話を聞いていたからわかったけれど、同僚はお手上げだったのよ」と言って笑った。

叔母と母は取り留めない話をしていたが流石に9時を回ると眠そうだ。客間に寝てもらった。
9時では流石に私は寝られない、片づけをした後、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。
なんだか変な臭いがする。

叔母から、暫く預かって欲しいといわれた底の浅い段ボール箱が台所に置いてある。厳重にテープで梱包されていたのだが、中から何かシミ出てきてそこから変な臭いがするようだ。
叔母にどうしようか聞きたかったが、とりあえずカッターを使って開けてみた。
そこにはビニールからはみ出たタオルの液体が染み出たものだと分かったが、そのシミはどう見ても血液だった。
私は慌てた。血濡れたペティナイフも見えたからだ。

「叔母ちゃん、起きて」仕方なく叔母を起こす。
何を聴いても、寝ぼけたような、他人事のような顔をして黙っている。
「叔母ちゃん、なんねこの包丁は?……なんして黙っとると? こいば、なんすっとか聞いとるとよ! 叔母ちゃんったら……」
興奮するとついつい、きつい佐世保弁になってしまう。何度も問い詰めているうちに、叔母が涙をぬぐっている。
困ったな。
私は声をやわらげ、叔母の気持ちが落ち着くのを待った。

特別高級有料老人ホームでは、叔母は絵手紙のサークルに入っているという。隣の部屋に叔母とずっと仲良くしている女性がいるがその人も同じサークルに入っていた。ところがその女性は認知症が進行して、老人ホームを出ることになった。次のホームでは、もう自由に外出したりサークルで近くのファミレスに行ってお茶を飲んだりできなくなるのだ。

その隣の女性が、真っ赤な顔をして血だらけのタオルで巻かれたナイフを持ったまま叔母の部屋に入って来たという。出ていくのが嫌で、室長に出たくないと言ったが拒否されてカッとなって刺しちゃった。と言われ叔母はとっさにそのタオルをビニール袋に入れて箱の中にしまってしまった。

叔母がどうしようと思いあぐねていると、看護師さんたちが来て、「あらここにいたのね、探したのよ次の施設に行く車が来ていますよ」といって、隣の女性を連れて行ってしまったという。
室長さんの死体はまだみつかっていないのか。それならこのナイフをどっかにもっていこう。
そう思って私のところに来たと、白状した。

全く、そんなことが通るわけもない。
私は証拠品隠避で捕まりたくない。
警察に電話しようと思ったが、先にその老人ホームに事の詳細を説明したほうがいいだろう。
施設の名前は知ってはいたがまだ訪ねたことが無かった。
叔母に電話番号を聞いたが、覚えていないととぼけるので、ネットで検索した。
「あの~すみません。山田涼子の姪なのですが、叔母が今こちらに来ていて、あの~言いにくいのですが、なんだかとんでもない事件に巻き込まれているようなのです」というと。
「は? あの~山田さん? 山田涼子さんは半年ほど前にお亡くなりになっていますが?……娘さんがひきとりにいらっしゃいましたよ」
亡くなったって……親戚に知らせてよね~最もお付き合いが無かったのだからしょうがないか。と私は思った。
ではここにいるおばちゃんは?

電話向こうのスタッフさんがつづけた。
「……あ! もしかして佐竹ふみさんではないですか? 山田さんと何年も仲良しだったお隣さんなのです。助かりました。セキュリティーに反応がなくなってみんなで探していたのです」
「え?」私は頭が混乱してきた。
「あの、失礼ですが、室長さんは……」

「はい室長ですね、今変わりますね」

がーん! なんと「室長」は生きてる?

直ぐに室長と言う人が電話口に出て、叔母のことをあれこれ聞いてくる。
いや、ここにいるこの女性は叔母の名をかたった隣の部屋の、叔母の友人佐竹さんということか……。

血の付いたナイフを持っていなかったか、室長さんが聞いてきた。
「はい、ペティナイフのようなものですが、血だらけでやはり血だらけのタオルにくるまれていました」

「やっぱり、当院は食事も施設内で作るのです。厨房の冷蔵庫に牛肉の塊が解凍されていたのですが、調理人がちょっと目を離したすきに、その肉がぐちゃぐちゃに切り刻まれていたのです。ですがその包丁が見つからなくて」

叔母の妄想だったのか? いや、叔母じゃない、叔母の友達の佐竹ふみさんだ。

叔母のふりをしていたふみおばちゃんを見ると、ソファーでコックリコックリと居眠りをしていた。

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